DJ KOO、脳動脈瘤見つかり緊急手術。愛娘からは「健KOOでいてね」と手紙

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DJ KOOさん、ボーカルのYU−KIさん、ダンサーのSAMさん、ETSUさん、CHIHARUさんの5人が固定メンバーとなり、1993年に2枚目のシングル『EZ DO DANCE』が大ヒットを記録したtrf(現在はTRF)は、瞬く間に日本の音楽界を席巻する。

さらに『愛がもう少し欲しいよ』『Silver and Gold dance』『寒い夜だから』の3曲をほとんど同時期にリリースするという画期的な手法にもチャレンジ。唯一無二のグループとして注目を集める存在になっていく。

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◆大ヒット連発でも“バブル崩壊”のトラウマで安心できなかった

−次々と大ヒットを記録して誰もが知る存在になっていったわけですが、そのときはどんな感じでした?−

「意外と冷静でしたね。ディスコのDJ時代の24歳のときに『ザ・ジェイジーズ』というリミックス・ユニットを結成して、色々と新しいことにチャレンジしたんですよ。日本で初めてノンストップ・ミックスのCDを作ったりしてね。だけど、結局ダメになって清掃業に携わるようになって…。

そのときって世間はバブル景気だったんですけど、短期間で“良い時”と“悪い時”の両方を体験したので、『TRFの成功もいつまでも続かないかもしれない。浮かれちゃダメだ。とにかく今を一生懸命やろう』と思っていましたね」

−メンバーの皆さんそれぞれが得意とするジャンルを持っているというグループの先駆け的存在でもありました−

「そうですね。僕は小室さんの近くにずっと一緒にいられたので、その小室さんが言っていることを把握してみんなに伝えるっていうような役柄だったんですけど、やっぱりそこで見ていたものはすごかったですね」

―TRFのメンバーになってからも小室さんのアシスタントはやっていたのですか?−

「やっていました。だからTRF以外のほかの現場も経験できていたので、クリエイターとしての修業もしているという感じでしたね。

最初は小室さんもレコーディングを外のスタジオでやっていたんですけれども、忙しくなってきて、やっぱり自分のスタジオを作るっていうことになってスタジオを作ったんですよ。

そのときも小室さんと一緒にいろんなスタジオに行って機材を選んだりしてね。それで出来上がったスタジオで最初にレコーディングをしたのが『BOY MEETS GIRL』だったんですよ。そのスタジオが今度は二つになって、それから三つ、四つになるまでは早かったですよ」

−次々と小室ファミリーのアーティストが登場しました−

「そうですね。それで別のフロアにそれを実際に聴くクラブみたいな感じのスペースを作ったりしました。

だからそのときにはこっちのスタジオでは『東京パフォーマンスドール』だった篠原涼子ちゃんが『恋しさと せつなさと 心強さと』を歌っていて、こっちのスタジオでは初めてTK(小室哲哉)にプロデュースされる安室奈美恵ちゃんが第一弾の曲を歌っていて、それと同時にglobeのKEIKOが詩を合わせているとか、そういうのがもう日常茶飯事でしたよ。同じフロアのスタジオでいくつもそういうことがありました」

−あの時代はもう小室ファミリー一色でしたね−

「そうですね。歌番組とかもすごく激烈でしたね。だって小室ファミリーはいるわ、ロックはビジュアル系のLUNA SEA(ルナシー)とかTHE YELLOW MONKEYとかいるじゃないですか。

それにドリカム(DREAMS COME TRUE)とかB’zもいたりするしね。当時はオリコンで連続1位とかそういうことにこだわったりしたんですよ。だから、『新曲の発売日がB’zとミスチル(Mr.Children)とTRFとこれ重なるぜ』みたいなことで結構大変だったりしました(笑)。ずらしたくてもそれぞれ会社の都合もありますからね(笑)」

今年で26年目を迎えたTRF。5人のメンバーそれぞれが、おのおののシーンで実績を積んで活躍をしているプロ意識の高い集団であり、互いに「信頼し合っている」というのが、リーダーであるKOOさんの誇りだという。

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◆ぬるぬるローションでバラエティー番組の洗礼

近年は金髪にサングラスという一見派手なルックスとは裏腹の真面目なキャラが人気を集め、バラエティー番組にも引っ張りだこのDJ KOOさん。仕事でTRFをずっと聴いていたスタッフやタレントと一緒になることも多いと話す。

「TRFを聴いていた人たちが、今テレビのディレクターをやっていたり、バラエティーで芸人さんと一緒になると、ロバート秋山君とか、ブラマヨ(ブラックマヨネーズ)の方たちだとかが『実はTRFをずっと聴いていたんですよ』って言ってくれるのが超うれしいですね」

−ここのところバラエティー番組でも引っ張りだこですね−

「いやあ、バラエティーに出始めたときも『あいつ仕事なくなったのか』とか『DJ KOOは仕事を選ばないやつだ』みたいな、そんなアンチがいっぱいありましたよ(笑)」

−何をやっても色々言う人はいますからね−

「そうですね。でも、僕はやっぱりアーティストというか、良くも悪くも偏っていた部分もあって、バラエティーの仕事をいただきだしたときに、ドッキリみたいな企画があったんですね。

いきなり夜中に『天狗の格好をして、ぬるぬるのローションを体に塗りたくって、ローションまみれになって高いところから滑ってきて壁をぶち破ってタレントさんを脅かしてください』って。

そんなことを急に言われて、『やばい、俺これ聞いてないし、これはだめでしょう』って思ったんだけど、とにかくこの流れじゃやんなきゃいけないなと思って、一応天狗の格好をして上まで上がって行こうとしたんですよ。

