小倉一郎、ショーケンと深夜に大ゲンカ!翌日の撮影で「本当に斬りかかってくるんですよ(笑)」

9歳のときにエキストラとして活動を開始してから、今年芸能生活60年を迎えた小倉一郎さん。

13歳のときに石原裕次郎さんの主演映画『敗れざるもの』で本格的にデビューして以降、多くのテレビ、映画に出演。1973年には市川崑監督の映画『股旅』、1976年には大人気青春ドラマ『俺たちの朝』に出演して話題に。

20歳(成人式)

◆大雪で撮影ナシのはずが、ひたすら歩かされて…

1973年、22歳のときに小倉さんは、萩原健一さん、尾藤イサオさんとともに市川崑監督の映画『股旅』に出演する。やくざの世界で名を売ろうと社会の底辺で懸命にもがく3人の若者を描くこの作品で、小倉さんは若者の1人・源太を演じている。

−仁義の切りかたが独特でしたね−

「『お控えなせえ?』リアルでしたね。監督が『おひかえなすって』というのは東映が作ったって言うんですよ。それで、リアルにということで」

−撮影はいかがでした?−

「長野の伊那谷(いなだに)の民宿に泊まって撮影していたんですけど、もう寒くて寒くて(笑)。

尾藤さんとショーケン(萩原健一さん)と同じ部屋に泊まっていたんだけど、敷布団はないんですよ。綿がものすごくたくさん入っている分厚い掛け布団を縦に半分に折ってなかに入って、コタツのなかに3人で足を突っ込んで寝るんですよ。

映画のなかに『旅人は着の身着のままで、長ドスを抱いて寝る』というナレーションがあるんだけど、『衣装を汚しておけ』って言われているから、その通りにして寝ていました。

それで、ある朝窓を開けて外を見たら大雪だったので、『ショーケン、尾藤さん、きょうは撮影中止だよ。大雪』って喜んでいたら、監督がドアをガラッと開けて、『何してるんですか。行きますよ』って言うんですよ。

『行くって何するんですか?』って聞いたら、『歩きを撮るんですよ、歩きを』って言うの。

『雪なんか台本に1行もないじゃないですか』って言ったんですけど、『雪のなかを歩くんですよ』って(笑)。

夕焼けバックで歩くシルエットとか、朝から晩まで雪のなかを歩かされて(笑)。

設定が貧乏人だから、親指が出ちゃっているような足袋に草鞋(わらじ)でしょう? 雪が染みてくるんですよね。足の指がポロッと取れちゃうんじゃないかと思うくらい冷たいわけ。

それで150ミリレンズという大望遠レンズで、僕たちがいる場所から遠く離れた山からこっちを狙っているわけ。僕たちからは監督たちが全然見えないの。

声も聞こえないから、僕のふところにトランシーバーが入っていて、『よーい、スタート』って監督が言うと、ショーケンと僕と尾藤さん、途中からお汲(くみ)という女の子が加わって4人で歩く。

ワイヤレスマイクなんて付いてなくて歩くだけだから、ショーケンは『市川崑のバカ野郎!市川崑のバカ野郎!』って言いながら歩いていましたよ(笑)」

−大変な状態で撮っていたのですね−

「本当につらかったですね。結局、公開してもお客さんは入らず、海外でもあまり評価されなかったんですけど、文部省がのちに1千万円くれたんですよね。

あの作品は、俳優は一律10万円のギャラだったんですよ。でも、自分で10万円出しても映画に出してもらいたかったの。

そうしたら、文部省の授賞式で1千万円もらえることになって、『これでスタッフの方にご恩返しができます』って言っていたんですよね。

そのとき、はじめて知ったんですけど、何とスタッフはギャラなしだったんですって。それでスタッフにギャラを払って、『小倉君、プラスアルファ』って言って5万円くれました(笑)」

