放送開始から40年! 「武田鉄矢」が語り尽くす「3年B組金八先生」秘話

 15歳で母になる衝撃、たのきんトリオへの熱狂――。学園ドラマの枠を超えて、一大ムーブメントを巻き起こしたのが「3年B組金八先生」だった。この秋で放送開始40年になるのを機に、金八役の武田鉄矢(70)が、秘話の総棚ざらえとばかりに語り尽くした。

〈金八先生すなわち区立中学校の坂本金八教諭は、演じる武田鉄矢が尊敬する坂本龍馬と、放送された金曜夜8時から命名されたものだった。

 当時のTBSにとって、視聴率が上がらない鬼門だった「金八」の時間帯を「なんとかしろ」との号令のもと、1979年10月、「3年B組金八先生」の放送は始まった。15歳の妊娠と出産や校内暴力などの時流をとらえた内容に、たのきんトリオをはじめとするアイドルの輩出が相まって、オバケ番組に成長したのはご存じの通り。第1シリーズの最終回は、39・9%もの視聴率を記録している。

 その後も2011年まで、32年にわたって八つのシリーズが放映された、この学園ドラマの代名詞。放送開始から40年を迎えるに当たり、衝撃場面の舞台裏について、武田鉄矢が微に入り細をうがち記憶をよみがえらせた。〉

 当時の自分のポジションをはっきりさせると、二流にも達しない三流のフォークグループ。それが映画「幸福の黄色いハンカチ」で山田洋次というすごい人に起用されて、注目を浴びたものだから、TBSという、テレビ局のなかでも卸問屋のような迫力がある局に呼ばれたんですよね。

 でも、裏番組がプロレスと「太陽にほえろ!」ですよ。この時間帯に中学生のドラマを作ったところでまず負ける、という明るくない状況でしたが、プロデューサーと脚本家には負け戦の覚悟がありました。全国の学校の各クラスに生徒が30人ずついるとしたら、1人か2人は観て、彼らが学校で「昨日の金八先生、観た?」と言って、それが春までにクラスで4、5人になればいい。中学生が考え込むような生々しい青春を描きましょう、とね。

 それでクラス全員に主役が回ってくるような、大きく揺れ動くドラマがいいということに。金八は、田舎から上京してきたばかりのダサい青年で、優等生が苦手で、でも、劣等生の横に座ってしみじみ話し込むと味わいがあるような青年を、ということで僕に白羽の矢が立ったんです。

 私はただ単に、8時台に主役をできる喜びだけで始めて、最初は台本も熱血先生を描いてくれていたんですが、第3回くらいから風向きが変わったので、大筋の大ネタを聞いたんですよ。そうしたら、15歳の少女が妊娠するっていう。

 僕は迂闊にも知らなかったんですけど、それは既定の路線だったんです。たしかに、演出が妙だなとは思っていました。芝居が上手な子なんてほとんどおりませんで、上手いのは杉田かおると鶴見辰吾くらいでしたが、当初から演出家が杉田を捕まえて、「メイクするな」と言っていました。杉田だけ別の顔色にするので、変だなと思っていましたが、最初から妊娠しているという演出だったんです。

 こちらはあまり深く聞かされていなかったんですが、杉田にはしきりに「顔色を悪く」とか言っていて、彼女が気持ち悪くなってしゃがみ込む場面もあって、なんでこの子にはそんなことをさせるのかな、と思っていたら、第4回「十五歳の母」で、彼女が扮する浅井雪乃が倒れました。妊娠して、学校が震え上がるっていう回だったんです。

 私自身も正直、中村雅俊の小型版にでもなればいいって感じで、シリアスなのはやりたくなかったんですけどね。第5回「十五歳の母 その2」で、赤木春恵さんが演じる校長が堕胎させようとして、「赤ん坊はお人形さんじゃないのよ。おっぱいも飲めばうんちもする」って、すごいことを言って、それに対して金八が正義感に燃えてね。そこからドラマの質がガラッと変わりましたね。


