東野幸治が描く「リットン調査団・水野透伝説」“ビートたけしに弟子入り志願した話”

 東野幸治が仲間たちの秘話をつづる連載「この素晴らしき世界」。今週のタイトルは「58歳アルバイト芸人、リットン調査団・水野透(2)」。

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 リットン調査団・水野透さんの話の続きです。

 ビートたけしさんに弟子入り志願した水野さん。断るたけしさんのタクシーを咄嗟に追いかけ、信号待ちをしている横に並んで停車すると……なんと、憧れのたけしさんが車の窓を大きく開け身を乗り出し、手渡した履歴書を持ちながら「ちゃんと読んでおくから!」と手を振ってくれたといいます。信号が青になり車が発進してもずっと手を振ってくれたとかで、あまりに嬉しかった水野さんはそれで満足してしまい、以降弟子入り志願をしに行くことはなかったそうです。

 しかし大学卒業後、社会人を数年経験してもどうしてもお笑い芸人の夢を諦めきれず、相方の藤原さんとリットン調査団を結成します。水野さんはすでに25歳でした。

 私が出会うのはそれから1年後、私が19歳のときです。我々は心斎橋筋2丁目劇場で週に1回、ネタを作って舞台に立っていました。ダウンタウンはじめ、今田耕司さん、130R、木村祐一君などみんなそこで出会いました。

 リットンの2人は主にコントをしていました。超独自路線の、今まで誰もやったことのないコントばかりです(詳しくは藤原さんの回をお読み下さい)。まったく万人受けしないそのネタに客席はシーンとするばかり。袖で見ている芸人仲間と、思わず笑ってしまったごく一部の変わり者のお客さんだけがウケていた。

 でも2人は決してそのスタイルを変えませんでした。客が笑ってなくても、自分たちが面白いと思うネタをやる!(これだけ聞くと、めちゃくちゃ格好良いコンビですよね……)

 とはいっても、リットン調査団だって、いわゆるお笑いコンクールで高い評価を得たこともあります。1988年に今宮戎神社こどもえびすマンザイ新人コンクールの「こども大賞」を受賞しました。これはこのコンクールの中の3番目に良い賞で、91年にはナインティナインも受賞しています。

 そんなリットン調査団に憧れて、自分たちが好きなネタをやる芸人、やりたいネタだけをやる芸人が徐々に増えていきました。バッファロー吾郎、ケンドーコバヤシ、なだぎ武、野性爆弾、レイザーラモンなど様々な後輩に影響を与えているのです。当の本人たちは一向に売れていませんが。

 話を当時に戻すと、リットン調査団がコンビで東京に進出するには、かなり時間がかかりました。水野さんの決心がなかなかつかなかったのです。ようやく上京した頃には、少しハゲたおっさんになっていました。喋り方も大阪のおっさん丸出しな上、大阪のテレビでも珍しいほどのキツイ大阪弁なので、上京当時はまったく言葉が通じません。

 喫茶店で若いウェイトレスに注文を聞かれると、

「れーこーくぅらあい」「は?」「だから、れーこーくぅらあい」「はい?」「れーこー、や」「え?」。読者の方はわかりましたか?

「れーこー」は「冷コー」で「冷たいコーヒー」を「くぅらあい」。そうです、正解は「アイスコーヒーをください」です。

 この話は藤原さんから聞いたのですが、「相方はわざとキツイ大阪弁で笑かそうとしとるんやなく、ただ単に大阪弁がキツすぎて女の子はわからへんねん。でも芸人やったらすぐ察して『ゴメンね、わからへんねんな。アイスコーヒーやねん』って言い直したら良いのに。本心から『れーこーくぅらあい』が通じると思ってる。いつの時代や思ってるねん!」と黒澤監督に嘆く三船敏郎状態でした。

(続く)

東野幸治(ひがしの・こうじ)
1967年生まれ。兵庫県出身。東西問わずテレビを中心に活躍中。著書に『泥の家族』『この間。』がある。

「週刊新潮」2019年8月8日号 掲載

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