BiSH・モモコグミカンパニーがエゴサで直面した“悪魔の言葉” 彼女を救ったメンバーの反応とは?

BiSH・モモコグミカンパニーがエゴサで直面した“悪魔の言葉” 彼女を救ったメンバーの反応とは?

モモコグミカンパニー

■SNSで「私は一体、誰に話しかけているのだろう?」


“楽器を持たないパンクバンド”として、絶大な人気を誇るBiSHのメンバー・モモコグミカンパニーさん。今年3月に初の小説『御伽の国のみくる』を上梓した彼女がつづるのは、誰しもに身近なSNSにまつわる葛藤。画面に並ぶ文字列の奥には、いったい?

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 私は日々、SNSを活用している。投稿内容は、新曲等の告知から、たわいもない日常報告など多岐にわたり、自身の活動には必要不可欠である。私のツイッターアカウントには現在30万人以上のフォロワーがいて、朝「おはよう!」と投稿すると、有難いことに多くのコメントが返ってくる。しかし、文字を打ち込んでいる際、たまにこんなふうに思うことがある。

「私は一体、誰に話しかけているのだろう?」、と。

 もちろんそれはフォロワーであるファンの人に向けてだ。だが、ふと何もない空間に向けてキャッチボールの球を投げているような気持ちになるのだ。

 同様の感覚をアマゾンで自分たちのライブDVDが星いくつと評価されているのを見たときにも味わった。私たちは、目の前のお客さんに向けてライブをしたのであって、アマゾンでの評価のためにライブしたわけではないのに、と虚しい気持ちになった。

 リアルでは人対人で行われているものも、ネット上となると受け手と発信者という明確な役割と距離感が生まれ、ライブの感想もただの数字でしかなくなってしまう。しかし、この淡泊さこそがネット上では必須だろうとも思う。例えば「おはよう!」の投稿に、300のリプライをもらったとしても、それを現実に持ち込めば、残り29万9700人にあいさつを無視されていることになる。これは大げさかもしれないが、ネット上での他者の言動を現実の尺度に当てはめるべきではないだろう。このことを身をもって悟った出来事がある。


■悪魔の言葉は、口に出すと“ただの文字列”だった


 コロナ禍に入った頃、私はSNSとの距離感がうまく保てなくなっていた。ライブも思うようにできずに表に出る機会を失うと同時に、モモコグミカンパニーとしての自分を目の当たりにするのもスマホ画面の中だけになってしまったのだ。だからその分、私は暇さえあればエゴサーチをして自分の存在を確かめるようになっていた。

 そんな中、ある投稿が目に留まった。確か、「BiSHは好きだけど、モモコグミカンパニーだけは好きになれない。なんであの子がいるの」というような内容だった。投稿者は私のアカウントをフォローすらしていなかったし、気軽に投稿したんだと思う。そのメッセージは私宛に故意に送られたものではなかったし、今思えば自分から落ち込みにいっているようなものだった。しかし、私は当時自分の存在価値を疑ってしまうほどその投稿に打ちのめされてしまった。

 数日後、楽屋での雑談中にさりげなくそのツイートの内容をメンバーに伝えてみた。すると意外なことにメンバーから返ってきたのは笑い声だった。声に出してみるとなかなか滑稽で、気が付くと私も一緒に笑っていた。私を打ちのめしたネット上の悪魔の言葉は、現実世界に持ち出してみるとただの文字列でしかなく、その上180度カタチを変えた“笑い”に昇華されていたのだ。

 私は一体誰におびえていたのだろう。何に傷ついていたのだろう。もう、思い出すこともできなくなっていた。

モモコグミカンパニー
“楽器を持たないパンクバンド”BiSHのメンバー。今年3月に初の小説『御伽の国のみくる』を上梓。

デイリー新潮編集部

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