平成最大のベストセラー『バカの壁』で養老先生が若者に伝えたかったこと

 4月6日に放送された人気番組「世界一受けたい授業」(日本テレビ系)のテーマ、「平成で売れた実用書 ベストセラーランキング!」の中で1位となったのが、『バカの壁』(養老孟司・著)。番組内で出演者のカズレーザーは「初めて読んで衝撃を受け、何度も読み返している」とかなりの影響を受けていることを語った。
 同番組内で紹介していた養老さんの教えの一つが、「自分の『個性』に価値があると考える人は進歩しない」というもの。
「これが私の個性」「自分は変わる必要はない」という人には進歩がない、というのだ。

 この教えは、ややもすると誤解されがちだ。「じゃあ画一的な人間になればいいのか」「没個性ではダメだろう」といった反発も予想される。
養老さんの真意はどこにあるのか。
『バカの壁』では、この「個性」は柱となるテーマの一つで、かなり丁寧に説明されている。番組では短い時間の紹介だったが、このテーマの前提として、やたらと「個性」を美化する風潮への違和感があったのだ。「『個性を伸ばせ』という欺瞞(ぎまん)」の章を中心に、紹介してみよう(以下、引用はすべて同書より)。

 養老さんは、まず「個性」「自己」「独創性」を重宝する物言いへの違和感を表明する。文科省の言う「個性」的な教育、「子供の個性を尊重する」「独創性豊かな子供を作る」という方針も、おかしいのでは、と疑問を呈する。

「多くの人にとって共通の了解事項を広げていく。これによって文明が発達してきたはずなのに、ところがもう片方では急に『個性』が大切だとか何とか言ってくるのは話がおかしい。

 大体、現代社会において、本当に存分に『個性』を発揮している人が出てきたら、そんな人は精神病院に入れられてしまうこと必至。
 想像してみればおわかりでしょう。人が笑っているところで泣いていて、お葬式で泣いているところで大笑いしてしまうような人。それで『どうして』と聞かれても理由が答えられない。
 明らかに他の普通の人たちとは違う、『個性』を存分に発揮しています。しかし、そんな人がいたら、それはたちまち病院に送られてしまうこと必至です。
 精神病院に行けばまったくもって個性的な面々揃いです。私の知っている患者には、白い壁に、毎日、大便で名前を書く人もいた。それを芸術的な創造行為とすれば、凄いかもわからない。おそらく現代芸術の世界でもまだ誰も挑戦していないジャンルであるには違いない。が、現実問題として迷惑でたまらない。
 そんなことはわかりきっているはずなのに、誰が『個性を伸ばせ』とか『オリジナリティを発揮しろ』とか無責任に言いだしたのでしょうか。この狭い日本において、本当にそんなことが求められているのか。
 混んだ銭湯でオリジナリティを発揮されたら困るだけ、と私は常々言っているのですが……。
 そんなことも考えずに、ひたすら個性を美化するというのはウソじゃないか、と考えることこそが『常識』だと思うのです。考えたら当たり前のこと、なのです」

 ここで養老さんは「個性」を否定しているのではなく、安易に「個性」を賛美する風潮への違和感を表明しているのだ。

「個性が大事だといいながら、実際には、よその人の顔色を窺ってばかり、というのが今の日本人のやっていることでしょう。だとすれば、そういう現状をまず認めることからはじめるべきでしょう。個性も独創性もクソもない」

「個性」は誰にでも最初からあるのだ、というのは養老さんの一貫した考え方だ。

「本来の『個性』というのはどこにあるか。それは、初めから私にも皆さんにもあるものなのです。
 なぜなら、私の皮膚を切り取ってあなたに植えたって絶対にくっつきません。親の皮膚をもらって子供に植えたって駄目です。無理やりやるとすれば、免疫抑制剤を徹底的に使うなんてことをしないと成功しません。
 皮膚ひとつとってもこんな具合です。すなわち、『個性』なんていうのは初めから与えられているものであって、それ以上のものでもなければ、それ以下のものでもない。
 産みの親とだって、それだけ違うのに、何で安心して、違う人間に決まっていると言えないのか。逆に意識の世界というのは、互いに通じることを中心としている。もともと人間、通じないものを持っているに違いない(略)
 こう考えていけば、若い人への教育現場において、おまえの個性を伸ばせなんて馬鹿なことは言わないほうがいい。それよりも親の気持ちが分かるか、友達の気持ちが分かるか、ホームレスの気持ちが分かるかというふうに話を持っていくほうが、余程まどもな教育じゃないか。
 そこが今の教育は逆立ちしていると思っています。だから、どこが個性なんだ、と私はいつも言う。おまえらの個性なんてラッキョウの皮むきじゃないか、と。
 逆に今、若い人で個性を持っている人はどういう人かを考えてみてください。真っ先に浮かぶ名前は、野球の松井秀喜選手やイチロー選手、サッカーの中田英寿選手あたりではないでしょうか。要するに身体が個性的なのです。
 彼らのやっていることは真似できないと誰でも思う。それ以外の個性なんてありはしません。
 彼らの成功の要因には努力が当然ありますが、それ以上に神様というか親から与えられた身体の天分があったわけです。誰か2軍の選手がイチロー選手の10倍練習したからといって、彼に追いつけるというようなものではない」

 もしも、自分に個性がないと悩んでいる若い人がいたら、個性的であることよりも「人の気持ちが分かるようになれというべき」だと養老さんは言う。

「むしろ、放っておいたって個性的なんだということが大事なのです。みんなと画一化することを気にしなくてもいい。
『あんたと隣の人と間違えるやつ、だれもいないよ』と言ってあげればいい。顔が全然違うのだから、一卵性の双生児や、きんさん、ぎんさんじゃない限り、分かるに決まっている。
『自分の個性は何だろう』なんて、何を無駄な心配してるんだよと、若い人に言ってやるべきです。
 それより、親の気持ちがわからない、友達の気持ちがわからない、そういうことのほうが、日常的にはより重要な問題です」

 カズレーザーは芸人になるよりもはるか前から、現在と同様のファッションで通していたという。「個性的であろう」と頑張ったからではなく、単にそれが彼にとっては自然な姿だったにちがいない。その「個性」がウケているからといって、無理に真似をしても意味がない。
 就活その他、「個性」で悩む若い人が聞くと、少し気が楽になる話ではないだろうか。

デイリー新潮編集部

2019年5月4日 掲載

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