韓国に民主主義が根付かないのはなぜか 儒教説、傲慢説、米国離れ説も

 韓国の与党がメディアを懲罰する法の導入を図る。何人もの犠牲者を出してようやく民主化した国が、34年後の今になって「独裁時代」に戻るのはなぜか――。韓国観察者の鈴置高史氏が考える。


■国連も批判するメディア懲罰法


鈴置:与党「共に民主党」が成立を狙う「言論仲裁法」。韓国の野党に加え、国連など国際社会も言論の自由を侵害すると厳しく批判しています。

 厳密に言うと、「共に民主党」が目指すのは「言論仲裁および被害救済等に関する法律」の改定です。虚偽報道による被害者を救済するため2005年に制定された法律を、今後はメディアに懲罰的な罰金を科せるよう変えるというのです。

 新たに設けるのは「損害額の5倍を超えない罰金を科す」との条文です。「損害額」の認定次第で、天文学的な罰金も可能になります。

「虚偽報道」の定義も不明確なうえ、報道被害と認定するのは文化体育観光部という省庁の傘下にある言論委員会です。改定案が通れば、メディアは手がすくんで暴露記事などを載せにくくなります。政府のメディア支配は一気に強まるでしょう。

 いわゆる西側の先進国で、こんな“メディア懲罰法”を持つ国はありません。そこで国際社会も驚き、こぞって非難しているのです。

 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は文在寅(ムン・ジェイン)政権に懸念を表明しました。世界新聞協会(WAN-IFRA)、国際ジャーナリスト連盟(IFJ)、ソウル外信記者クラブ(SFCC)など、世界のメディア関連団体も法案の廃棄を求めています。

 韓国の政界でも「共に民主党」以外はすべて――保守の「国民の力」、中道の「国民の党」、左派の正義党もこの法案に反対です。新聞業界でも、保守の朝鮮・東亜・中央だけでなく、政権に近い左派のハンギョレさえも反対しています。


■「誤報が多いから政府が指導」


 朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代の1974年から翌年にかけて「東亜日報白紙広告事件」が起きました。政権に批判的な東亜日報に広告を出さないよう、政府が企業に圧力をかけたのです。

広告欄が真っ白という異様な新聞を出さざるを得なくなった東亜日報は経営が急速に悪化。結局、反政府的な記者らを大量に解雇することで政権と手打ちしました。

解雇された記者らは1987年6月の民主化の後に「ハンギョレ」を創刊しました。文在寅政権の重大なスキャンダルも報じないハンギョレは、御用新聞と揶揄されます。それでも言論仲裁法の改定に反対するのは、言論弾圧に抵抗した遺伝子が残っているのでしょう。

 民主化まで、厳しい検閲を受けた韓国の新聞・放送には政権に都合の悪い記事は一切載りませんでした。検閲官の目をいかに誤魔化して「伝えたいこと」を書くか、当時の記者は小さな声で教えてくれたものです。韓国は絵に描いたような「独裁国家」だったのです。

おりしも東西冷戦の最中でした。メディアを担当する政府高官に「新聞を検閲するなんて、東側と変わらないではないか」と訊いたことがあります。答えは「ご存じの通り、韓国の新聞は間違いだらけ。政府が指導し、正してやる必要がある」でした。

 デ・ジャヴです。再び今、「メディアの誤報」を理由に、韓国政府が言論の自由を踏みにじろうとしているのです。

 当時の独裁政権は外国メディアには直接的な検閲をしませんでしたが、気に入らないことを書いた特派員はどんどん追放しました。ソウル支局には情報機関員が日常的に出入りし威嚇するのも常でした。今回の言論法改定に関し、「共に民主党」は「当然、外国メディアも対象に含まれる」と発表しています。


■大統領選に勝つためなら何でもやる


――改定案は国会を通過しそうですか?

鈴置:議席の過半数を握る「共に民主党」は、8月19日に委員会で強行採決しました。ただ、野党の必死の抵抗により本会議への上程は阻止され「冷却期間を置く」として9月27日以降に延期されました。成立するかは、今日からの与野党の攻防にかかっています。

――世界から非難される法案を与党はなぜ、押し通すのですか?

