桐山漣、ベーシスト志望から俳優へ…4度目の挑戦で“仮面ライダー”に!「夢が叶った瞬間」

『仮面ライダー』シリーズ(テレビ朝日系)初となる2人で1人の仮面ライダーになる『仮面ライダーW』の主人公のひとり、左翔太郎役でブレークした桐山漣(※桐山漣の漣はさんずいに連が正式表記)さん。

『コードネームミラージュ』(テレビ東京)、『俺のスカート、どこ行った?』(日本テレビ系)、『いいね!光源氏くん』(NHK)、『おじさんはカワイイものがお好き。』(読売テレビ・日本テレビ系)、映画『曇天に笑う』、映画『貞子』などテレビ、映画に多数出演。主演作も多く、12月4日(金)から主演映画『海の底からモナムール』が公開される桐山漣さんにインタビュー。

 

◆20代前半は先が見えず、模索して…

小さい頃の夢は「仮面ライダーになること」だった桐山さんだが、中学生のときにギター、高校でベースをはじめ、ベーシストになりたいと思うようになったという。

「高校時代はずっとバンドをやっていて、高校生でありながら外で20歳ぐらいの人たちと一緒にバンドを組んだりしてやっていました。

でも、バンドだと4人とかで一つのものをつくっていくわけですよね。そうすると、どうしても自分というものがすごく強く出過ぎちゃっていて、やっぱりグループのひとりというのは、僕には向いていないと思うようになったんです。

もし、この先何年か経って音楽で駄目だったときに、バンドだと自分ひとりのせいにできないなって。何かそういった少し音楽に対してコンプレックスというか、ネガティブな発想を抱いてしまって、ひとりでできることの方が合うんじゃないかなって。

でも、やっぱり人前に立ったり、何かを表現したりということは好きだし、もともとドラマとか映画はよく見ていたので役者になろうと思ったんです。

『役者をやるんだったら、21、1歳の今、やろうと思ってスタートしなくちゃ20代半ばくらいになってやりたいと思っても遅いな』と思って。

役者のスタートとしては21、2歳って、わりと今の時代は遅い方かなと思うんですけど、14年前の自分のなかでは、そのぐらいの年が多分ギリギリラインだろうなあって自分で見切りをつけて、役者の世界に飛び込んできました」

−演技の勉強はどのように?−

「養成所みたいなところに通いました。何も知らないから、養成所に入ればデビューできると思っていたんですよ。素人だから入る前は何もわからなくて」

−レッスン料も払って?−

「そうです。入所金も払って毎月月謝を払っていました。月々2万円。それで1か月に3回レッスン。だからバイトをかけもちしたりしていました。それで、まだ音楽もやりつつだったので、結構模索していましたね、その時期は。先がまったく見えなくて」

−かなりいろいろなアルバイトをされたそうですね−

「はい。とんかつ屋、カフェ、100円ショップ、ティッシュ配り、マネキン人形を運んだり、日雇いなどいろいろやりました。やっぱりバイトをしないと食べていけなかったので」

−それはどのくらいの期間だったのですか?−

「養成所には1年ちょっと通ったんですけど、自分はここにいてはいけないなと気づいて、新しく事務所のオーディションを受けて、今の事務所の系列の事務所にお世話になって、今があるという感じです」

−ご家族は芸能界に入ることに関しては?−

「母親が『何でもトライしてみろ』というタイプなので、反対はされませんでした。もし、止められていたとしてもやっていましたけどね」

−やってみてお仕事を続けてこられて今があるわけですものね−

「ありがたいことですけどね。こうやって続けられているということは、すごくありがたいし、周りに恵まれてきたからこそだと思います。

音楽と違って、自分がやりたいといくら思っても、選んでもらわないと仕事に繋がらない職業じゃないですか。

あくまで僕らは音楽でいったら曲をつくるための楽器でしかないというか、そこでいろんな楽器が合わさって、一つの作品になるので」

※桐山漣プロフィル
1985年2月2日生まれ。神奈川県出身。2009年、平成仮面ライダーシリーズ第11作『仮面ライダーW』の左翔太郎役で菅田将暉さんとW主演をつとめ、連続テレビドラマ初主演を飾る。『RUN60』(2011年)、『吉祥寺の朝日奈くん』(2011年)、『東京闇虫』(2013年)、『群青色の、とおり道』(2015年)など主演映画も多数。『俺のスカート、どこ行った?』(読売テレビ・日本テレビ系)、『いいね!光源氏くん』(NHK)、『おじさんはカワイイものがお好き。』(読売テレビ・日本テレビ系)など話題のドラマに出演。12月4日(金)から主演映画『海の底からモナムール』が公開。

 

◆4度目のオーディションで念願の“仮面ライダー”に!

