“永遠のマドンナ”八千草薫さんの意外な素顔

“永遠のマドンナ”八千草薫さんの意外な素顔

テレビ局のスタジオで本紙取材に答える八千草さん(76年10月)

 永遠のマドンナは自然をこよなく愛した…。女優の八千草薫さん(本名・谷口瞳)が今月24日、都内の病院で膵臓がんのため亡くなっていたことが28日、分かった。88歳だった。八千草さんは今年2月に、がんであることを公表し、療養に専念していた。宝塚歌劇団出身で、数々の舞台、テレビドラマ、映画で活躍してきた。その一方で、公益財団法人「日本生態系協会」で10年以上も理事を務めた筋金入りのナチュラリストでもあった。 

 八千草さんは戦後間もない1947年に宝塚歌劇団に入団。美貌の娘役として名をはせ、51年に「宝塚夫人」で映画デビューを果たした。

 56年には、お通役で出演した映画「宮本武蔵」(公開は54年)が、米アカデミー賞名誉賞(外国語映画賞)を受賞。56年の「乱菊物語」で谷口千吉監督と出会い、翌年に結婚。子宝には恵まれなかったが、芸能界の“おしどり夫婦”として、夫が亡くなる2007年まで50年間連れ添った。

 出演したテレビ、映画は数知れず。多くの作品で良妻賢母を演じる中、77年のTBS「岸辺のアルバム」で不倫妻を演じ、話題になった。97年に紫綬褒章、03年に旭日小綬章を受章している。

 まさに日本を代表する女優だが、晩年は病魔との闘いの連続だった。

 17年に乳がんと診断され、同年12月には膵臓がんも見つかった。昨年1月に7時間の摘出手術を受け、その後は順調に回復していたが、今年2月にがんが肝臓に転移していることが分かり、療養を余儀なくされた。

 関係者によると、容体が急変したのは亡くなる当日の朝。午前6時ごろに看護師と「変わったことは特にないわ」などと会話を交わしていたが、しばらくして意識がなくなり、午前7時45分に帰らぬ人になった。本人の希望でお別れの会は開かれないという。

「男はつらいよ 寅次郎夢枕」にも出演。“永遠のマドンナ”と言われ、多くの男性ファンをトリコにした八千草さんが誰よりも自然を愛する、いわゆるナチュラリストだったことは、あまり知られていない。

 1985年から旧環境庁の自然環境保全審議会の委員を務めたキャリアを買われ、自然豊かな街づくりを目指すシンクタンク「日本生態系協会」で10年以上も理事を務めた。

 芸能人がこうした団体で理事など役職を務めると名ばかりのケースが少なくないが、その職責をきっちり全うした。しかも、無報酬だった。協会関係者によれば、八千草さんは理事会に毎回出席し、活動の予算や自身が来場できるイベントを確認するなど熱心な姿勢を見せていた。

 今年5月26日には協会が千葉県で開催したイベントに出席。同年2月に肝臓がんにより休業を宣言して以降、初の公の場で、生前最後の姿にもなった。
 気温は30度を超えた、季節を先取りしたような真夏日。協会関係者は闘病中の身を案じて「日傘を差してはどうですか?」とすすめたが、八千草さんは「結構ですよ」と、ほほ笑んだという。

 日傘を差しては周囲から心配されると遠慮し、普段通りに振る舞ったようで「それ(がん)を感じさせなかった」(前出関係者)ほど足取りもしっかりしていた。帽子をかぶり、ユーモアを交えてあいさつした。

 イベントでのスピーチにも力を入れていたという。

「こちらが用意した原稿に加え、事前に自身で話す内容を考えていました。こちらが言うのもおこがましいが、勉強していないとしゃべれないほどきちんとした内容。壇上では、こちらの原稿よりも多い分量で自身が考えた話をスピーチされました」(協会関係者)

 過去には秋篠宮さまが見守る中、あいさつしたこともあった。

 自然をこよなく愛した“永遠のマドンナ”八千草さん。大女優がまた一人、この世を去ってしまった。

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