鈴置:2022年3月投票の大統領選挙で勝つためです。韓国では大統領選挙に突入すると、暴露合戦が極まります。保守と左派の双方が、証拠もない話を自分の側のメディアに流して相手候補を貶め合う。

 暴露話が嘘であっても、選挙に負ければおしまいです。そこで今、権力を握っている左派は「天文学的な賠償金」をちらつかせ、保守メディアの報道を抑え込もうとしているのです。

 与党は「この法律の施行は大統領選挙後の2022年4月にする」と言っていますが、野党は信じていません。与党が国会で多数を握っている以上、施行日ぐらい、法案成立後にいつでも変えられるからです。

――“メディア懲罰法”が成立したとして、保守が政権を取れば廃止するのでしょうか?

鈴置:法案は存続するだろう、と見る韓国人が多い。権力を握った側にとって、メディアの批判を無言のうちに抑え込める、こんなに便利な法律はないからです。

 左派も保守の「本音」を見透かしています。8月20日「共に民主党」の宋永吉(ソン・ヨンギル)代表は「国民の力」に向かって「一生、野党だけするつもりか」と言い放ちました。「政府・与党になれば実に使い勝手のいい法律だから、賛成したらどうか」と持ちかけたのです。

■報復が報復を呼び、民主主義を壊す


――それにしても強引な……。

鈴置:左派も死に物狂いなのです。国をいかに危うくしようとも、権力を手放すわけにはいかない。保守に政権を取られれば、過酷な報復が待っているからです。

 文在寅政権は李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)という保守の2人の大統領経験者を監獄に放り込みました。保守政権下で最高裁長官や軍の司令官、情報機関のトップを務めた人らも怪しげな罪で告訴し、裁判にかけています。

 文在寅大統領にすれば盟友、盧武鉉(ノ・ムヒョン)氏を殺された復讐です。盧武鉉氏は大統領を退任するやいなや検察の取り調べを受け、自殺に追い込まれたからです。しかし、左派に復讐された保守も恨み骨髄。政権を取り返せば、報復しない方がおかしいのです。

――報復が報復を呼ぶ……。

鈴置:ええ、そしてその過程で民主主義が壊れ始めたのです。言論仲裁法改定だけではありません。2020年、秋美愛(チュ・ミエ)法務部長官は3回にわたって指揮権を発動しました。政府・与党の様々のスキャンダルを捜査しないよう、検事総長に命じたのです。

 指揮権発動は民主化以降、一度だけあったとされています。それが突然、1年間に3回も発動されたのです(「ヒトラーの後を追う文在寅 流行の『選挙を経た独裁』の典型に」参照)。

 2021年の高位公職者犯罪捜査処(公捜処)の設立も、報復合戦の中で民主主義の仕組みが壊れた典型です。公捜処設立の建前は「公務員の不正・腐敗を摘発する」ですが、韓国人の多くは「左派の検察」と見なしています。 

 軍事独裁時代、政権を握る保守は検察を使って反対派を起訴しまくった。民主化後も検察には保守色が残りました。左派は大統領を退任した盧武鉉氏への捜査も、保守の陰謀と見なしたのです。


■大統領候補を捜査する公捜処


 2017年に左派が政権を握ると、直ちに公捜処の設立に動きました。その権限は巨大です(「『公捜処』という秘密兵器で身を守る文在寅 法治破壊の韓国は李朝以来の党争に」参照)。

 大統領や首相を含む上級の国家公務員、国会議員、将官級以上の軍人、地方自治体の首長と、それらの家族への捜査権を持ちます。長官、裁判官、検事、警察の上級職委員と家族に対しては、捜査権に加え起訴権も持ちます。

 こうした人々を捜査しようとする他の司法機関は、まず公捜処に申告せねばなりません。公捜処が必要と判断すれば、その捜査を引き継げます。公捜処がもみ消したい事件は、自ら手掛けて無罪にすればいいのです。

 左派は「保守の牙城」たる検察を含め、すべての司法機関による捜査を防御する盾を得たのです。もちろん、保守派への攻撃兵器としても活用できます。実際、公捜処は「国民の力」の有力な大統領候補、尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏の捜査に乗り出しています。

 先ほど、2020年に指揮権が3回にわたり発動されたと申し上げましたが、命じられたのが当時、検事総長だった尹錫悦氏です。左派と見られていたため、文在寅政権に検事総長に抜擢された人です。