■淫らな番組を作ってくれた


 結局、産む決心をする彼女を3年B組が守るという設定で、物語は進行していきました。何回目でしたか、荒川でのロケを終えてTBSに戻って宣伝部の脇を通ると、電話が全部鳴っていて殺気立っています。スタッフが「すごい反響で、自分たちも電話応対に駆り出されて」と言うので、「なんの反響?」と聞くと「“15歳の少女を妊娠させるとはなにごとか”という抗議の電話がすごいんです」と。血の気が引いたのを覚えていますね。

 私、血相を変えてプロデューサーに「評判、よくないようですね」と。ところが「こういうのはテレビでは評判がいいって言うんです」という返答でね。でも次の週にロケに行くと、ロケ隊を見る街の人たちの目つきが変わっているんですよ。淫らな番組を作ってくれた、って。それで、ロケに使わせてもらっていた学校関係の建物なんかも「ノー」が出はじめて。うちの学校と間違えられたら困る、うちの町内からそんな子を出しているという評判が立つと、PTAに不安を与える、というんです。

 いやあ参ったな、と。ところが評判とは不思議なもので、すぐにロケ先からオーケーが出はじめるんです。各方面で社会派ドラマという捉え方をしてくれたのが大きかった。それから、第6回で金八が愛についての授業をした辺りから、クラスで話し合った結果、金八はいい先生だということになった、といった反響が来るようになりました。

 浅井雪乃の兄が東大に落ちて自殺する第21回「受験戦争に消えた命」で、金八は泣きながら授業したんですが、このときの台本はめくってもめくっても金八のセリフばかり。半分、泣きそうになりましたもん。しかも、TBSのスタッフがプレッシャーをかけるんです。とにかく撮影は一発で成功させてほしいと。撮り直すと子供たちがもたないので、カット割りはせずにカメラをいっぺんに回して、セリフが詰まろうがどうしようが、終わりまでいってほしいといいます。

 演出家は私を絞れるだけ絞るんです。で、子供たちに向かっては「先生の言葉に反応しよう」「よい言葉だと思ったら真剣に聞け、つまらなかったら聞かなくていい」と。全部、私を追い込む構造になっていて、だから、セリフが真ん中まで進んでゴールが見えてくると、涙が出てくるんですよ。解放されるっていうのもあって、気持ちがそれまでの倍くらい乗るんです。そうしたら子供たちの顔もどんどん変わって、泣きだすやつもいるんです。

 あのシーンを終えたとき、クラスの30人が万歳したんですよね。大喝采と万歳三唱。みんな達成感があったんでしょうね。

 子供たちの反応を生々しく拾うために、カメラマンはカットを割らず、続けて表情を拾っていました。回が進んで受験の時期、できが悪い子が金八に報告に行こうと、うつむいて土手の上をゆっくり歩くんですね。金八は歩きながら「二つ目の受験をがんばろう」って励ますんですけど、そのとき安定しないハンディカメラを使っていたんです。でも映像を見たら、びゅーびゅーと風が吹くなか、教師とできの悪い生徒4人くらいが土手を歩いていて、本当に心寒くなるんです。そういう皮膚感覚のカットの割り方も、試されていたんじゃないかな。


■田原は大人、マッチは柴犬


 生徒たちの演技は、杉田と鶴見以外デタラメでしたが、三原順子も児童劇団出身でした。杉田に向かっていくというか、不良少女の役だけど、一段高いというか、やたらと上から目線の子でした。それに、なかなかの美貌で、大人で、手に負えないというか、三原の前ではちょっとビビッてしまいました。彼女に「不潔っ」なんて言われると、大人でもしょぼんとしちゃう。そんな力のある子でした。

 ある場面で、三原が泣いてセリフが出なくなって一所懸命絞り出し、次の子にバトンタッチしたらその子も泣きだして、その次の子のセリフも歪んだ、ということがありました。そのモニターをクラスの全員で見て、みんな泣いたんですね。こいつらみんなうまくなったな、と思いました。

 ずっと「自分が引っ張らなきゃ」と思っていた杉田も、半年くらいしてほかのやつが一斉に伸びると、3年B組の一員になるんですね。その辺りはおもしろい児童心理で、やっとふざけたりするようになりました。それまでは、15歳の母を演じたことで、電車のなかでからかわれたり、嫌なことがいっぱいあったようなんですけどね。