アルバイトをかけ持ちしながら模索する日々を送っていた桐山さんが最初に注目を集めたのは、2006年の『ミュージカル テニスの王子様』。オーディションを受けて丸井ブン太役を演じることになったという。

「当時、ミュージカルというものをあまり見たことがなくて、映画とかドラマがやりたいという思いで芸能界に入ってきたので、オーディションを受ける前に、『ミュージカル テニスの王子様』を見に行ったんです。

それで、はじめて見たときに、『こういう世界もあるんだ。歌とお芝居が共存していて』って思って。舞台を見る前は、自分も若かったから斜に構えていた部分もあったんです。

でも舞台を見てみたら面白くて、『これはオーディションがあるんだったら受けてみたいなあ』って思いました。それで、オーディションを受けたら受かったのでうれしかったですね。

うまいことハマる役があって、それが自分の本格的なデビュー作というか、この世界に繋がったきっかけです」

−そして2009年には『仮面ライダーW』に主演されることに−

「『テニスの王子様』のオーディションを受けながら、並行して特撮もののオーディションも受けていたので、仮面ライダーに関しては、『仮面ライダー電王』から『仮面ライダーディケイド』まで4作品の主役オーディションを受けていました。

21、2歳で役者をやろうと思ってはじめたので、自分なりのビジョンがあって、自分のなかのシナリオというか、年表みたいなのが決まっていたんですよ。

24、5歳くらいまでには特撮ものの作品をきっかけに、ステップを踏んでいくという。役者をやるにあたって、そこを通らずしてその先の自分の人生はないなって。

もし、25歳まで決まらなかったら、人生はまたちょっと違っていたかもしれない」

−そこまで考えていたのですか−

「はい。だから一回一回のオーディションが挑戦であり、チャンスでありという思いでした。それで、4回目で24歳のときに決まりましたね」

−ご自身が立てた年表通りですね−

「ギリギリでしたね(笑)。マネジャーから僕に決まったという知らせを聞いたときは、(東京・銀座)数寄屋橋の交差点にいたんですけど泣きました。

夢が叶った瞬間ってこんな感じなんだって思って。あのときのことは今でもよく覚えています。忘れませんね」

−思い描いていた特撮の撮影を実際にやってみていかがでした?−

「やっぱり未知の世界だったからわからなかったけど、自分がやるんだったら、きちんと人間を描きたいなと思いました。

決められたことだけやるとか、ただ悪い敵を倒せばいいとかいうのではなく、今の自分の年齢だからこそできるヒーロー像でありたいなという思いはそのときありました」

−帽子が似合っていてファッショナブルでかっこよかったですね−

「ありがとうございます。『仮面ライダーW』は、『テニスの王子様』以上に僕の名前をはじめて出させてもらった作品でもあるので、僕の人生が大きく変わった瞬間だったなって思っています、今でも」

−『仮面ライダーW』で女性ファンだけでなく、子どもたちにも声をかけられるようになったのでは?−

「そうですね。でも、帽子はあまりかぶらなくなりましたね。やっぱりハットのイメージが強すぎちゃうから、キャップとかニット帽とかかぶるようにしていましたね、あの頃は」

『仮面ライダーW』で人気となった桐山さんは、2011年、『RUN60』(園田俊郎監督)、『君へ。』(西村晋也監督)、『吉祥寺の朝日奈くん』(加藤章一監督)と立て続けに3本の映画に主演。ドラマ『花ざかりの君たちへ〜イケメン☆パラダイス〜2011』(フジテレビ系)も話題になり、若手イケメン俳優として注目を集める存在に。

次回は和製ジェームズ・ボンドと呼びたくなる特殊工作員を演じたスタイリッシュな主演ドラマ『コードネームミラージュ』(テレビ東京系)の撮影裏話、ユニークなキャラを演じて話題になったドラマ『おじさんはカワイイものがお好き』(読売テレビ・日本テレビ系)、主演映画『東京闇虫』などを紹介。(津島令子)

ヘアメイク:江夏智也(raftel)
スタイリスト:吉田ナオキ
衣装協力:WYM LIDNM、REV、GARNI、NUG

(c) Besoin d’Amour Film Partners

※映画『海の底からモナムール』
12月4日(金)よりアップリンク吉祥寺ほかにてロードショー
脚本・監督:ロナン・ジル 配給: アルミード
出演:桐山漣 清水くるみ 三津谷葉子 前野朋哉 杉野希妃
10年前、イジメに遭い、崖から飛び降りたミユキ(清水くるみ)は、タクマ(桐山漣)に「ただ愛されたい」という一心で、17歳のままの姿で海底を漂っている。10年後、高校卒業後初めて島を訪れることになったタクマたちに待っていたのは…

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