芸能界でケンカが一番強い男は誰か? 昭和と現在で考えてみると

芸能界でケンカが一番強い男は誰か? 昭和と現在で考えてみると

本宮泰風(右端)の強さは主演作『日本統一』を観ても明らか(ライツキューブpromo公式YouTubeチャンネルより)

「芸能界でケンカが一番強い男は誰か?」。どうでもいい話なのだが、昭和期から繰り返し議論されてきた。人間が本能として強いものに惹かれるからかも知れない。現時点と昭和期で誰が最強かを探り、その人物に迫る。


■芸能界最強は本宮泰風


 芸能界最強の男がテーマになると、決まって以下の面々の名前が挙がる。宇梶剛士(59)、氷室京介(61)、布袋寅泰(60)、哀川翔(61)、小沢仁志(60)、原田龍二(51)、GACKT(49)、岡田准一(41)、吉川晃司(56)……。

 だが、最強の男はぶっちぎりで本宮泰風(50)に違いない。芸能人同士が「誰が強いか」を話し合うと、どうしても先輩を立てがちだが、本宮なら異を唱える者はいないはずだ。

 やんちゃだった過去を隠さない中野英雄(57)は「5時に夢中!」(TOKYO MX)に出演した際、「強いと思うのは本宮泰風。レベルが全然違います」と断言した。

「顔面凶器」の異名を持ち、柔道と空手、剣道の有段者である小沢仁志も本宮最強説を支持する。ネット動画などで繰り返し「一番強いのは泰風」と発言してきた。

 本宮は1972年に東京都足立区で生まれた。妻は元祖バラドルの松本明子(56)。実兄は原田龍二である。これまでに52本制作され、まだ続くVシネマの仁侠作品「日本統一」で主人公・氷室蓮司を演じている。ほかにも「キングダム〜首領になった男〜」などの人気仁侠作品に多数出演。Vシネ界の大スターだ。

 一方でNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」に出演。比嘉賢秀(竜星涼、29)が一時所属したボクシングジムのトレーナー役を演じた。また、水谷豊(69)に買われており、「相棒」(テレビ朝日)など水谷の主演作にたびたびゲストとして招かれている。


■高校時代はボクシングとケンカ


 本宮の最強物語の始まりは中学1年生の時。ジャッキー・チェン(68)に憧れ、その技を独学でマスターした。

 高校に入るとボクシングに打ち込む。オリンピック出場に届きそうな選手だったというから、相当なレベルだ。

 一方でやんちゃな若者が集まっていた渋谷の街でケンカ。自分から挑むことはなかったものの、相手が因縁を付けてきたら、応戦したという。

 本宮が通っていた高校は生徒の自主性を重んじており、校則が緩かった。そこで本宮が選んだ日常着は洋ラン。

「それ何?」と思う人が多いだろう。丈がくるぶし付近まである学生服だ。長ランより、ずっと長い。もはやロングコートである。1980年代の人気漫画「湘南爆走族」の主人公・江口洋助が着ていたが、実際に着用する学生は皆無と言ってよかった。

 本宮は自分からケンカを吹っかけることはなかったというが、洋ランを着ている段階でヤル気満々と受け止められたはず。「ケンカ買います」と言っているようなものなのである。半面、身長が185センチで体格も良いから、向かっていく側は度胸がいっただろう。


■船木誠勝とも互角の勝負


 高校時代の武勇伝にとどまらない。今も若手俳優らを集めた総合格闘技チーム「本宮塾」の代表を務め、体を鍛えている。

「日本統一」にレギュラー出演している俳優で格闘家の中澤達也(43)は芸能界最強の呼び名を得ようとして本宮に戦いを挑んだが、敗れたと明かしている。そればかりではない。本宮は元パンクラスの格闘家で現在はプロレスラーの船木誠勝(53)と戦ったこともある。ほぼ互角の勝負をしたというから、いよいよ本物だ。

「5時に夢中!」で中野が明かしたところによると、兄の原田も強いと評判だが、本宮に挑んだことはないという。その理由について本宮は中野に対し「兄貴はそれほどバカじゃないです」と語ったそうだ。余裕である。