 近藤真彦は本当にやんちゃで、現場でも怒られてばかりでした。元気盛りの柴犬みたいで、土手に行くと、久しぶりに散歩に出た犬みたいに走り回るんですよね。最初はそれでよかったんですけど、番組全体が真ん中をすぎた辺りから異常になりました。ロケの見物でものすごい人出なんです。マッチと田原(俊彦)とヨッちゃん(野村義男)の3人が出たときは、女の子の行列がすさまじくて、後に「たのきん」になる彼らのブームの最初の波が巻き起こっていました。

 田原はなにか思い詰めていたんでしょうかね、実際に、もう青年の匂いがするような年齢で、もの静かで、いつも拳を握っているような。ヨッちゃんは、目を離すとギターばかり弾いている子でしたね。

 ジャニーズといえば、(事務所社長になる)藤島ジュリー景子さんは、英語が上手なことが上から目線だと見られ、嫌われて泣きじゃくるような役でした。将来、大社長になるとは思いませんでした。演技者に憧れていて、「私なんて死んじゃっていいんだ」というセリフがあると、本当に魂をぶつけてくる。視聴率を気にしていて、徐々に上向いていたのが、自分が主役を務めた回で下がったのはショックらしかったですね。

 男の子たちには、ご褒美にビニ本をあげていました。男の子は色気盛りなんですね。それに対してあまり過剰な反応をするんじゃなく、同調してあげたほうがいい。彼らのクスクス話は元気の素なんです。だから、一所懸命がんばった子には、稽古場の闇でビニ本を渡すんですよね。特にできがよかった子には過激なやつを渡すと、大事にしまって帰るんです。性は共有の明るい話題のなかに置いておかないと、暗くゆがんだりするので、おたがいの性を闊達に笑うほうがいいと。

 緊迫した現場で、野放しにはしてあげていたんですけど、恋が芽生えるんですね。できたのは2、3カップル。誰と誰、とスタッフから聞いても絶対に口外しないルールで。激しい恋の争奪戦もあったみたいです。その後人気者になる人たちにとっても、最後の学園生活のエピソードだったのではないですかね。田原はやっぱりモテましたよ。大人っぽくて女の子の憧れでした。でもマッチは、色気というより元気な柴犬。


■暴走族のギャラリー


〈武田の話は、80年10月に始まった第2シリーズに移る。校内暴力がテーマだったこちらのシリーズの平均視聴率は、実は第1シリーズの24・4%を超える、26・3%を記録している。

 そのクライマックスは第24話「卒業式前の暴力2」。直江喜一扮する加藤優と、沖田浩之扮する松浦悟が、友人3人を連れて隣接する中学に殴り込み、学校側の通報で駆けつけた警官たちに逮捕される場面は、大きな反響を呼んだ。〉

 放送室から生徒たちが連行される場面は、ひと続きの撮影ができずに、カットをどんどん重ねていくという手法で、ある場面は「金八先生、お願いします、ヨーイ、ハイッ」。でも、次の場面は「金八先生は出ていませんから、どいていてください」。すると、また急に呼ばれて。だから場面が頭のなかで全然つながりません。そこに「金八先生、ここに来てください。彼らが襲ってきますんで」。で、生徒たちが暴れ、抑えにきた警官や刑事、泣き叫ぶ父兄がいて、それをいくつもいくつも重ねて撮る。やたら悲鳴と怒号ばかりの一日でした。

 この回を担当した演出家は僕と同い年の生野慈朗さんで、彼に、加藤たちが連行されるシーンの「できはどうですかね」と聞いたんです。すると、「ライオンさんが来たぞ、逃げろシマウマさん、みたいな、そんなシーンですね」という、わけのわからない説明をされましてね。私は、事前にはどうなるか聞かされていなくて、できた映像を観ると、私が「優っ!」と叫びながら加藤を庇いに行くところから、バーンとスローモーションになって、中島みゆきの「世情」がドッカーンと流れて、イタリア映画を観ているみたいで、出演者全員、「そう来たか!」と感心したんです。

