カヌー・羽根田卓也、病室の親友へ贈ったメッセージ。“約束”をはたすため五輪は「全力で臨む」

2016年リオオリンピックで、日本カヌー界史上初のメダルを獲得した羽根田卓也(33歳)。

世間から注目を浴び、話題の中心にいた男は、あれから4年、大きく変わった環境のなかでもがき苦しんでいた。

それでも心のなかにあったのは、カヌーへの想い。そして、支えとなった親友の存在。

7月26日(日)深夜に放送したテレビ朝日のスポーツ情報番組『GET SPORTS』では、1年後の東京へ向け、戦いつづける羽根田の現在地に迫った。

◆たったひとり。公園での練習

2020年7月。羽根田のもとを取材すると、ある場所を指さした。

それは2019年7月、建設費およそ73億円をかけ完成した「カヌー・スラロームセンター」。日本初の人工カヌーコースであり、オリンピックの本番会場でもある。

練習環境を求め単身スロバキアで武者修行をしていた羽根田にとって、長年願いつづけていた特別な「場所」である。

「念願ですね。悲願というか、ずっとそれを夢見て海外に行っていたので。このコースではじめて漕いだときは本当に感動して…それくらい愛着のあるカヌーコースです」(羽根田)

ところが、新型コロナウイルスの影響で現在は閉鎖中。目の前にあるにも関わらず、練習はできない。

そこで、やってきたのがカヌー場のある近くの公園。普段は一般の人も利用できるこの場所で、一般の人と同様券売機でチケットを購入し、自販機でドリンクを買ってから練習に向かう。

コーチもいない、たったひとりでの練習。それが、世界で戦う羽根田の今の姿である。

羽根田は21歳でオリンピック初出場をはたすと、4年後のロンドン五輪で日本勢初の決勝進出をはたし、7位入賞。3度目となった前回のリオ五輪では史上初のメダルを獲得し、日本カヌー界の歴史を塗り替えた。

日本選手権14連覇中と国内では無敵を誇り、この競技の代名詞的存在でもある。

そんなトップを走りつづける羽根田の強さは、いったいどこにあるのか?

◆「水の呼吸を読む」力を味方に

羽根田が行う「カヌースラローム」は、約200mの激流のコースを下り、スタートからゴールまでのタイムを競う。

コース内には赤と緑のゲートが設置されており、緑のゲートは上流から下流へ。赤いゲートでは下流から上流へ、流れに逆らって通過しなければならない。

少しでもゲートに触れると、2秒のペナルティーが追加される。そのため、流れに逆らう赤いゲートの通過の際に、多くの選手が手こずり、タイムロスすることも多い。

だが、羽根田は、これを得意とする。武器となっているのが“ターン”だ。

「カヌーの後ろを沈めてターンすることを“ピポットターン”っていうんですけど、わかりやすく説明すると、空のペットボトルを水中に沈めて手を離すとロケットのように発射しますよね。その原理を使って、カヌーの後ろを沈めることでターンの後の加速につなげるんです」(羽根田)

船の後ろを沈めることにより、ターン後の加速につなげているという。

実際にリオオリンピックでの“ピポットターン”を見てみると、赤いゲートにさしかかったとき、船に角度をつけ、先端を上げて回転。これにより加速がつき、タイムアップにつながっていた。

だが、この“ピポットターン”は、逆流していくなかで船を安定させるという高い技術が求められる。なぜ、このようなことが出来るのか?

