【カリスマ逝く 激動!!ジャニーズ】自ら制作「映画 少年たち」 約50年かけて実現した“忘れ物”

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 私がCBSソニーで手がけたフォーリーブスから郷ひろみへとトップアイドルの時代を過ごしたジャニーズ事務所が、冬の時代を迎えていた。そんなときに発掘したのが見るからに美形の川崎麻世。

 川崎の売り出しは、ジャニー喜多川氏ではなくむしろ藤島メリー泰子氏が熱心だった。ところが3作目のシングルを制作中、メリー氏の自宅で女性トラブルを起こしたためにクビにしたとメリー氏から電話があった。

 ジャニーズ事務所の一角を成すと思われた彼がジャニー氏の触覚に触れなかったのは、そんな彼の負の一面をジャニー氏が本能的に見抜いていたからか。

 その後、現れたのが16歳の豊川誕。2歳のときに公園に遺棄されていたのを保護され、児童養護施設で育った生い立ちを隠さず、1974年にジャニーズジュニア3期生として入所。75年『汚れなき悪戯』でデビューしたが、77年以降、事務所への入退を繰り返した。親の愛情を知らずに育ち、ジャニー氏の親心に思い至れなかったのだ。

 今春、ジャニー氏が製作した『映画 少年たち』を見た。当時のアルバムがそのままちりばめられて感慨深かった…。というのもこの作品、正確にはこのタイトルに私なりの思い入れがある。

 実は69年にフォーリーブスのアルバム『フォーリーブス・ヤング・サプライズ 少年たち−小さな抵抗−』を制作したとき、収録曲を用いたミュージカル版を日生劇場で公演。プロデュースはもちろんジャニー氏。公演は反響を呼び、その後も改訂を加えながら再演を重ね、フォーリーブス10周年記念公演まで、7年間続いた。

 さまざまな事情で刑務所に入った少年たちの友情、平和や夢をテーマにしたエンターテインメント作品で、事務所のタレントが大勢出演する作品として定着し、今では若手メンバーの登竜門的な位置付けでもある。

 ジャニー氏はフォーリーブスのミュージカル制作の頃から『少年たち』の映画化への思いを持っていたのだろう。50年近くたって実現し、忘れ物を取り戻したような、欠けていた空席を埋められたような、満足感を味わったのではないか。

 半世紀にわたってジャニー氏の光と陰を見てきたが、この映画でプロデュース業を満喫して旅立ったのだろう。(音楽プロデューサー・酒井政利)

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