不登校YouTuber「ゆたぼん」と作家「太宰治」 SNSで話題の核心部分とは?

■勉強の必要性とは


「ゆたぼん」というYouTuberをご存知だろうか。2008年12月生まれの10歳。「少年革命家」を名乗って「不登校の自由」を主張している。この男児と作家の太宰治(1909〜1948)に意外な接点が生まれ、SNS上で話題になっている。

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 まず、ゆたぼんとは何者なのか、の説明から始めよう。ITジャーナリスト・高橋暁子氏が、東洋経済ONLINE(5月18日)に執筆した署名記事「YouTuber目指す大半の子が知らない厳しい現実 不登校YouTuber・ゆたぼんの明日はどっちだ」の冒頭部分は、次のような記述になっている。

《不登校の小学生YouTuber「少年革命家ゆたぼん」が話題だ。現在10歳の彼が不登校になったのは、大阪に住んでいた小学3年生の頃。宿題を強制する学校に疑問をいだき、「まわりの子がロボットに見えた」ためだという。

 ゆたぼんさんは動画内で、「学校に行くな」「ロボットになるな」という過激な発言を繰り返している。それに対して、不登校の理由がいじめなどではなく「宿題がやりたくなかった」という理由であること、それにもかかわらず「不登校の子に勇気を与える」と発言していることなどから、批判コメントが殺到している》

 ゆたぼんが「不登校は不幸じゃない」、「学校に行かなくていい」と主張する背景の1つに、学校での学習に対する不信感があるようだ。

 ネットメディアの「AbemaTIMES」は7月10日、「『批判は気にしてへん』“不登校YouTuberゆたぼん”は今? 父・幸也さん『一つの生き方、ということで見守って』」の記事を配信した。

 AbemaTVのニュース番組「AbemaPRIME」(月〜金・21:00)が8日に放送した番組を元にしたものだ。この記事の中で、ゆたぼんが学校教育への不信感を吐露している部分を引用させていただく。

《不登校になって1年。両親は生活環境を変えるため、家族で沖縄への移住を決断。それでもゆたぼんくんは学校へ行くという道を選ばなかった。「算数やってみ、ってなったら電卓で調べたらいいだけやし、漢字はググったらいいだけやろ。書くことだけが勉強じゃない。こうやって話すのも勉強やから」》

 ゆたぼんはYouTubeで翌11日にも、「【学校行かんでもググればいい】考える!調べる!人に聞く!」をアップし、同じ主張を繰り返している。2分過ぎの発言を再録させていただく。

《今はスマホに電卓があるから計算したら分かるし、分からない漢字があるなら、ググったらいい。ググったらすぐ分かる。で、今はSiriがおるから、訊いたらめっちゃ早い》

 こうした発言は反響を呼んだ。そしてSNSで批判的な言及が多かったのは事実だ。とはいえ、相手は10歳の子供だ。「ゆたぼんの父親が、どこまで息子に言わせているか」も議論になるなど、批判側も悩みながらの発言が目立った。

■太宰が「ゆたぼん」を“論破”と話題


 話を戻せば、「なぜ勉強をしなければならないのか」という根源的な問いに答えるのは意外に難しい。Twitterでは、多数のユーザーが様々な角度から「勉強の必要性」を主張したのだが、そこに登場したのが太宰治だった。

 今年の夏、ゆたぼんがAbemaPRIMEの取材に答える写真と、太宰治の小説『正義と微笑』の文庫版・19ページを写した写真が並び、「少年革命家がいま話題になってるけど例の発言に大して太宰治が時を越えて論破してるから流石だなぁって」(原文ママ)とのツイートで発信されたのだ。

 太宰の出典を正確に言えば、元本は新潮文庫の『パンドラの匣』。これには『正義と微笑』と『パンドラの匣』の2本の長編小説が収録されている。

 写真で紹介された『正義と微笑』だが、そもそもどんな小説なのか、新潮文庫版に収められた文芸評論家の奥野健男(1926〜1997)の解説から引用しよう。

《太宰治の許に出入りし、小説の指導を受けていた文学仲間であり弟子であった堤重久氏の弟の、堤康久氏の昭和十年前後の十六歳から十七歳にかけての日記を元にした小説である(堤康久氏は当時中村文吾の芸名で前進座の若手俳優であり、戦後は『正義と微笑』の芹川進の芸名で演劇活動を続けている)。太宰は「あとがき」で、「『正義と微笑』は青年歌舞伎俳優T君の少年時代の日記帳を読ませていただき、それに依って得た作者の幻想を、自由に書き綴った小説である」と述べている》

