【ミッキー吉野 Half Century交遊録〜天国の恩人たち〜】愛と芸術に生きた素晴らしい女優 市原悦子さん

【ミッキー吉野 Half Century交遊録〜天国の恩人たち〜】愛と芸術に生きた素晴らしい女優 市原悦子さん

市原悦子さん

 市原悦子さんと初めてお会いしたのは、ATG映画「青春の殺人者」(1976年)の試写会。市原さんは主役の水谷豊さんの母親役で、音楽を僕たちゴダイゴが担当していました。

 それから20年後に旦那さんで演出家の塩見哲さんに声をかけられて、市原さんの舞台やライブにプレーヤーとして参加するようになりました。朗読アルバムなども一緒に作りましたが、あるとき、「2年後のスケジュールはどうなっているの?」と聞かれて。僕のピアノで舞台をやりたいとおっしゃるのです。そして2003年くらいから始めました。

 リハーサルは横浜で行いましたが、いつも電車で来て約束の30分前には到着されて、おにぎりとか持ってきていただいて。時間に正確な人で、僕の時間の概念も直されました。

 帰るときには僕が車で送っていくんですが、リハーサルの音源をかけると「これは地獄だ」って嫌がって。役者だから大事なのは“ライブ”。そんな感じでした。作った音を何度も聴き返さなくてはいけないミュージシャンとは違っていました。

 舞台のときは入り時間の3時間も前に来て、発声練習を始めていました。でも主役が舞台で練習をしていたら、ステージを準備したいスタッフの動きが止まる。だから僕が、「今はよくないですよ。あとで僕が練習に付き合いますから」って言ったこともあります。

 ショーケンにも当てはまるけど、普通は言いにくいことをはっきり言う僕を信頼してくれていたと思います。せりふの練習の相手をさせられたのも、気が許せる僕だったからでしょう。

 地方に行ったときはとにかく話し込みました。朝の8時に朝食を食べ、お昼もそこで食べて、午後になってスタッフが迎えに来る。芸術論が多かったですね。アーティスティックなところはショーケンと似ていました。

 2012年に女優復帰した市原さんが最初の作品に選んだのが、僕との「二人だけの舞踏会」。即興っぽいノリもリハでちゃんとやっていたし、全部計算したうえで舞台に臨まれていました。

 翌年の「たそがれの舞踏会」もご一緒しました。最後に共演したのは、15年のリーディング名作劇場『キミに贈る物語』。愛と芸術に生きた素晴らしい方でした。

 ■ミッキー吉野(みっきー・よしの) 1951年生まれ、横浜市出身。68年、ザ・ゴールデン・カップスに加入し『長い髪の少女』がヒット。71年に米バークリー音楽大学に留学し、74年に帰国。76年にゴダイゴ結成。2005年「スウィングガールズ」で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。29日に夕刊フジ・ロックフェスティバルVol.2「ミッキー吉野 Half Century」を恵比寿ザ・ガーデンホールで開催。10月にリリースする初のオールタイムベストCD「A Half Century Of MY Music Variety」(G−matics)を同会場で独占先行発売する。

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