追悼・島田陽子 「最後の内弟子」が初めて明かす、「繊細で真っ当で貪欲だった」国際派女優の知られざる素顔

追悼・島田陽子 「最後の内弟子」が初めて明かす、「繊細で真っ当で貪欲だった」国際派女優の知られざる素顔

「師弟」が揃ったツーショット(左・渡邉氏のツイッターより)

 7月25日、大腸がんによる多臓器不全で亡くなった女優・島田陽子(享年69)の「最後の内弟子」と呼ばれた若手俳優がいる。およそ10年近くにわたり“薫陶”を受けてきた、その「弟子」が初めて口を開く、大女優の秘話――。

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「島田さんと初めてお会いしたのは2011年。島田さんが主演を務めた映画『彼女は海へ』での撮影現場でした。当時、僕は15歳で、09年に映画デビューを果たしたものの無名の新人に過ぎなかった。現場で緊張の解けなかった僕に対して、島田さんから“(私が)主演ってなってるけど、そんな風に思わなくていいからね”と声を掛けてくれたのです。この一言で、気持ちがスッと楽になったことをいまでも覚えています」

 こう話すのは俳優の渡邉聖斗氏(26)だ。現在、藤原竜也や向井理などが主演を務める舞台『ハリーポッターと呪いの子』において、10代の頃のハリー役を演じる新進気鋭の俳優である。

 渡邉氏が続ける。

「その撮影現場では島田さんとたくさんお話をしましたが、同じ年の3月に起きたのが東日本大震災でした。ある時、家族が放射能を恐れて東京から大阪へ一時避難しようかと悩み、僕も賛成の意向であることを島田さんに話した時でした。“あなたはどういうつもりで俳優をやってるの? (福島などで放射能の)恐怖や不安に直面している人たちに対して、何ができるかを考えるのが先決でしょう。私たちは常にそういった人たちに注意を向けるべきなのよ”と諭されたのです。演技者としての“立ち位置”といったものを教えられた気がしてハッとしました」


■「学んだことを私にも教えて」


 撮影後も親交は続き、食事の席などで映画や演技について頻繁に話をする間柄へと。いつしか、周囲から「島田さんの内弟子」と呼ばれるようになる。

 出会いから3年後の18歳の時、渡邉氏はカリフォルニア大学サンディエゴ校の演劇学部に入学することになるが、

「実はアメリカでの大学選びも、時に島田さんが現地までやって来てアドバイスをくれた賜物でした。その際、“あなたが(演技について)学んだことは、いつか私にも教えてちょうだい”と言われ、島田さんの演技に対する貪欲さに感銘を受けたのを覚えています」(渡邉氏)

 映画「砂の器」や「犬神家の一族」、さらに米テレビドラマ「将軍 SHOGUN」でヒロインを演じるなど華々しいキャリアを築き、当時すでに“大女優”としての地位を不動のものにしていた島田。それでもまだ、演じることへの情熱や探求心は衰えることがなかったという。

「島田さんが映画だけでなく、能や歌舞伎などにも精通していたことには驚かされました。島田さんから古典芸能のお話などを聞きながら、自分の演技に対する視野というものがグッと広がった。その一方で、島田さんは年下といえど同じ役者に対して細かな演技指導などをする方ではありませんでした。それでも一度、“どんなセリフでも、当然あるものと考えてはダメ”と言われたことがあり、その言葉はいまも胸に刻んでいます。たとえば“うん”や“はい”といったセリフでも、何も考えずに発してはいけない。つまり、短くて簡単なセリフにも前後の文脈や込める想いはあるのだという教えでした」(渡邉氏)


■適当には生きられなかった求道者


 渡邉氏によれば、島田は往年の米女優グロリア・スワンソンやキャサリン・ヘプバーン、そして三船敏郎などについてよく話したという。

「あと宮沢賢治も好きでしたね。島田さんは非常に繊細で、自分が発する言葉にも相手から向けられる言葉にも過敏なところがあり、それゆえ傷つきやすい一面を持っていました。求道者のように演技の道に邁進すると同時に、私生活でも適当には生きられない女性との印象を強く抱いていました」(渡邉氏)

 19年7月、島田は23年間連れ添った夫と離婚。この時も「2人でしっかりと話し合った末での決断よ」と話し、むしろ晴れやかな面持ちだったという。

「亡くなる2年ほど前から、僕の仕事が忙しくなったことなどもあり、島田さんとは少し疎遠になっていました。最後にお会いした時には、声がかすれていて、体調も良くないように見えた。しかし本人は気丈に振る舞い、メイクも服装も手を抜いたところがなく、いつもの島田陽子さんのままでした。……まさか、こんなに早く突然のお別れが来るなんて想像もしておらず、気持ちの整理はまだ付いていません。島田さんには感謝の気持ちしかありませんが、何ひとつ恩返しできなかったことには後悔しかない。僕のなかで“目指すべき先達”として島田さんの存在は別格。これからも憧れ、追い求め続ける“師匠”であることに変わりはありません」(渡邉氏)

 74年のテレビドラマ「われら青春!」で共演した俳優の中村雅俊が島田の訃報に接して語ったように、島田は多くの人にとって「いまでもマドンナのまま」である。

デイリー新潮編集部

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