 当初は保守の犯罪捜査を主導しましたが、次第に左派政権の犯罪も追及し始めたため、法務部長官は尹錫悦総長に相談せず、政治が絡む事件を担当する検事を一斉に左遷しました(「独裁へ突き進む文在寅 青瓦台の不正を捜査中の検事を“大虐殺”」参照)。

 それでも尹錫悦総長はひるまず捜査を続けさせたため、文在寅政権は指揮権を発動するに至ったのです。さらには尹錫悦総長を停職2カ月の懲戒処分としました(「ついにヒトラーと言われ始めた文在寅 内部対立激化で『文禄・慶長』が再現」参照)。

 裁判所はこの懲戒処分の執行停止を決めましたが、結局、尹錫悦総長は辞任しました。ただ、この左派政権と戦う姿勢が評価され、「国民の力」の大統領候補の1人に担ぎ出されました。そして、ほぼ同時に公捜処が職権乱用の疑いで捜査を始めたわけです。


■料金を受け取らない運転手


――まさに泥仕合。まともな民主主義国とは言えませんね。

鈴置:ここ数年で、韓国の民主主義は音をたてて崩れ落ちました。あれだけ苦労して独裁体制から脱したのに、実にあっけないものでした。

 韓国の民主化は、多くの人々の犠牲の上に成り立っています。1987年の民主化闘争だけでも、警察の拷問でソウル大学の学生が殺され、催涙弾の水平射撃で延世大学の学生が死にました。

 当時、デモの現場に行くためタクシーに乗ると、料金を受け取ろうとしない運転手さんがいました。「韓国の新聞はデモを書けない。代わりに我々の思いを世界に伝えて欲しい」と言うのです。

 民主化が宣言された1987年6月29日、民主化を求めていた人々はもちろん、左派の台頭を懸念する人々でさえ、喜びを隠しませんでした。「自由にものが語れる」安心感は何ものにも代えがたかったのです。

 それまで、喫茶店で雑談を交わす際も話題が少しでも政治に及ぶと、後ろを振り返りながら小声で語るのが普通でした。情報機関員があちこちで耳を澄ませていたからです。


■拷問がなくなれば民主化?


――では今、「言論法改悪」に関し国民的な反対運動が起きている?

鈴置:それが、まったく起きていないのです。それどころか、世論調査を見ると「言論仲裁法の改定に賛成」と「反対」はほぼ半々。敢えて言えば「やや賛成の方が多い」調査結果が目立ちます。

――なぜでしょうか?

鈴置:韓国人のメディア不信は日本人と同様かそれ以上で、「記者(キジャ)」に「ごみ(スレギ)」を足した「キレギ」という表現がネット上で定着しています。日本語の「マスゴミ」に相当します。

 「キレギ」を憎む人々は、いい加減なことを書き散らすメディアは天文学的な罰金で懲らしめてやればいい、と考えるのです。

――でも、言論の自由は民主主義の基本でしょう。

鈴置:今になって考えると、1987年の「民主化」は本当の民主化だったのか、首を傾げるのです。原動力となったのは、西欧型の民主主義を実現したいとの熱望ではなかった。政府が学生をいとも簡単に殺し、たわいもない政府批判さえ言うに言えない、陰鬱な空気への反発だったと思います。

 現在は「もう、拷問も検閲もなくなった。喫茶店で政治を語る時に後ろを振り返る必要もない。これで十分ではないか。『キレギ』の報道の自由など、自分とは関係ない」と考える人が多いのでしょう。


■儒教と相性の悪い民主主義


――民主主義の利点は拷問や検閲がないだけではありません。

鈴置:確かに、成熟した民主主義の最大の長所は、法治を通じた「社会の安定性」です。政権が変わっても前の政治指導者は監獄に放り込まれないし、自分の名誉や地位が突然に侵されることもない――。

 しかし、こうした「安定性」は民主化後の韓国にもたらされなかった。そのため「安定性」を保障する、司法の中立や報道の自由がいかに重要かに韓国人は気付かないのだと思います。

 循環論法的になりますが、成熟した民主主義を知らない社会には、それを求める声は起きず、それに進むこともないのです。

――身も蓋もない意見ですね。

鈴置:欧米の韓国専門家の間でも「韓国の民主主義の崩壊」が話題になっています。「同じ日本の植民地だった台湾の民主主義が着実に進化しているのに、韓国で後退するのはなぜか」との議論も始まりました。

――結論は?