 本宮の半端じゃない強さは作品を観ても分かる。「日本統一」で見せるパンチやキックのスピードは恐ろしいまでに速い。ほかの俳優の動きとはレベルが段違い。「ちむどんどん」ではダメ男・賢秀がリングに立ったが、それよりも本宮が戦うシーンが観たかった。

 ちなみに本宮は原田に誘われて1995年に芸能界入りした。原田が1990年に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で準グランプリを受賞し、デビューすると本宮にも芸能界入りを勧めた。本宮は断ったものの、数年後に再び誘われたので、応じることに。6歳年上の松本と結婚したのは1998年。22歳になる長男がいる。


■昭和期最強は渡瀬恒彦さん


 次に昭和期の最強は誰だったのか。故・渡瀬恒彦さん(2017年没、享年72)ではないか。東映の先輩だった故・梅宮辰夫さんも渡瀬さんが最強であるとのお墨付きを与えていた。

 渡瀬さんは中学3年生の時に柔道の有段者になり、高校では水泳部に所属。運動神経抜群と評判だった。早大時代には空手部に入り、2段に。会社員を経て1969年に東映入りすると、最強ぶりを発揮し始める。

 渡瀬さんが生意気だと東映の先輩俳優の間で評判になり、元ヘビー級キックボクサーの故・安岡力也さんが代表となって締め上げようとしたところ、渡瀬さんはいきなり力也さんの顔面に正拳突きを食らわせた。そこで勝負は付いた。

 渡瀬さんは自分が締め上げられるのは嫌がったが、後輩は締めた。「生意気だ」として殴られた俳優は数え切れない。故・松田優作さん、小沢仁志、現在最強の本宮……。舘ひろし(72)とクールスの面々はやっぱり生意気だという理由で殴られた後に川に突き落とされたというから、災難である。東映内では「恒さんを怒らせちゃいけない」という不文律があったそうだ。

 ほかにも渡瀬さんは人間離れした武勇伝の数々を残した。
「同じ店で飲んでいた数人の不良に絡まると、表に連れ出し、コテンパンにした後、何食わぬ顔で再び飲み始めた」
「4人のヤクザを5分で叩きのめした」
「3人の米兵を倒した」


■強さの秘密は人並み外れた胆力


 どうして滅法強かったのか。柔道と空手の有段者で運動神経が良かったからだけでなく、人並み外れた度胸があったからではないか。ケンカはスポーツと違い、胆力が大きくものを言う。

 東映の黄金期を支えた1人である中島貞夫監督(87)から聞いた話によると、同氏の監督作品「狂った野獣」(1976年)では主演の渡瀬さんが大型バスを運転し、横転させるシーンがあった。中島監督は当然、スタントマンを起用するつもりだったが、渡瀬さんは「自分でやる」と言って聞かなかった。

 青ざめたのは脚本にバスに同乗すると書かれていた故・川谷拓三さんらピラニア軍団の面々。渡瀬さんはピラニア軍団と親しかった。川谷さんたちは自分たちだけがスタントマンたちに任せるとは言えない。決死のロケとなった。

 渡瀬さんはどんな危険なシーンであろうが、スタントマンを拒否した。ヘリコプターにぶら下がったし、激しいカーアクションにも臨んだ。

「スタントマンが出来るなら、自分だって出来る」と考えていた。そこまで強心臓であるうえ、柔道と空手をやるのだから、ケンカが最強でも不思議ではない。どんな状況であろうが、ひるまないのだから。

 渡瀬さんが薬師丸ひろ子(58)と共演した映画「セーラー服と機関銃」(1981年)では薬師丸が機関銃を撃つシーンでガラス瓶が破裂。薬師丸が顔に裂傷を負った。スタッフは「大丈夫だよ」などと言い、薬師丸を安心させようとしたが、これに渡瀬さんは「自分の娘だったらどうする!」と激怒。

 強い男はやさしいのである。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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