「じゃない方芸人」と呼ばれた麒麟・川島はなぜ“逆襲”できた? ノブコブ徳井が考察

■超能力者・川島明


 今年2月、お笑いについて熱く考察するエッセイ『敗北からの芸人論』を上梓した平成ノブシコブシ徳井健太さん。今回語るテーマは「麒麟」。長年親交のある徳井さんから見た二人の素顔とは――。

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 今年の2月末に『敗北からの芸人論』を発売してからというもの、ありがたいことに芸人やバラエティー番組についての考察を語る、といった仕事が増えた。

 これも読んで下さった皆さんのおかげと、本に書かせていただいた21組の芸人さんたちのおかげです。ありがとうございます。

 加えて、決して忘れてはならないのが、帯に推薦の言葉を書いて下さった朝日奈央さんと、麒麟・川島明さんへの恩。

 朝日さんとは、「ゴッドタン」の「腐り芸人」という企画が産声を上げた瞬間、彼女はサブMCとして見守ってくれた、いわば同期のような間柄。

 川島さんは、僕とたった1年半しか芸歴の差がないとは思えないほどの超能力者。その才能が世間からきちんと評価され、現在は覇王道まっしぐらだ。

「芸能界に迷いこんだ冒険家、徳井による 天才芸人見聞録である」

 これ以上ないくらい僕の芯を捉え、それでいてポップでキャッチーな推薦文を下さった川島さん。

■「もうちょっとわいわい楽しく打ちたかったんやけどなぁ」


 相方の田村(裕)さんは、芸歴わずか8年目に刊行した自叙伝『ホームレス中学生』が、225万部の大ヒットとなった。

 そんな田村さんとは麻雀を一度打ったことがある。でも残念ながら一度だけ。

 原因は僕にあって、下品な「鳴き」や「ダマテン」を繰り返すことに、「もうちょっとわいわい楽しく打ちたかったんやけどなぁ」と田村さんは悲しそうな声を上げた。それ以来、卓の前ではお会いしていないが、劇場では何度もご飯に連れて行ってもらったし、現場や楽屋が明るくなる叫び声を、何度も何度も聞かせてもらった。

 ということで、今回は麒麟のお二人について、僭越ながら少し考えてみたい。


■笑い飯、千鳥、麒麟の「三羽ガラス時代」


 そもそもが規格外だったんだと思う。

 M-1初年度の2001年、まだ芸歴3年目にもかかわらず麒麟は決勝へ進出し、2003年からは4年連続決勝へ駒を進める。

 笑い飯さんと肩を並べるくらい、「M-1の申し子」だといえる。今では珍しくない、前半が実はフリになっていて、後半で次々と謎が笑いに変わっていく「伏線回収型の漫才」は、僕が観た中では麒麟さんが最初だった。

 僕らが東京の劇場によく出させてもらっていた2000年代前半、大阪の劇場は様変わりしていた。

 人気のある先輩方が次々に卒業し、笑い飯・千鳥・麒麟の三羽ガラス時代が到来していた。

 超お笑い至上主義で、「おもろいか、死ぬか」の二択を常に突き付けられているような、重さのある窒息感にも似た空気が劇場を押さえつけていた。そんな大阪の劇場の中でも麒麟さんだけはすでに、ポップ、と呼んでもいい空気感を出されていて、ふつうのお客さんも笑いやすい優しさと、ちゃんと「売れたい」という感性を持ち合わせていたと思う。

 その上、トークはできるし大喜利は面白いし、ネタもすごいし、結果も出す。


■「じゃない方芸人」と呼ばれたことも


 これ以上ないくらい順風満帆に見えていたが、当の川島さんは「生き地獄だった」と、僕の音声コンテンツ「酒と話と徳井と芸人」で語ってくれた。

「じゃない方芸人」
 
 なんと残酷でキャッチーな言葉を「アメトーーク!」は発明したのだろう。

『ホームレス中学生』の大ヒット以降、川島さんは、「麒麟のじゃない方」として田村さんの隣に座り続けることになる。

 と、当時を振り返る川島さんやその頃の世間は言っていたが、僕からすればやはり、川島さんはすごい、という印象がその頃から強かった。

 川島さんがじゃない方芸人? そんな馬鹿な。後輩からすれば、いつだって、オールマイティー面白い芸人だ。


■田村の優しさと“品”


 田村さんも今では「バスケ芸人」といじられたりしているが、僕は芸人として芯があり、意外なことかもしれないが、とても上品な人だと認識している。

 幼少期にあれだけ貧乏だったとか関係なく、田村さんは本当に優しく、品があるのだ。

 それに礼節にも厳しく、後輩の面倒見も良く、他人を押しのけて「自分が自分が!」と目立とうとする立ち振る舞いも僕は見たことがない。

 そんな田村さんを僕が最高に格好いいと思うのは、川島さんの活躍で、気が付くと世間から「じゃない方」として扱われるようになった時、田村さんはいじられることをしっかりと受け入れた。これは、できるようでなかなかできない。そんじょそこらの若手では、受け入れられることではない。

