長江健次、萩本欽一の心の広さに「涙が止まらなかった」門前払いを覚悟して、絶縁状態だった大将を訪ねると…

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『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)のフツオ役でデビューし、「イモ欽トリオ」のメンバーとして人気絶頂のなか、大学受験のため1年半で番組を降板。

大阪で受験勉強に専念するはずが、本人の知らぬところでレギュラー番組が用意されていたため、萩本さんをはじめ、欽ちゃんファミリーやスタッフの怒りを買い絶縁状態となってしまった長江健次さん。一時は7本レギュラー番組を抱えるほど超多忙だったが、次第に仕事は減っていったという。

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◆2006年トリノ五輪のスノーボードコーチに

−欽ドン降板後もかなり忙しかったそうですね−

「欽ドンをやめた後、19歳〜20歳の頃が一番忙しかったんじゃないかな。大阪でレギュラー7本やっていたから。イモ欽をやっていた1年半と、そのあととではまた違いますよね」

−「イモ欽トリオ」のときも大阪での高校生活と両立が大変だったと思いますが−

「月曜日は学校を休んで欽ドンの収録、火曜日の朝イチで大阪に戻り、金曜日まで学校。『ザ・ベストテン』(TBS系)のときは木曜日に学校が終わってから東京に行って、金曜日の朝イチで大阪に戻って学校。土曜日の昼便で東京へというスケジュールだったので、移動は大変でしたけど、僕はたった1年半でしたからね。

それで、降板後、レギュラーが7本あってめちゃめちゃ忙しかったから、『ひとりのほうがおもろいやん』と思ったりしたけど、だんだん仕事も減っていきました」

−芸能活動のほかにスノーボードでも知られるようになりました−

「もともとスキーは中学時代からやっていたんですけど、26、7歳の頃、たまたま長野でスノーボードを見て、やってみたらできなかったんですよ。

それで、悔しいと思って、その日のうちに道具を一式買って、色々調べてみたら、長野五輪の正式種目になるかもしれないし、大会もあるということを知って、全日本選手権に出たんですけど、僕の場合は本当にヘタクソで最下位でした。

それでも取材に来たりとかしていましたけどね。最初は選手として長野五輪を目指していましたから。当時の僕は、歌手でも役者でもない、お笑いも何もかもが中途半端だったから、何か自分に誇れるものが欲しかったんですよね」

五輪の正式種目となった長野五輪では代表候補になったが出場はかなわなかった。そして5年連続で全日本に出た後、当時のスノーボード協会の部長に手伝ってほしいと言われ、トリノ五輪にコーチとして帯同することに。

「日当5千円で1カ月。当時の事務所はダメだと言ったんですけど、日の丸を背負って五輪に行くなんて、なかなか経験できないことですからね。もうお金なんて関係ないですよ。

それはもうご褒美だと思って喜んでやらせてもらいました。それもひとつの裏方という意味では良い勉強になりましたね。選手のわがままさというか勝手さも垣間見れたので、やっぱり面白いですよ。それに裏方を経験したことで、表に出る側だった自分がいかに傲慢(ごうまん)だったかに気づかされたということもあります」

−タレントさんが五輪コーチにというケースは初めてでは?−

「そうですね。メディア対応もしていましたから、ダウンタウンの浜ちゃんにも『何してるん?』って聞かれたし、松岡(修造)君も驚いていました。でも、僕はあくまでも裏方なので、出しゃばるところではないですからね。ムカつくことはいっぱい言われましたよ、選手には。

浜ちゃんとか有名人を知っているというだけで態度が変わる選手もいるし、『たいした実力もないのにテレビに出ているからということでコーチになって』って言われたりね。スノーボードは好きだし、五輪を目指したけど、出られなかったのも事実ですから、何を言われても大丈夫」

スノーボードをはじめ、ウインタースポーツの選手はプロとはいえ、それだけで食べていける人はごくわずか。長江さんは、自分が表に出て行くことで、少しでも認知度が上がってくれればと話す。

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◆仕事なし、収入・貯金ゼロのどん底状態に救いの手が…

芸能活動に加え、スノーボードのコーチもつとめた長江さんだったが、仕事がまったくなくなり、収入ゼロ、貯金もゼロのどん底状態も経験したという。

「6、7年前ですよ。全然稼げなくて。もう全くお金もなくて仕事もゼロ、借金もありました。1カ月くらい近所の中華屋さんで『長江健次がいますよ』ってアルバイトさせてもらっていましたよ。それでお客さんが入るから店も喜ぶし。まあ、色々と借金をしたりもしましたけど、全部返したので、今は楽です」

−生活を立て直すきっかけは?−

「元大関の霧島、陸奥親方と知り合ったときに明らかに変わりましたね。親方に初めて会ったときはどん底の状態で、『あしたのメシをどうしようか?』っていうような状態だったんですけど、ゴルフに誘われて…。

本当はゴルフに行く金もないのに、とりあえずゴルフに行って、『金がないんです』って正直に言ったら、親方が一言、『大丈夫、僕と知り合ったから運気が上がるよ』って言ってくれたんですよ。何の根拠があるのかわからないんですけど(笑)。でも、それから運気が上がりましたよ、ほんとに。

