田村正和さんと時代劇 「眠狂四郎」の撮影秘話を中島貞夫監督が語る

田村正和さんと時代劇 「眠狂四郎」の撮影秘話を中島貞夫監督が語る

田村正和さん(1972年の「週刊新潮」に掲載時のもの)

 昭和中期から平成まで日本を代表する二枚目スターだった俳優の田村正和さんが4月3日に逝去した。77歳だった。現代劇も時代劇も出来る貴重な存在だった。1996年のスペシャルドラマ版「眠狂四カ」(テレビ朝日)などを撮った中島貞夫監督(86)が、ありし日の正和さんを偲ぶ。

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 中島監督は東映「まむしの兄弟シリーズ」などを撮ったヤクザ映画の大家だが、一方で同「真田幸村の謀略」(1979年)などを撮るなど時代劇のスペシャリストでもある。

「眠狂四カ」などで組んだ正和さんの時代劇俳優としての才能はどう評価していたのか。

「良い俳優さんでしたよ。やっぱり親が親だから、何が大切なのかが分かっていましたからね」(中島監督、以下のカギ括弧は全て同)

 田村さんの父親が、戦前から戦後にかけて時代劇を中心に活躍した故・阪東妻三郎さんなのは知られている通り。日本を代表する大スターだった。今も映画の上演会が行われている。

 そのDNAを受け継いだ田村さんは時代劇のツボを心得ていた。

「たとえば立ち回りでの『残心』を大切にしていました」

 残心とは、相手から攻撃された時、瞬時に返すことができるよう身構えていること。時代劇においては相手を斬った後の態勢のことも指す。

「そういったことの大切さが分かる俳優さんは少ないですからね」

 正和さんの狂四カはカッコ良かった。女性ファンをシビレさせる一方、目の肥えた時代劇通も満足させた。それは容姿端麗だったことばかりが理由ではなく、基本がしっかりしていたからなのだ。

 殺陣などの動きの早さはどうだったのか。現代劇の動作はどちらかというとスローだったが。

「素早いほうでしたよ。殺陣のおぼえも良かった」

 だからこそ正和さんは「眠狂四カ」を当たり役に出来た。

 原作は故・柴田錬三郎さんの小説「眠狂四郎無頼控」。狂四郎は主人公の剣客だ。1956年5月から「週刊新潮」で連載が始まった。

 狂四郎役は故・I田浩二さん、故・市川雷蔵さんらも演じたが、現役世代には正和さんのイメージが一番強いはずだ。

 正和さんの狂四カの初登場は1972年。連続ドラマだった。関西テレビが制作し、フジテレビ系で放送されると、大人気となる。

「円月殺法」を使う狂四郎は無敵。淡々と人を斬る。孤高で、女にモテた。

 正和さんは原作のイメージと合った?

「合わないところもありましたね。正和ちゃんの狂四郎はちょっと重かった。原作だともう少し軽い男ですから。だけど、そこは正和ちゃん版の狂四郎ということで良かったんじゃないですかね」

 原作に合わせるようなことはしない人だったのだ。うなずけるではないか。

「自分のスタイルを大切にしていましたからね。自分の形に非常に拘る人でした」

 となると、演技指導が難しかったのではないだろうか。

「ええ。あんまり楽じゃないこともありましたね。こちらが『こうして欲しい』と言おうが、正和ちゃんが自分で決めている枠の中での演技しかしませんでしたから。こちらがしてほしい演技が出来ないわけじゃないんですよ。しないのです」

 正和さんらしい。

 中島監督は撮影の合間の正和さんの姿が印象的だという。

「決まって横になっていました。とにかく寝てた。誰かと話をするわけではないし、本を読むわけでもない。体がしんどかったわけではなく、体をいたわっていたんでしょうね」

 主演は座長でもある。俳優によっては周囲にやたらと気を使い、連日のように菓子などを用意する。正和さんはどういう座長だったのだろう。

「菓子の用意なんてしたことがありませんよ。そういうタイプじゃないでしょ」

 だが、そもそも無口なので周囲に不快感を与えるような発言はしないし、演技でも自分ばかりが目立とうとしなかったので、慕われる座長だった。何もしなくても周囲から盛り立てられるタイプだった。

 一方、田村さんは狂四郎役を愛した。最初の連ドラ版の後、テレ朝のスペシャルドラマ版に4本出演した。

 最後の作品も2018年2月放送のスペシャルドラマ「眠狂四郎 The Final」。これはフジが制作した。

 その放送前に「狂四郎は大切な作品」と語っていた。半面、撮影が終わると、体力の衰えから満足な演技が出来なかったと嘆いていたという。以後、仕事から離れ、結果的にこのドラマが遺作となった。

 やはり名優だった兄の田村高廣さんは2006年に77歳で他界しており、これで阪東妻三郎さんのDNAを受け継いだ「田村3兄弟」は田村亮(74)だけになってしまった。

「3兄弟の芸風は不思議なくらい似ていない。お父さんの持っていた軽さを継いだのが高廣さんで、やはりお父さんにあった重さを持ったのが正和さん」

 確かに、高廣さんの代表作の1つである映画「泥の河」(1981年)は正和さんには似合わないだろう。一方、フジ「古畑任三郎」(1994年)は正和さんならではの役だ。

 成城学園高校在学中の1961年に映画「永遠の人」でデビューした正和さんはずっとスターだったように思われているが、1980年前半、ほんの僅かに存在感が薄らいだ時期がある。

 40歳前後のこと。中島監督が言う通り、「自分のスタイルを大切にしていた」ことから、「何をやっても田村正和」と言われるようになってしまった。

 だが、それでも正和さんは決して自分のスタイルを崩さなかった。その後、TBS「うちの子にかぎって…」(1984年)、同「パパはニュースニュースキャスター」(1987年)などコメディにも登場するようになったが、スタイリッシュでダンディなのは一緒。正和さんが作品に合わせるのではなく、正和さんに合わせた作品がつくられた。

 タイプは違うが、ずっと自分を曲げなかったところは故・高倉健さんと同じ。一流の証明だ。実は俳優の中には「それが俳優の理想像」と話す人が多い。

 フジ「さよなら、小津先生」(2001年)など変わらない正和さんの存在があったからこそ、企画されたドラマは数多い。

 正和さんの死は1つの時代の終わりでもある。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年5月22日 掲載

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