《どこまで堤康久氏の日記によったのか、どこから作者の想像によるフィクションかは、堤氏の日記と照合しなくてはわからないが、堤氏の日記に書かれた事実を借りながら、主人公の心情や思想の殆どは太宰治の創作であろうと想像できる。なぜなら主人公、芹川進の心情は余りに太宰治的であるからだ。しかし同時に昭和十年頃の旧制中学生、大学予科生の風俗と言動を実に巧みに日記から再現している。戦前も今日も、全く同じように受験勉強に苦しみ、愚劣な教師や友人や運動部の先輩などに悩まされ、嫌悪しながら傷ついている。読んでいて、どうして、今日も昔も学校というものは、愚かなまま変わらないのだろうと溜息が出て来るほどだ》

『正義と微笑』が描いた世界は、ゆたぼんが提示した不登校というテーマと、実はそれほど遠いものではないことが分かる。主人公の芹川進は不登校にこそなっていないが、学校という場所に疑問を抱いている。

 Twitterで紹介された『正義と微笑』の一節は、具体的には《去年わかれた黒田先生》の発言だ。英語教師で、主人公は《利巧だった。男らしく、きびきびしていた。中学校全体の尊敬の的だったと言ってもいいだろう》と評している。

 この黒田先生が、主人公を含むクラスの全員に別れを告げるシーンがある。「クビになる前に、俺のほうから、よした。きょう、この時間だけで、おしまいなんだ。もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これからうんと勉強しよう」と呼びかけるのだが、ここで“勉強の重要性”が語られる。一部をご紹介しよう。

《勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない》


■太宰も丸暗記は否定的


 普通、学校における勉強が批判されたり、不評を買ったりする原因として、「実生活には全く役に立たない無数の知識を、無理矢理に暗記させられても意味がない」と説明されることがある。

 詰め込み教育の弊害、というわけだが、この黒田先生の面白いところは、「日常の生活に直接役に立たないような勉強」こそ、私たちの人格を完成させると断言しているところだろう。

 ちなみに別の部分で、黒田先生は「覚えるということが大事」なのではない、とも説明している。丸暗記に意味がないことは、太宰も承知なのだ。

 最終的に黒田先生=太宰は、どういう論理展開で勉強の重要性を説いたのかは、実際に文庫を読んでいただくとして、こうして黒田先生は学校を去っていった。そして彼の言葉を紹介したTwitterは反響を呼び、10月1日現在で30万件を超える「いいね」と、10万回を超えるリツイートが記録されたのだ。

 感想を述べたツイートも多数、投稿された。その一部を、デイリー新潮の表記法に合わせて、いくつかご紹介させていただく。

《アインシュタインも「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。」(Education is what remains after one has forgotten what one has learned in school.)と言ったとか》

《勉強すると言う体験を大事にしてほしい。その中で心に残った何かが将来の仕事や趣味に繋がるかもだし、その経験が将来の精神の強さに繋がる》

《高齢の先輩方が後悔している事の一位が勉強です。時代の影響で十分勉強出来なかった状況の世代が勉強したいと願っている。勉強に集中できる世代は存分に勉強して遊んでください。私も中学くらいからもっかい学べるなら学びたいこと沢山あるし。遅くないから今でも毎日勉強》

《こんな勉強 意味あるの?学校なんて意味あるの?と疑問に思いながら暮らして大人になった。結果、今思うのは 意味のない勉強など1つもなかったと言うこと。そして.…すべき勉強から逃げた分は、社会人になってから必要となりw 勉強し直してますね》

 無理矢理でも学校へ行く必要があるのかないのか、この点で議論が起こるのは仕方ないだろう。だが、国語、算数、理科、社会、図工、音楽、体育――という勉強、学ぶことから逃げてはいけないようだ。

週刊新潮WEB取材班

2019年10月8日 掲載

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