【ジョン・ウェイン 西部劇の神髄】淀川長治さんがいなければ「地獄馬車」だった 「駅馬車」

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 今年はウエスタン・ヒーロー、ジョン・ウェインが72歳で亡くなって40年。彼の残した154本の映画から名作をピックアップしてみよう。

 『駅馬車』(1939年)はジョン・フォード監督の不朽の名作として知られる。主演に抜擢された『ビッグ・トレイル』(30年)は不評で、ウェインはそれ以降不遇が続いた。B級専門という目で見られていたが、この映画が大ヒットすると一躍スターの座に。

 アリゾナからニューメキシコに向かって駅馬車が出発した。乗るのは街を追われた女、飲んだくれの医者、騎兵隊の大尉に会いに行く貴婦人と護衛、保安官と商人、賭博師、そして御者。この面々がさまざまな出来事に直面する人間ドラマだが、何といっても山場はジェロニモ率いるアパッチ族が馬車を襲うシーン。『マッドマックス』の原型のような迫力だ。

 ラストの脱獄囚リンゴ・キッド(ウェイン)とプラマー3兄弟との決闘もまた記憶に残る出来。

 面白いのは53万ドルという低予算だったのだ。最初フォード監督は主演にゲイリー・クーパー、ヒロインのダラスにマレーネ・ディートリヒの起用を考えていた。いかんせん低予算の悲しさでそれは夢と消えた。

 そこで無名のB級俳優ウェインに白羽の矢が立ったのだ。もちろん周囲は猛反対。ウェインも嫉妬から先輩たちに嫌がらせを受けた。そこで監督はわざと「演技しようと思うな、俺の言うとおりにすればいい」とウェインにつらくあたった。

 原作はアーネスト・ヘイコックスの小説『ローズバーグ行き駅馬車』だが、フォード監督はそもそも文豪モーパッサンの小説『脂肪の塊』からヒントを得たと語る。何とも不釣り合いな対照だ。

 ユタ州のモニュメントバレーで撮影されたが、そこに住んでいたナバホ族が貧困に苦しんでいることを知ったフォード監督は、ナバホ族を雇用し裏方やエキストラに使ったというエピソードも。

 日本では新人宣伝マンだった淀川長治氏が初めて担当した作品で、邦題は最初『地獄馬車』でいく予定だったが淀長さんが猛反対し『駅馬車』と発案。宣伝がやりすぎだという理由で一度は会社をクビになった。しかし映画の大ヒットで呼び戻されたという。

 小津安二郎は「この映画を見ない奴はバカだ」とさえ述べている。(望月苑巳)

 ■ジョン・ウェイン

 1907年5月26日、米アイオワ州生まれ。映画スタジオで大道具係として働く中、ラオール・ウェルシュ監督に抜擢され『ビッグ・トレイル』(30年)に主演。64年には肺がんを発症したが、片肺を失っただけで奇跡の復活。79年6月11日、ロスの病院で死去。

 ■駅馬車

 39年公開(日本では40年)で監督はジョン・フォード。クレア・トレヴァー、トーマス・ミッチェルが共演。

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