コツはやっぱり水の呼吸を読むことですね」(羽根田)

コース中には、流れが緩い場所もあれば急な場所もあり、それをあたかも「水が呼吸している」かのように感じているという。

いなしてあげるというか、手をとってフォークダンスをするような…。流れが僕をリードしてくれるんです、次のゲートに」(羽根田)

あたかも、波とダンスをするように、いなして味方にする。独特の表現だが、それが「水の呼吸を読む」ということ。だからこそ、自然の法則にも背くような、驚きの技ができるという。

波の流れと、逆を向いているにも関わらず、なんと身体をコントロールするだけで、その場にとどまり続けることが出来るのだ。

「スロバキアのカヌーは、水の呼吸を読むことをすごく大切にするカヌースタイルだったんで。そのスタイルを自分でも学んで、自分の良さをそこに活かすようなスタイルを作り上げていったからですね」(羽根田)

高校卒業後、オリンピック7大会連続でメダルを獲得しているカヌーの強豪国・スロバキアに渡った。

14年間、そこを練習拠点にし、カヌーをイチから徹底的に学んだ。そこで得たものと、自身の良さを生かす独自のスタイルを作り上げていった。

そして、それを実践するために必要なのが体幹。腹筋、腹斜筋、背筋をしっかりつけるようにしているという。

そのために、器具を使ったトレーニングだけでなく、使う筋肉が似ていることから、クロスカントリーも取り入れている。

さらに、室伏広治から指導を受けるなど、さまざまな分野から吸収。こうして作り上げた肉体を最大限に活かし、競技につなげている。

◆支えになった親友の想い

そんな羽根田には、東京でメダルを捧げたい親友がいる。

「定期的に会えたりはできていないんですけど、日本の大会には必ず応援に駆けつけてくれた」と語る、高校の同級生・中西拓馬さんだ。

野球部でキャプテンを務め、高校卒業後も連絡を取り合っていた仲だった。

だが、2008年、中西さんを悲劇が襲う。交通事故で意識不明の重体。

その一報を聞いた羽根田は2週間後、スロバキアから緊急帰国。北京オリンピックを控えた大事な時期に親友の元へ駆けつけた。

しかし、集中治療室には入ることは出来ず、「北京決まったぞ中西。メダル取ってくるわ。だから早く元気になるってお前も約束しろ。約束な」というメッセージを送ることしかできなかった。

中西さんはその後、生死の境をさまよいながらも、奇跡的に一命をとりとめた。しかし、左目は失明。脳にも重い障害が残り、両親のことさえ認識できなかった。

それでも羽根田が自宅を訪ねると、「卓也」と親友の名前を呼んだという。

中西さんは日常生活を送ることが困難となり、長く辛いリハビリを余儀なくされる。それでも毎日毎日、耐えつづけた。

支えとなっていたのは、羽根田の存在。リハビリの最中にも、「卓也と同じくらいの筋肉にする」と言い、マシーンに向かいつづけた。

国内の大会にも欠かさず応援に駆け付け、リオオリンピック前には、支えてくれた感謝の思いを動画にして伝えた。

激励を受けた羽根田は、親友の想いも背負い、日本カヌー界史上初のメダルを獲得したのだ。そしてリオからの帰国後、空港で待ち受けていた中西さんとよろこびを分かち合った

「ふたりで定期的に励ましあう仲だったので、ひとつ大きな形を自分が残せたことをヤツ(中西さん)に見せられたのはすごくうれしかったです」(羽根田)

事故から12年。驚異的な回復を見せている中西さんは、東京オリンピックへ向け、ある目標を立てている。

東京オリンピックに車いすを使わず、自分の足で歩いて羽根田の応援に行くことだ

もし金メダルを獲ったら会って抱きますよ。メッチャ抱きますね」と笑顔で意気込みを語る中西さん。

羽根田は「彼が自分の足で応援に来てくれることを楽しみにしていますし、その前で自分がいい姿を見せられればいいなと思っています」と答えた。

2021年の東京オリンピックへ。

4年前に流したうれし涙を、1年後の夢に見た舞台でも…。大切な親友との約束をはたすために、今、自分ができることを一生懸命やる。

東京オリンピックはいつになっても、全力で臨むことには変わりないので、自分が求めるもの求められるもの、そのすべてに応えたいと思います」(羽根田)

ここが、羽根田卓也の現在地。

※番組情報:『GET SPORTS』
毎週日曜日夜25時30分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)

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