◆深夜の旅館でショーケンとあわや…

小倉さんは『股旅』の後、萩原さんとは『魔性の夏 四谷怪談より』(1981年)、『誘拐報道』(1982年)、『瀬降り物語』(1985年)で共演している。

「僕は『股旅』のとき、ショーケン(萩原健一)とは旅館でケンカをしたんですよね。

夜中の2時にショーケンが『俺のことを先輩として立てない』って言いだしたんですよ。年齢は1つショーケンのほうが上だけど、芸歴は僕のほうが長いのに。

同じ部屋に泊まっていたから、旅館の女将(おかみ)さんが差し入れしてくれる一升瓶の酒を毎晩3人で飲んで寝るという感じだったんです。

いい加減3人とも酔っ払って寝ていたんですよ。そうしたら夜中の2時にショーケンがいきなり『おい起きろ。表に出ろ』って。

それで、『この野郎、てめえ俺を先輩として立てねえ』って言うから、『ちょっと待て。先輩後輩言うんだったら、尾藤さんをお前は立てているか?この野郎』って言ったら殴ってきたの。

だから、『この野郎、撮影が終わってないのに俳優の顔を殴るな!やめろ』って言うのに、蹴ってくるし、髪の毛つかむし、めちゃくちゃなんですよ。

頭にきたから僕がショーケンをひっくり返して馬乗りになって、灰皿を持って『いい加減にしないとこれで殴るよ』って言ったら、電話をしに行っていた尾藤さんが来たんですよ。旅館の人はショーケンを怖がって誰も来ないわけ。

それで、いきさつと僕のほうが先輩なんだって言ったら、尾藤さんが怒っちゃって、『おいショーケン、小倉さんに謝れ』って言って、ショーケンが小さい声で『ごめんな』って(笑)。

ただ、その翌日の撮影が、ラストでショーケンと僕が2人で斬り合うシーンだったんですよね。ショーケンがもう本当に斬りかかってくるんですよ(笑)。

『本当に殺される』と思うくらいの勢いで、転んだらすぐ目の前に刀がくるわけ。それで僕は足の肉離れを起こしちゃったんですよ。

だから2人で斬り合うことができなくなって、途中から立ち回りが2人ともアップでカメラに向かってやっているの(笑)。そういうカットバックを続けて。

ショーケンはそのあと『太陽にほえろ!』の鹿児島ロケに行くことになっていて『小倉乗れよ、駅まで送ってってやるぜ』みたいなことを言うから、『ごめんね。どうぞお先に。俺はもう1日、崖から落ちて死んじゃうシーンがあるから』って言ったら、何か悔しそうにして帰っちゃった(笑)。

ショーケンとは、それから7、8年して『魔性の夏 四谷怪談より』で会ったとき、『また喧嘩しようぜ』って言ったら、『忘れたよ』って笑ってましたけどね。

そのあとの『誘拐報道』では絡みはなくて、『瀬降り物語』は愛媛県の山のなかで合宿生活だったんです。

僕は撮影が終わって1泊して翌日東京に帰ることになっていて、その日にショーケンが入って来ることになっていたんですよ。

それで、ショーケンとスタッフとの親睦を深めるために、僕の部屋をショーケンに明け渡して、別の宿に1泊して帰ることになったんです。

僕たちが泊まっていたのは、中島貞夫監督の元助監督仲間だった方が建設会社の社長になっておられて、作ってくれた巨大なプレハブみたいな建物だったんです。

だから助監督さんに布団を替えるのとお部屋の掃除を頼んでおいたら、事情を聞いたらしいショーケンが荷物を持って降りて来て、『小倉さん、部屋も掃除してくださったそうで、ありがとうございました』って、ちゃんと先輩として立ててくれましたよ。昔とは違っていましたね(笑)」

◆ドラマ『俺たちの朝』が大人気に

1976年、ドラマ『俺たちの朝』(日本テレビ系)の放送がはじまる。鎌倉を舞台に、オッス(勝野洋)、チュー(小倉一郎)、カアコ(長谷直美)、ヌケ(秋野太作)、ツナギ(森川正太)のさまざまな青春模様を描いたドラマ。

小倉さんは、オッスとカアコと3人で奇妙な同居生活を送るチュー役で出演。当初は1クール(13回)の放送予定だったが、大人気となり、1年間放送することに。

「最初は1クールのはずだったんですけど、視聴率がよくて2クールにしようと言っていたら、江ノ電ブームになって、『俺たちの朝』が放送されてから極楽寺にワーッと人が来るようになって、結局1年間やりましたね」

−急に放送本数が増えてスケジュールは大丈夫だったのですか?−

「最初は何本かほかのドラマもやりながらやっていたんですけど、テレビドラマは雨が降ったらロケが中止になって急遽セットになったりするので、ほかの仕事はやれないなあと思って、あれだけにしたんです。

