「香川照之」遺失利益は数十億円レベル 自分を捨てた父・市川猿翁への屈折した愛情

「香川照之」遺失利益は数十億円レベル 自分を捨てた父・市川猿翁への屈折した愛情

左から市川中車(香川照之)、市川團子(香川の子)、市川猿翁(香川の父)、市川猿之助(香川のいとこ)、そして市川段四郎(香川の叔父)

■降板ドミノ


 性加害報道で多くのものを一瞬で失うことになった香川照之(56)。芸能界のど真ん中で稼ぎに稼いでいただけに遺失利益も桁外れになりそうだ。一方で、今回の彼の行状について、父・市川猿翁への屈折した愛情が関係しているのではないかとの声が少なくない。

 最初に、ここまでの経緯を振り返っておこう。

 3年前に銀座のクラブを訪れた香川がホステスの下着をはぎとったり、胸を触ったりするなどしたことでホステスがPTSDを患い、訴訟沙汰になっていたことが8月25日に週刊新潮で報じられた。

 香川は26日にMCを務める「THE TIME,」で謝罪。その際には番組続投の意向を示していたものの、9月1日に同じく週刊新潮が、今度はクラブのママの髪を異様な表情で鷲づかみにする香川の写真などを掲載。同日発売の週刊文春では、酒席での別の暴行も報じられるなど、続報も相次いだ。結果、仕事の降板ドミノが展開された。

 トヨタの「トヨタイムズ」、サントリーの「パーフェクトサントリービール」、光放送のサービス「eo光」を提供するオプテージなど、広告は7社中6社が降板や起用中止を決断。NHK はEテレ「インセクトランド」「香川照之の昆虫すごいぜ!」の過去の動画も取り下げるに至った。


■広告の依頼はしばらくゼロに


「差し当たって広告で残っているのは大日本除虫菊(キンチョー)のみ。当初は擁護姿勢を見せていたトヨタが、相次ぐ報道を受けて契約中止を余儀なくされたのが大きかったというのが衆目の一致するところです」

 と、担当記者。

「違約金が数億円レベルだという報道があり、確かにある程度の額を事務所は覚悟していると思いますが、香川にとって大きいのは遺失利益の方です」

 つまり、順風満帆で進めば得られたはずだった利益だ。

「今回の一件はタレントとして致命傷と言ってよいほどの、かなり深いダメージとなりました。どれくらいの期間かわかりませんが、しばらくは香川に広告の依頼をしてくる企業は皆無でしょう。芸能界では一番の売れっ子の1人だった彼に付けられていた金額は相当なもので、それが積み重なれば10億、20億円を超える金額になっても不思議ではありませんでした」(同)

 テレビや映画のみならず、情報番組のMCや教養番組に出演するなど仕事の幅を着々と広げていただけに、今回の件は人生設計が狂うほどの失態を演じてしまったということになるだろうか。


■「父と子」という映画にとにかく弱いのである


 今回の香川の行状について、父・市川猿翁への屈折した愛情が関係しているのではないかとの指摘は少なくない。ここからは、その点を改めて見ておくことにしよう。

 香川はかつて自著(『日本魅録』)に、〈テーマが「父と子」という映画にとにかく弱いのである〉〈物心付いた時には私には父親がいなかった。喪失感はなかった。最初からないものに喪失感は感じない〉

 と記していたことがある。いわゆる芸能人二世とは異なる彼の歩みは、壮絶ともいえるものだった。

 香川は1965年、歌舞伎俳優の父・市川猿之助(82)=現・猿翁=と女優の母・浜木綿子(ゆうこ)(86)との間に生まれた。

 しかし、猿之助は間もなく家族を捨てて家を出てしまう。

 香川が2歳の時に離婚は成立し、彼は浜に引き取られた。浜の本姓は「香川」。28歳の猿之助が向かった先は、44歳で人妻の舞踊家・藤間紫(むらさき)。藤間の夫は人間国宝で後に文化勲章も受章した六世藤間勘十郎だった。

 猿之助が藤間紫の様々なサポートを受け、スーパー歌舞伎で世間の耳目を集め始めたちょうどその頃、香川は東京大学文学部を卒業し、役者の道を選択した。そして、1991年2月、24年ぶりに公演先へ父を訪ねたのだった。


■あなたは息子ではありません


 その時の模様は、「父・猿之助に会いに行った」というタイトルが付き、〈ぼくは今、本当の親子関係を理解していくために今年ほど重要な意味を持っていた年はなかったと思っている〉という書き出しで、婦人公論1991年8月号に仔細に綴られている。

 その内容はあまりに絶望的なのだが、筆致はあくまでも冷静で、およそ四半世紀に及ぶ父の不在に喪失感がなかったということのひとつの証明になるだろうか。

 ハイライトである父親の言葉は、こう書き起こされている。

〈ぼくはあなたのお母さんと別れた時から、自らの分野と価値を確立していく確固たる生き方を具現させました。すなわち私が家庭と訣別した瞬間から、私は蘇生したのです。だから、今のぼくとあなたとは何の関わりもない。あなたは息子ではありません。したがって、ぼくはあなたの父でもない。マスコミに、猿之助が父だとか、彼に会いたいとか言わないほうがよいでしょう。今後あなたとは二度と会わないけれど、そのことをよく心に刻んでおきなさい。何ものにも頼らず、少しでも自分自身で精進して、一人前の人間になっていきなさい〉

 それから13年経って、今度は浜が同じく婦人公論の04年7月号に登場し、こう語っている。


■「浜さんありがとう、恩讐の彼方に」


〈あの手記を読みました、泣きながら。ほんとに泣きました。(中略)ひどい父親だと思いました。(中略)「僕はあなたの父ではない。今後、二度と会わないでしょう」なんて……。間違いなくあの人の子どもなのに、普通、そんなこと言わないでしょう〉

「蘇生した」「二度と会わない」とまで実の息子に宣告した猿之助は、藤間紫と2000年に入籍。そして03年に脳梗塞で倒れた。他方、香川に長男が生まれたのは04年。紫は猿之助と香川の関係修復に腐心するようになる。

 紫は09年3月に亡くなったが、それまでの彼女の働きかけが襲名披露という形で実を結んだのが、11年9月のことである。猿之助が猿翁を名乗ると同時に、香川が9代目市川中車、彼の長男・政明が5代目市川團子(だんこ)として、それぞれ歌舞伎界入りすることが発表されたのだ。新・猿翁は席上、脳梗塞でままならぬ口から、

「浜さんありがとう、恩讐の彼方に」

 と絞り出したのだった。


■親子和解のきっかけは?


「ここまで息子を育ててくれた浜木綿子への感謝の気持ちということですね」

 と、関係者が振り返る。

「親子和解のきっかけは、息子を歌舞伎界に入れたいという香川の熱意があったからでしょう。それは、猿翁が藤間紫を亡くして気落ちしていた時期に重なっています。襲名披露の後は猿翁が香川に稽古をつけ、舞台で共演を果たしてきました」

 市川中車の襲名は猿翁にとっても、そして浜にとってもこの上ない喜びだったようだ。

 もちろん、どんなに厳しく困難な境遇から這い上がってきたとしても今回報じられている振る舞いの免罪符となることはない。が、大いなる人生の危機に差し掛かった香川に手を差し伸べるものがあるとしたら、年老いた両親と歌舞伎ということになるのだろうか。

デイリー新潮編集部

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