【いろもの伝】“下ネタ芸”を確立したのはケーシー高峰さん 経歴や出身が効果的な前フリに

 前回、どぶろっくの前に“下ネタ芸”を確立したのはケーシー高峰さんだという話をしました。ケーシーさんは山形県の医者の一族に生まれ、自身も日大医学部に入学し、途中から芸術学部に転部しました。医者になりかけた本物のインテリなんですね。

 そのインテリが白衣を着て、医療的な話をフリにしつつ、アホみたいな(いい意味で)下ネタを言うんですね。例えば「ソビエトの産婦人科の医者、スキマノフチチスキーという人が(失笑する客席に向かって)いや、本当だって。『乳房(にゅうぼう)は大きい小さい関係ない。乳首(にゅうしゅ)がピョンと出た女性の方が感度がいい』と言うんだね。そのピョンと出た乳首をふと触ると、さわった瞬間『イヤン』。これをピョンヤン(平壌)と言ってます」「ヨーロッパに重症の肛門の患者が7人いる。これが痔7(G7)」。

 改めて読むと、ただのダジャレですよね(笑い)。しかし、ケーシーさんの経歴や出身がフリとして効いているから、ダジャレや下ネタが大きな落差を生んで爆笑につながるんですね。山形のなまりも効果的です。下ネタを緩和し、織り交ぜる「クランケ」「グラッチェ」といったドイツの医療用語やイタリア語を引き立てます。体の話は誰にでもわかりやすいですし、ほんと、ケーシーさんにしかできない“至芸”です。

 寄席に出ると必ず爆笑を取るから、実はどんな名人もケーシーさんの後に出るのを嫌がりました。どぶろっくは全くタイプが違うけれど、あの芸を磨いていけば、ケーシーさんのように長く、いつまでも爆笑を取れる芸にたどりつくかもしれませんね。

☆りっきー=1958年9月8日生まれ。京都府出身。本名・岡博之。81年に「ブッチャーブラザーズ」結成。サンミュージック初の所属芸人に。プロダクション人力舎に移籍後、92年に開校した東京初のお笑い専門学校「スクールJCA」講師を務めた。現在サンミュージック常務取締役。

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