 だって、田村さんはできる人だから。

 面白いし、優しいし、本気を出したらすごいのに、世間からいじられることを受け入れる。ここが、芸人して、はたまたタレントとして、可愛げがあるかないか、ということなんだろう。「いや、お前らよりおもろいわ!」とか「M-1の決勝、何回いったと思ってんねん!」とか、言いたくなる。でも、そんなちんけなプライドよりももっと根幹にある品と賢さで、田村さんはいじりや非難も全身全霊で受け止め、笑いで跳ね返し続ける。


■「ラーメンはおごったうちに入らん」


 田村さんの素晴らしさについて、書けば書くほどさまざまなことが思い出される。

 少し前に小籔(千豊)さんが、「田村におごってもらった後輩たちは、全員少しずつカンパするべきや」とこぼしていた。『ホームレス中学生』の印税はとんでもなかったと思う。

 けれど、当時何も知らない若手芸人だった田村さんは、半分くらいは税金でとられてしまうとは露知らず、後輩やお世話になった人の為に散財し続けていた。

 僕も何度かご馳走になった。

 お昼、新宿のルミネでラーメンをおごってもらった時に「ご馳走様でした」とお礼を言ったら、田村さんは「ラーメンはおごったうちに入らんから、あいさつなんかせんでも大丈夫やで」と言って下さったことは、忘れられない。田村さんにお世話になった後輩の数は、計り知れない。

 だが、『ホームレス中学生』のバブルがはじけ、徐々に生活も変わるなか、腐らずにいろいろな苦労を受け入れながら、今も変わらずテレビや舞台に出続けていらっしゃるのは、田村さんの才能と人柄ゆえだと僕は思っている。


■川島はまるで「超高級ウイスキー」


 メッシのような超ハイレベルなオールラウンダー川島さんは、世間的にはずっと息を潜めていた。

 田村さんに勝るとも劣らないくらい上品な川島さんでも、さすがに「おいおい、いつになったら俺の時代が来るんだい?」と一人の時、何度か呟いたに違いない。

 今では考えられないが、収録中、田村さんの横で一言も喋らずに帰ったこともあったそうだ。番組のラストに「で、隣の君はなにかある?」みたいな雑なトークのオチにされたことも数知れないと言っていた。

 あのポテンシャルを持っていて、よくぞ長年我慢ができたと恐れ入る。

 何年も待ち続け、決して腐らず自分の技を熟成させ、超高級ウイスキーのように深みのあるまろやかさと、雑味のないうまさを作り出した。ここまで自分を寝かせられる人は見たことがない。


■圧倒的な脳みその差


 一度だけ、川島さんとご飯をご一緒したことがある。川島さんと親交の深い千鳥のノブさんに連れて行ってもらったのだが、ほろ酔いの川島さんに引いた。

 頭が良すぎるのだ。

 僕が1喋った瞬間に、3を喋り、5を喋り、僕が口を開けている状態のまま、川島さんが10を喋ってトークが完結する。

 恐怖だった。

 ここまで圧倒的な脳みその差を見せつけられたのは、他には小籔さんと、とろサーモンの久保田のみだ。

 その久保田とも川島さんは仲が良い。彼らが二人で飲んでいる時のトークは想像しただけでも恐ろしい。想像もしたくないくらいのフォーミュラトーク。

 やっぱり、僕は大したことないんだな。

 飲みの席の他愛もない会話だったからこそ、圧倒的に落ち込んだのを今でも覚えている。それくらい、リミッターの外れた川島さんの回転数とキレはすさまじかった。

 ゴジラ松井のスイングを見て、野球を辞めた高校生は数知れないというが、そんなふうに心と頭にポッカリ穴が開いたような心境だった。


■注目されない川島に目をつけた東野幸治


 それから川島さんは大きなチャンスや小さなチャンスで結果を弾き出し続け、世間に逆襲していくかのようにスターの道へ躍り出る。

 僕が『敗北からの芸人論』を出版するにあたり、川島さんがMCを務めるラジオ番組「土曜日のエウレカ」に出た時のことだ。

「田村が『ホームレス中学生』でぶわっと売れていった時、ほとんど親交がなかったのに、突然ツイッターのDMで東野さんから飯に誘われたのよ」

 そこから半年間、まるで東野(幸治)さんの「日陰の女」のような関係は続き、ある日ぱったりと連絡が途絶えたという。

 そもそも、僕が今こうしてあるのも東野さんのおかげなのだ。

 東野さんのコラム「この素晴らしき世界」の連載が終わった時、次のコラムの書き手は誰が良いですか?との新潮社さんの問いに「平成ノブシコブシの徳井くんで」とおっしゃって下さったという。僕からしたら、青天の霹靂発言だ。