鈴置:まだ、出ていませんが、まずは「儒教説」が語られます。日本が統治するまで、韓国人は法治を軽視する儒教をベースに国を運営してきた。その発想が現在でも根強いため、法律をベースに運営される成熟した民主主義には到達しないのだ――との見方です。

 一方、台湾は中国大陸の歴代王朝の支配が届いていなかった。この島で、国家らしい国家が運営されたのは日本の植民地になってからであり、儒教が入り込む余地はなかった――と説明されます。


■「民主化も産業化も自力で達成」


「傲慢・謙虚説」というのもあります。韓国人は「高度の民主化を実現した」と信じ込み、外の世界に広がる成熟した民主主義の存在に気付きもしない。一方、台湾は謙虚に自らを見つめ、民主主義の成熟に努めている、との分析です。

 この見方も説得力があります。ネットにしろ新聞にしろ、韓国の言論空間では「我が国の民主主義の水準は日本を大きく超えた」「我が国は民主化も産業化も自力で成功した世界で唯一の国だ」といった言説が飛び交っているからです。

 「米国離れ説」もあります。1987年の民主化は、全斗煥(チョン・ドファン)政権が米国の顔色を見た部分が大きかった。「ソウルの春」をつぶし、クーデターで権力を握った全斗煥政権は米国の受けが相当に悪く、民主化運動をあれ以上に弾圧したら米国から見はなされかねなかった。そこで不本意ながら民主化を宣言したのです。

 ところが今や、韓国人の多くは「米中を天秤にとって操る国力を備えた」と考えている。もう、民主化の後退による「見捨てられ」を心配する必要もないわけです。

 その点、1979年に米国との国交を断たれていた台湾は、1980年代に到来した「アジア民主化の時代」に米国の顔色を気にしすぎることもなければ、国力が増進した後も「米中間の天秤」を妄想することもありませんでした。


■「従中」を加速する民主主義の後退


――韓国の民主主義が外交と関連する、との見方は興味深い。

鈴置:今後の展開を読む際、それが極めて重要になります。韓国人が西欧型の成熟した民主主義を望まない以上、中国の台頭を恐れる心情も生まれません。

 日米豪印の人々が、事実上の対中包囲網、QUADを構成した心情と比べると明らかです。「中国のような反民主的な国が世界を主導するようになっては大変だ」というのが4カ国のコンセンサスです。

 韓国人が西欧型の民主主義を目指しているのなら、QUADに躊躇なく参加しているはずです。中国から圧力があろうと、自分の価値観を守るために必要なコストだからです。

 日本と異なり、韓国が「離米従中」するのは地理的にも歴史的にも中国と近いという地政学的な原因に留まらない。「日本や欧米とはもはや、価値観が異なる」ことにも起因するのです。

 今後、韓国の民主主義が後退するほどに、中国への傾斜も増すでしょう。この意味でも、我々は韓国の民主主義の行方をじっくりと観察する必要があるのです。


■「日韓は運命共同体」と語る首相候補


――「異なる道を歩む日韓」との見方は今や常識と思いますが……。

鈴置:「日韓は利益や価値観を共有する。だから手を携えよう」と考える日本人がいまだにいます。例えば、自民党の総裁選に出馬した野田聖子幹事長代行も2021年2月、朝鮮日報のインタビューに答え「運命共同体にならねばならない」と語っています。

「韓日は運命共同体…難しい状況をともに克服」(2月18日、韓国語版)から発言を翻訳します。

・韓国と日本は大国ではありません。米国や中国など大きな国に取り囲まれている状況を克服するために、運命共同体であるとの考えを持つ必要があります。

 日本の首相になろうという人も、韓国に関してはこんな認識なのです。

鈴置高史(すずおき・たかぶみ)
韓国観察者。1954年(昭和29年)愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本経済新聞社でソウル、香港特派員、経済解説部長などを歴任。95〜96年にハーバード大学国際問題研究所で研究員、2006年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)でジェファーソン・プログラム・フェローを務める。18年3月に退社。著書に『米韓同盟消滅』(新潮新書)、近未来小説『朝鮮半島201Z年』(日本経済新聞出版社)など。2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

デイリー新潮取材班編集

2021年9月27日 掲載

関連記事(外部サイト)