五輪おじさん「金の扇子」の原点はメキシコ五輪

五輪おじさん、"金の扇子"の原点はメキシコ五輪 「機内で日の丸の金の扇子が配られ」

記事まとめ

  • 「五輪おじさん」こと山田直稔さんの訃報を受けて、国内外で追悼の言葉が広がった
  • 山田さんは、扇子を掲げるアイデアの原点はメキシコ五輪にあったと語っていたそうだ
  • 吉田沙保里氏は「五輪会場でお見かけした時には勇気をもらっていました」と綴っている

五輪おじさん「金の扇子」の原点はメキシコ五輪

五輪おじさん「金の扇子」の原点はメキシコ五輪

金の扇子を手にする山田さん

 夏季五輪でその姿が必ず見られた「五輪おじさん」こと都内の実業家・山田直稔さんの訃報を受けて18日、国内外で追悼の言葉が広がった。

 心不全のため9日に92歳で死去した山田さん。トーマス・バッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長は、「悲しい知らせだ。彼は1964年の東京からずっと全ての五輪を見てきた真のスーパーファンだった」とIOC公式ツイッターで哀悼の意を示した。

 レスリング女子で五輪3連覇の吉田沙保里はツイッターで「突然の訃報に驚いています。毎回、オリンピック会場でお見かけした時には勇気をもらっていました」とつづった。

 和装に日の丸が入ったシルクハットをかぶり扇子を掲げ、旗を振るスタイルは広く知られた。かつて本紙に、そのアイデアの“原点”は1968年メキシコ五輪にあったと語っている。

日本航空で行ったんだけど、たまたま機内で日の丸の金の扇子が乗客に配られた。今でもこんなもの(扇子)を持っているのは、アレが一つのきっかけなんですよ」

 64年東京大会から、日本がボイコットした80年モスクワ大会を含めてすべての夏季大会に足を運び、応援してきた山田さん。知人によると「64年は普通の応援。羽織はかまで参加したのはメキシコから」。そのメキシコで同国選手を日本人と間違えて応援したことから現地の人と心がつながり、五輪にのめり込むようになった。

 56年ぶりとなる東京大会に関連して山田さんが望んでいたのが、江戸城天守再建だった。明暦の大火(1657年)で焼失した天守については、市民団体などが再建運動を行っている。山田さんは独自に宮内庁などに働きかけたが、前向きな反応は得られず。「東京五輪までにそれをやれば盛り上がる」と熱弁を振るったが、かなわぬ夢となった。

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