【織田哲郎 あれからこれから vol.11】あんなに「かわいい」言われてたのに… 英移住2年で背が伸びゴツくなり、アイデンティティ・クライシス

【織田哲郎 あれからこれから vol.11】あんなに「かわいい」言われてたのに… 英移住2年で背が伸びゴツくなり、アイデンティティ・クライシス

織田哲郎

★(11)

 英国での最後の半年はロンドンの自宅から近所の学校に通いました。当時、週末だけ日本人の子供に日本の教科を教える塾のようなものがあったのです。

 その頃の英国は、まだ相当はっきりした階級社会で、その学校は大学に行くヤツなんていないような学校でしたから、通い始めた途端に自宅の大家さんの態度が変わったのが印象的でしたね。

 日本だと不良もすぐ徒党を組みますが、その学校の危険なヤツは1人で行動してるヤツばかり。すぐナイフを出すヤツとか、校内でマリフアナを売ってるヤツとか。

 なぜか一番ヤバいと怖れられていた男とたまたま音楽の話で気が合って仲良くしていました。その友人に誘われ、初めてロック・フェスのようなものに行きました。

 昼の2時頃に始まって1時間ずつ各バンドが演奏して、トリのJ・ガイルズ・バンドが出てきたのは夜中の12時過ぎ。

 そこから盛り上がる、盛り上がる。客も長時間、酒やらハッパで完全に出来上がってますから狂乱状態。結局すべてが終わったのは、夜中2時を回っていました。人生初のライブ観戦がこれだったので、それ以降しばらくはなにを見ても「あれ、テンション低くない?」と感じる羽目になってしまいました。

 その学校に移っても、やはりレコードを聴きながら絵を描く時間が一番重要でした。育ち盛りでいつも腹が減っていたのに、昼食代で親からもらったお金も全部レコード購入にあてていました。

 そこら辺からだんだん今でいう“中二病”を発症し始め「俺には友達なんていらないんだ。一人で絵を描いていればいいんだ」みたいな思い込みが強くなり、仲の良かった友人たちと話もしなくなりました。ひたすら絵と音楽のことばかり考えるようになったのです。

 中1までの私は声も甲高く、今の私からは想像もできないくらい顔もポチャっとしてかわいらしい子供だったんです。自分で言っちゃいますが。

 だからひたすら騒がしかったり、訳の分からないことをしでかしたりしても、女子にフォローしてもらえたんだと思います。しかも“カワイイと言われていれば許されるぞ”という自覚もある、いやらしい子供でした。

 これが、英国にいた2年間で身長は20センチ以上伸びてゴツくなり、甲高い声もかわいげのない声になり、まあ要するに今の私の形ができあがったのです。客観的に見て「こりゃ全然カワイくないぞ」と思うわけです。

 これはもうアイデンティティ・クライシスってやつですね。相当イカレた中二病思考状態で、毎日数時間決まってじんましんが体中に出るようになった頃、日本に帰ることになったのです。(夕刊フジに連載中)

 ■織田哲郎(おだ・てつろう) シンガーソングライター、作曲家、プロデューサー。1958年3月11日生まれ。東京都出身。79年のデビュー当初からCMやアーティストの音楽制作に携わる。TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」で作曲家として注目される。主な代表曲は「おどるポンポコリン」(B.B.クィーンズ)、「負けないで」(ZARD)、「夢見る少女じゃいられない」(相川七瀬)など。自らも「いつまでも変わらぬ愛を」がミリオンセラーとなる。

 29日には東京・神田明神ホールで「ROLL−B DINOSAUR」のライブを開催する。

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