【ぴいぷる】「僕がギターを弾かんとシーナはがっかりする」シーナ&ザ・ロケッツ・鮎川誠 あふれる“ストーンズ愛”

【ぴいぷる】「僕がギターを弾かんとシーナはがっかりする」シーナ&ザ・ロケッツ・鮎川誠 あふれる“ストーンズ愛”

鮎川誠

 「ロックはタイムレス。ストーンズだって、今の音楽。心のワンジェネレーション。いつでも今が最高」

 黒い革ジャンに身を包み、サングラスをかけ煙草をくゆらせながら、シャイで知られる伝説のギタリストは訥々(とつとつ)と言葉を重ねた。

 昨年、NHKの朝ドラ「半分、青い。」で代表曲「YOU MAY DREAM」が劇中歌として使われ、再び脚光を浴びた「シーナ&ザ・ロケッツ」。今年デビューして41年目を迎える。

 1970年、当時“日本のリバプール”と呼ばれた福岡・博多でブルース・ロックバンド「サンハウス」を結成。後に“めんたいロック”と呼ばれるムーブメントの先駆けとなった。

 やがて妻・シーナと上京。78年にシナロケとしてデビューして以来、常にロック界の第一線で活躍してきた。

 しかし2015年、長年連れ添った妻をがんで亡くす。享年61。

 「病気と闘いながら、シーナは最後までステージに立ち続けた。バンドを解散することも考えましたが、僕がギターを弾かんとメソメソしてたら、シーナはきっとがっかりする」

 その言葉通り、17年には69(ロック)歳を記念して全国47都道府県ツアーを行い、自らギターを弾き、歌った。

 そんな鮎川を支えているのが、ロック界の偉大な先達、ザ・ローリング・ストーンズの存在だという。

 「中学の頃、みんなビートルズ、ビートルズ言うとった。自分だけのお気に入りがほしくてFEN(米軍極東放送)から流れるストーンズの『ノット・フェイド・アウェイ』を聞いた。リズムが大胆で激しく、暴れ太鼓みたいでぶっ飛んだ」

 街中のレコード屋を回って友達3人でお金を出し合いファーストアルバムを手に入れる。今でもA面「テル・ミー」、B面「かわいいキャロル」のドーナツ盤をよくかけていると言う。

 高校の修学旅行をキャンセルして、その積立金で友達からギターを譲り受け弾くようになる。そしてビートルズが来日した1966年の夏。生まれ故郷である福岡県久留米市の「サマービート66 エレキ祭り」で初めてステージに立った。

 「『ロックン・ロール・ミュージック』を始め、ビートルズが来日公演で演奏した曲に加えて、ストーンズの『一人ぼっちの世界』を演奏したことが自慢やった。ストーンズは自ら“ブルースの伝道師”を名乗る通り、多くの黒人音楽をリスペクトしている。ロックン・ロールのドアであり、ブルースの入り口なんよ」

 それだけに、90年の初来日は忘れられない。

 「88年にアルバム『ハッピー・ハウス』をニューヨークでレコーディングした際、参加してくれたホーン・セクションがストーンズのツアーに同行していて、その縁でバックステージにも遊びに行ったとよ」

 この時の目撃談は今や伝説となっている。音楽プロデューサーの細野晴臣と忌野清志郎が恐る恐る入っていくと、何とギタリスト、キース・リチャーズの膝の上にシーナが乗っていたというのだ。

 もしストーンズと一緒に演奏するとしたら?

 「やっぱり『サティスファクション』かな。ジャガー/リチャーズによる最初の大ヒット曲。シナロケも、最初からずっとやってきた」

 あふれる“ストーンズ愛”。開催中の「Exhibitionism ザ・ローリング・ストーンズ展」(5月6日まで)のアンバサダーも務めている。これまで世界6カ所で行われ、100万人以上を動員したビッグイベントだ。

 「生きとるバンドでこんなことするのはストーンズくらい(笑)。ロックで皆さんに会えるのが最高!」

 もうすぐ71歳。ロックな魂はまだまだ誰にも負けない。(ペン・島右近 カメラ・宮川浩和)

 ■鮎川誠(あゆかわ・まこと) 1948年5月2日、福岡県久留米市生まれ。70歳。九州大卒。妻でボーカルのシーナとロックバンド「シーナ&ザ・ロケッツ」を結成し、78年に「涙のハイウェイ」でメジャーデビュー。翌79年に発売した「YOU MAY DREAM」が大ヒット。2015年2月にシーナを亡くした後も、精力的にバンド活動を行う。4月28、29日、5月2日と新元号移行をまたぐ「鮎川誠生誕71年祭」を京都、名古屋、東京で開催予定。鮎川の生誕日に合わせ、東京・日比谷野外大音楽堂(14年9月)で行った「35周年記念ライブ」をDVDとして初リリースする。

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