 優とはいまも時々、酒を飲むんですけど、「撮影がうまくいかなくて」と振り返りますね。ガラス窓を割る段取りとかがうまくいかなかったようで、それで力み返って、舞台劇の国定忠治みたいな妙ちくりんな芝居を始めるんです。

 すると演出家が本番のカメラを回さないから、俺、裏に優を呼んで、「色をつけなくていいから、普通にセリフを読んでごらん。お前、妙に感情を入れるから、全然違うセリフになってるぞ」って、めっちゃ怒ったみたいですね。「生意気な芝居をするな」って。俺は忘れていたんですけど、あいつは「忘れられない」って言います。でも、いま観ても、あの場面は名演技ですよ。優が手錠をかけられて力なく崩れ落ちるところなんて、三船敏郎さんの演技を16、17歳でやったんじゃないかと思うくらい。

 それと松浦悟役の沖田浩之の人気はすごかった。「3年B組金八先生」が一番華やいだ、街の話題だった時代じゃないですかね。悟がロケ地に行くときは、土手に女の子がズラッと並ぶんですね。悟を中心に回っているようでした。

 一方、優の話になると、女の子はもちろんですけどロケ現場に暴走族が来るんですよね。で、遠目に、腕組みをして優をじっと見ている。撮影のとき土手にえらいバイクが並んでいたら、アシスタントディレクターが来て、「先生、暴走族にエンジンを切るように言ってもらえませんか」と。「嫌だよ、俺、殴られるの」と言ったら、「お願いですよ、先生、その恰好をしていたらスーパーマンと同じですから」って。仕方なく「おーい、君たち、悪いな。これからカメラを回すんだ。エンジンを切ってくれ」と言うと、本当に切ってくれた。あのころ、金八先生の力はすごかったですよ。

 暴走族は優にシンパシーを感じていたんでしょうね。優がロケバスに乗り込むとき、革ジャンを着たやつが低い声で「頑張れ、優」と言って、邪魔もなにもしない。本当にマナーのよい立派な暴走族でしたね。


■問題の個人化


 川上麻衣子は色っぽい子でね。その気はなかったんでしょうけど、沖田と仲がよくて、ロケバスのなかで仲良くお弁当なんか食べていると、担任としても羨ましくて、もう一回、中学生に戻って恋をしたいと思いました。第2シリーズはすごく楽しかったですね。しんどさは変わらないながらも、ハンドルの握り方に遊びができてきたのかな。

 88年の第3シリーズからは作風も変わって、日常的な話題を取り上げるようになりました。三食食べることの大切さとか、排便の大切さだとか。一番盛り上がったのは、15歳で父親を亡くした子が一人で葬式をあげるという回でした。

 このころから社会が動いて、入試制度が緩やかになりました。どこかの高校には行けるようになって、受験の縛りが緩くなると、学校生活そのものが全体に緩んだのではないでしょうか。ゆとり教育が叫ばれるようになって、勉強することはあまりよいことではないような風潮になって、子供たちは、おっとりはしているけど、緊張するのは苦手になっていったような。

 また、子供の声がどんどん小さくなりました。住居の質が上がったせいもあるんでしょうね。大声で話さなくても声が届く。窓も締め切るからノイズがないんです。音声さんも「先生、声がどんどん小さくなってる」と。「そういえば、昔のマッチなんか馬鹿デカい声だったね」と回想したりね。隔世の感があります。

 その後も私は、金八を延々とやりまして、プロデューサーも言っていましたが、15歳を舞台に、ここまでネタがあるとは思わなかった。中学生には社会や世界が映り込むんですね。そんななかで、時代とともに問題はだんだん個人化するんです。男の子と女の子が男女の関係になったとか、優がいた不良グループの問題とかではなく、個人の闇、個人の悩みみたいなインディビジュアルなものが問題になっていく。それは日本の問題点の変化と似ているんじゃないですかね。

 しかし、32年にわたって金八を務めましたけど、飽きることはなかったですね。もう一つ、金八を演じる際に油断したこともありませんでした。いつも課題を与えられ、それについて考え、それを一本一本繰り返す32年でした。ですから本当に燃え尽きたというか、もう、燃え残っているものはなにもありません。

「週刊新潮」2019年8月29日号 掲載

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