運気というか、親方が僕の営業担当で僕のマネジャーみたいだったし、親方のマネジャーを僕がしているという感じ。いろんなことを仕事として振ってくれるんですよ。

『打ち上げパーティーに来て司会してくれ』とか『ゴルフコンペの司会をしてくれ』という感じで。だから、年間6場所あるので、全部行かないといけない。行かないと親方に悪いので(笑)」

−お仕事に関しては、今は全部ご自分で決めていらっしゃるんですか−

「そうです。よくよく考えたら昔から家でホームパーティーをしていたんですけど、誰を何時に呼んで、こういう料理を作ったらこの人喜ぶだろうっていうようなのはもともと好きなんですね。それと同じことなんです。『フリーになったときの方が、仕事が増えるってどういうこと?』って思いましたもん。

後々聞いたら、『実はギャラで折り合わずに断られました』とか、『長江がイヤだと言っていますって断られました』って言うんですよ。そんな話があとからボロボロ出てくると悲しいですよね。

だからフリーになって、今は自分でやっているから誰のせいにもできない。何かあったら自分のせいだし。みんなビックリするけど。

今年やった11日間のライブだって、アーティストのホテルを押さえて、アーティストの事務所だったり、本人にお願いして、20組くらいのゲストのスケジュールをパズルみたいに埋めていったんですけど、うまくいきました」

−北海道でライブツアーを終えて、船上ライブをしながら帰京、ラジオ出演、今度は東北とかなりハードですね−

「でも、今はすべて自分で判断できますからね。東北ライブを終えたらゴルフコンペ。キャンピングカーを借りて、そのなかで寝ようとか、色々段取りを考えて自分で決められますし。今が多分1番良い状態でできているんじゃないかな。お芝居のプロデュースも毎年やっているし、今やりたい方向性がちゃんと定まっていますから」

マネジャーや付き人を付けず、スケジュール調整からギャラの交渉まですべて自分でやっているが、まったく問題はないという。

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◆門前払いを覚悟して萩本さんの舞台へ

年齢を重ね、どん底状態も経験。トリノ五輪で裏方も経験し、若さゆえの勘違いと傲慢さを反省した長江さんは、2014年3月、萩本さんが最後の舞台公演を行っていた明治座の楽屋を訪れる。

「舞台を見た後、楽屋に行ったんですけど、怖かったですね。門前払いされるかもしれないと思ったし…。でも、そんなことはまったくありませんでした。みんないなくなって二人きりにさせられて、ずっとしゃべっていました。

その次に行ったのが打ち上げ、それで、その後もういっぺん行ったときにドッキリ風のバラエティー番組にだまされたんですよ。大将が僕を怒るんですけど、それは嘘でネタ的には『みんなが仕込んだ嘘だったんだよ、はいドッキリ!』だったのに、オンエアは大将が怒ったところで終わっているんだからひどいでしょう?怖いですよね」

−実際には違っていたということですね−

「ネタとして怒ったんですよ。でも、僕はわからないから『ワー、怒ってるわ。でも、怒られてもしょうがないしなあ』って思って…。

それで、終わって食事会に行くことになったんですけど、僕だけ誘われなくて、全員誘って行くんですよ。『まあ、いいや、大将が出るのを見送ってから帰ろう』と思っていたら、最後に大将が『フツオ、どうしてるんだ?』って言ってくれて、中華料理屋に行ったら円卓が2つ用意されていたんですね。

風見しんごちゃんと山口(良一)さんは違うテーブルで、僕は大将の横につけられて、そこで1時間半ぐらい話したのかな。それが1番大きかったですね」

−ご自身のなかでのいろいろな思いは伝えられたんですか−

「はい。そこでわだかまりが解けましたね。別に謝りもしてないですよ。何十年も経って謝るというのも変じゃないですか。だからいろいろな話をして。大将に聞きたかったことをいっぱい質問して。昔は若かったから質問も出来ませんでしたからね。

『大将、これはどうなんですか』とかっていっぱい聞いたら、大将が『これは〇〇なんだよ』って色々と教えてくれて。本当にたくさん話をしました。それで大将の車をお見送りして頭を下げたとき、自然と涙が出てきて止まりませんでした。

大将のあまりの心の広さに涙が止まらなかったです。山口さんとしんご、そして事務所の人に『ありがとうございました』って言って、電車に乗って1人で帰りました。あの2人には感謝ですね。あえて別のテーブルに行ってくれて大将と2人にしてくれたので、大将とちゃんと話ができたわけですから」

毎年1月には山口良一さん、西山浩司さんと3人「イモ欽トリオ」のライブも開催しているが、夢は萩本さん演出による「イモ欽トリオ」のお芝居と歌の公演。

「西山君も山口さんも舞台や映画、ドラマをやっているし、僕も歌や芝居をやっているので、今ならできるんじゃないかなって思うんです。そこに大将がちょっとでもからんでくれたら良いな」と目を輝かせる。是非実現してほしい。(津島令子)

※『長江健次 2019 Summer Live Tour Special Live〜55歳 まだ旅の途中〜』
9月23日(月/祝) 16:00開演
マウントレーニアホール渋谷 TEL:03(5459)5050
ゲスト:原田真二・曾我泰久・宮崎隆睦
出演:長江健次・長江健次BAND

※『長江健次 Autumn Live tour 2019』
10月5日(土)19:30開演 八戸powerstation A7
10月12日(土)19:00開演 大阪 フラットフラミンゴ
ほか、神戸、家島(兵庫)、鹿児島、福岡、小倉、広島、愛媛

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