そうしたら、普段は撮影所にいらっしゃらないプロデューサーの岡田晋吉さんが、『小倉君、このドラマの他に何をやっているの?』って聞かれたので、『かけもちは難しいのでこれだけです』って言ったら、『それは大変だなぁ。ギャラ上げてあげるよ』ってあげてくださいました(笑)」

−東京から鎌倉に行って撮影されていたわけですよね−

「そうです。当時は渋谷に住んでいて、国際放映撮影所を朝6時出発。早朝だからバスなんてないので、タクシーで撮影所まで行ってロケバスに乗って鎌倉へ。

それで、だいたい鎌倉で9時開始。七里ケ浜や極楽寺などで撮影して、帰ってきてセットで撮影。それが毎日」

−いいドラマでしたよね。毎週楽しみでした−

「そうですね。脚本をもらうのが楽しみでした。あの頃は、ビデオではなくてフィルムで撮っていて、国際放映で1本できあがると完成試写をやるんですよ。

そうすると後ろのほうで石井さんという録音のおじさんが、涙もろくて、『ウウーッ』て泣いてるんですよ(笑)。それで次の台本が来る。毎回その繰り返し」

−小倉さんはナイーブなチューちゃん役でした−

「そうです。鎌田敏夫さんと畑嶺明さんが、月に2本ずつ交代交代で脚本を書いていたんですね。

畑嶺明さんは文学座出身の俳優さんで、文学座の養成所で秋野太作さんと同期。それで畑嶺明さんがチューちゃんの回を書いてくれたわけ。

チューちゃんは俳優志望なんですよ。それで三流の大学に通いながら劇団の研究生になっていて、演出家役で蜷川幸雄さんが出てきたりして。

チューちゃんは家で稽古しているぶんには、オッスに『チュー、お前うまいなあ』なんて言われるくらいできるんですけど、肝心のオーディションなどでは緊張しちゃって、ガタガタ震えたりして全然ダメで落とされちゃう。

畑嶺明さんは俳優さんだったからそこら辺のところがうまい具合に投影されていて、チューちゃんの回は畑さんが本当によく書いてくださったなぁと思いますね」

−キャストの方のバランスもよかったですよね。勝野洋さん、小倉一郎さん、長谷直美さん秋野太作さん、森川正太さん−

「そうですね。男2人と女1人が同じ屋根の下に暮らす、しかもノンセックスで。どこかの飲み屋で飲んでいたとき、会社の社長さんみたいな感じの人が、『あの番組は教育上もとてもよろしいので息子たちに見ろって言っています』なんて言われたこともありますよ(笑)」

−皆さん休憩時間なども和気あいあいという感じだったのですか−

「本当に仲がよかったですね。それで毎晩のように、渋谷の僕のマンションの近くで飲んでいました。勝野さんとか森川正太とかね。秋野さんはお子さんが待っているので、すぐに帰っていましたけど」

−『俺たちの朝』で江ノ電も鎌倉も大人気になりましたね−

「そうですね。あのときは追っかけの子たちがタクシーで来て、撮影ができない状態になっちゃったりしてね。

助監督さんが、『次、長谷寺』とかって言うと、ギャラリーがみんな長谷寺に行っちゃうわけ。そうなると撮影ができないから、長谷寺だと嘘をついて七里ケ浜で撮影したりしていましたよ(笑)。

でも、本当に『俺たちの朝』は、毎日が楽しくて次の台本が楽しみでした。あれだけは何か違っていました。ああいうドラマは少ないですね」

優しいまなざしで懐かしそうに振り返る。次回後編では、俳句との出会い、40年のときを経て実現した若き日に結婚を約束した女性との再々再婚、平均年齢68歳の新ユニット「フォネオリゾーン」も紹介。(津島令子)

※『小倉一郎のゆるりとたのしむ俳句入門』(日本実業出版社)
俳優にして俳人の小倉一郎が初めて書いた、ユーモアたっぷりの俳句入門書

※『クゥタビレモーケ』(日本フォネオリレコード)
小倉一郎さん、仲雅美さん、江藤潤さん、三ツ木清隆さんによる新ユニット「フォネオリゾーン」のデビュー曲。平均年齢68歳の4人が派手なコスチュームに身を包み、歌って、踊って大ハッスル!

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