もう夜中の2時位なのに、大道具さんとか、スタッフの人たちが大勢いて、僕が上がっていくとき『あっ、KOOさん、そこ危ないから気をつけてください』とか、『ちょっとここで待っていて下さい。寒いですからこれを着ていてください』とかすごく気を遣ってくれるんですよ。

そういうのを見ていたら、『これはもうカッコつけている場合じゃない。バラエティーとかこういう番組ってすごいたくさんの人たちのチームワークなんだ』って思って、『この人たちがそれだけやっているんだから、俺も思いっきりローションまみれになって突っ込んでやるぜ』って、思いっきりいきましたよ(笑)。

それからですね。『それはちょっと』とか『それは俺じゃないから』とか、そういうのがなくなりましたね」

−バラエティー番組の予習もきちんとされて、アンケートも事細かく丁寧に書かれているそうですね−

「事前アンケートはびっちり埋め尽くします(笑)。アンケートに書くことで色々なことを考えたり、思い出したり、自分のアイデアも整理できますからね。

それに芸人さんたちって、やっぱりすごいんですよ。僕には彼らのような腕はありませんから、200%の準備をしないといけないと思って、番組の予習と復習というのは当たり前の習慣になりました」

バラエティー番組の事前アンケートには必ず事細かく記入し、書ききれないときには別紙を用意して書いて提出。さらに出演するバラエティー番組のVTRを見て予習ノートに記入、予習・復習ノートは常に持ち歩き、仕事やプライベートなど気になったことはすぐに書き留めているという。

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◆ミュージシャン、マルチタレントの原動力は妻と娘

TRFとしての活動に加え、バラエティータレントとしても活躍、さらに昨年9月にはYOUTUBER(ユーチューバー)デビューも果たした。奥様と大学生のお嬢さんをこよなく愛するKOOさんのツイッターやブログにはご家族も度々登場。仲の良い一家の様子を見ているだけで心がホッコリする。

−お嬢さんの授業参観にも行かれているそうですね−

「今は大学生ですけど、公開授業にも行ってきました。参観者は僕ひとりでしたけどね。柄のない保護者スーツを着て行ったんですけど、さすがに最初はみんなちょっと驚いていたみたいです(笑)。娘がどんな環境で勉強しているのか見られたことは貴重な経験でしたね。授業ももちろんメモしたんですけど、専門科目はほとんどわかりませんでしたね(笑)」

地方でライブがあった後なども、ホテルに直帰し、部屋で家族と電話で話をするというKOOさん。クールなステージとはまた別の子煩悩なパパの顔も魅力。お嬢さんもそんなパパのことが大好きな様子。結婚記念日にはお嬢さんからステキなバッグをプレゼントされたそう。

「仕事で地方に行くことが多くてバッグがパンパンになっていたのを見てくれていたんでしょうね。『ママと結婚してくれてありがとう パパとママが親で私は本当に本当に幸せです!!いつまでも健KOOでいてね 大好きだよ」というハートマーク入りのメッセージカードを添えてくれていて、本当にうれしかったですね』

−本当に愛されて育ったということがわかるステキなお嬢さんですね−

「それは奥さんに感謝でしょうね。僕が仕事で家にいないときも奥さんがちゃんとやってくれていましたから。娘は夫婦を結びつけるために生まれてきてくれた天使ですね。僕が出たバラエティー番組などは奥さんと娘と一緒に見て、終わったら3人で反省会をしているんですけど、ダメ出しされることも結構ありますよ(笑)」

奥様とお嬢さんの話題になると、ひときわ優しい笑顔になるKOOさん。良き家庭人で仕事にも全力で挑む姿は健康そのものだが、実は一昨年、テレビ番組の企画で脳動脈瘤が発覚。そのまま放置しておくとくも膜下出血の恐れがあるだけでなく、将来、失明する恐れもあるという深刻な状態だったという。

―自覚症状はなかったのですか?−

「もともと頭痛持ちではあったんですけど、まさか自分が…という感じでした。テレビ番組で見つかったんですけど、そのときの先生に札幌の病院で手術をしていただきました。奥さんは入院したときからずっと付き添って励ましてくれていて、娘は受験生だったので、東京に残っていたんですけど、手術には立ち会いたいと言って来てくれました。

娘は手術室から出てきた僕を見て号泣していたそうです。病気はつらかったですけど、家族の絆がさらに強くなった感じがしますね」

−お嬢さんは将来のお話はされていますか?−

「医療系に進むことを考えているみたいです。実際に目の前で父親が命を失ってしまうかもしれないところを医療の力で助けられましたからね。それを間近でずっと見ていたので、自分もそういう人の助けになるようなことをやりたいと思ったみたいです」

−ちゃんとお父さんのことを見ていて将来について考えているのですね−

「そうですね。病気のときとか、弱っているところは家族には1番見せたくないところなんだけど、家族で一緒に乗り越えたということは大きいですね。病気は大変だったけれども、今、生きているという実感があります」

−今後の展望は?−

「平成からやっているんですが、今、世界中で盆踊りが話題になり始めてきているので、『DJボンダンス』という盆踊りイベントを世界中に広めたいですね。みんなで笑顔になるようなそういうことをやってみたいと思っています」

最後はお嬢さんが教えてくれたという人差し指と中指でハートを作るポーズで決めてくれたDJ KOOさん。時代が令和に変わり、平成にはできなかった音楽の道に進むきっかけとなった沢田研二さんと会うことも夢のひとつだという。「僕はジュリーに憧れて音楽の世界に入ったんですというのをファンとしてお話できたらいいですね」と目を輝かせていた。(津島令子)

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