 それから僕の連載が始まり、結果として本になり、明らかに仕事の幅も広がった上に深まった。

 東野さんにその真意を聞くと、「徳井くんは面白いからいつか売れるやろと思っていたけど、いつまで経っても売れないから」と仰っていた。


■誰かがスベッたとき、全部自分の責任にできる覚悟と実力


 田村さんの隣にいる「じゃない方」の川島さんの才能をいち早く見抜き、その才能とやる気が腐ってしまう前に愛と栄養を与えるべく、川島さんをご飯に誘い続けたのだろうと僕は思う。

 大阪から上京して、東京でなかなかうまくいっていなかった千鳥さんやダイアンの「取り扱い説明書」も、東野さんは惜しみなく視聴者とスタッフに披露し続けた。

 そんな恩を返すかのようにいま、川島さんは「ラヴィット!」でMCをやっているんだと勝手に想像する。

 MCというのは言わずもがな、番組の「看板」だ。ウケたときだけでなく、誰かがスベッたときも、全部自分の責任にできる覚悟と実力があるかどうか。川島さんは確実にその覚悟を決めていて、元来持っている品格とどんどん高みに達する実力を武器に若手芸人をさばき、彼らに新たな道筋を与えていっている。

「相席スタート」の、特に山添寛の覚醒は「ラヴィット!」がきっかけだし、川島さんは確実に一役も二役も買っているだろう。

 そんな「相席スタート」も、山添と山崎ケイちゃんの二人とも品のあるコンビだと僕は感じているがその話はまた次回に取っておく。


■ため息が出るくらいの切れ味とスピード


 川島さんの出ている番組を観ていると、ため息が出るくらいの切れ味とスピードを何度も目にする。そんな中、先ほどの「土曜日のエウレカ」に話を戻す。

 あの番組で川島さんは、徹底的に聞き役に回っていた。

 そのひと月後、光栄なことに鈴木おさむさんからご指名を受け、bay FMで「シン・ラジオ」というラジオ番組のマンスリーレギュラーに選んでもらった。

 一応、ラジオ番組もやったことはあったので、初回はのびのび自分なりに、面白おかしくやってみた。

 が、非難ごうごうだった。

「AMラジオじゃないんだから」

「深夜のFMなら聴くけど」

「言葉遣いが汚い」

 などなど、久し振りにめった撃ちな批判コメントの数々を喰らった。

「関係ねぇーよ、自分が面白いと思ったことをやるまでだ」

 そんなことが頭をよぎったりもした。


■芸能界は個人戦ではない?


 けれどふと天才・麒麟川島さんの「土曜日のエウレカ」が脳内で再生された。

 あのほろ酔いのハイスピードスペックの川島さんでもなければ「ラヴィット!」の時の大回し川島さんでもない。

 そっと丁寧に、リスナーに寄り添うようなラジオ。それが「土曜日のエウレカ」だった。

 生意気ながら、ちょっとまねてみようかと思った。僕ももう40歳。だが、まだ40歳。ひょっとしたらこの「シン・ラジオ」のおかげで、もう少し成長できるのかもしれないと信じ、頭の中に小さく灯る川島さんの幻想を追いかけながらやってみようと思っている。

 恩をもらい、愛を返す。

 個人戦だと思っていた芸能界は、輪廻転生のように、ぐるぐる破壊と再生を繰り返す世界なのかもしれない。


■MCを務めた田村の「無理やぁー!」


 そんなことを考えながら、ふとテレビをつけると大阪ローカルのお笑いワイド―ショー「マルコポロリ」が東京でも流れていた。

 恩人の恩人である、東野さんがMCの番組だ。

 だが、その日は体調不良だったのか、代打のMCが立てられていた。

 麒麟の田村さんだった。

 ほんこんさんや、月亭方正さん、メッセンジャーのあいはらさんや、シャンプーハットさん。みんなが愛をもって田村さんをいじり続け、その愛を田村さんが打ち返し続ける。

「無理やぁー!」

 田村さんは可愛げたっぷりに、画面いっぱい大写しになりながら、で叫んでいた。

 営業妨害かもしれない、後輩のくせに生意気な、と思われるかもしれない。

 でも、田村さんは絶対にできる。

 僕は見てきたし、みんな本当は知ってる。

 二人とも愛されて、二人とも品があって、二人とも才能があるコンビ。

 まだまだこんなもんじゃない、本当の「麒麟がくる」のはここから。ですよね?

徳井健太(とくい・けんた)
1980年北海道出身。2000年、東京NSCの同期生だった吉村崇とお笑いコンビ「平成ノブシコブシ」結成。「ピカルの定理」などバラエティー番組を中心に活躍。バラエティーを観るのも大好きで、最近では、お笑い番組や芸人を愛情たっぷりに「分析」することでも注目を集めている。趣味は麻雀、競艇など。有料携帯サイト「ライブよしもと」でコラム「ブラックホールロックンロール」を10年以上連載している。「もっと世間で評価や称賛を受けるべき人や物」を紹介すべく、YouTubeチャンネル「徳井の考察」も開設している。https://www.youtube.com/channel/UC-9P1uMojDoe1QM49wmSGmw

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