追悼・八千草薫さんの女優魂「私のおならの音…」 『やすらぎの郷』脚本家・倉本聰氏との交流秘話

 脚本家の倉本聰氏はスポーツ報知等の取材に答え、亡くなった直後に駆けつけて対面を果たしたことや、故人の思い出を語っている。

 倉本氏とは半世紀近い交流があり、何度も八千草さんと仕事をしてきた。自身のキャリアを振り返った著書『ドラマへの遺言』(碓井広義氏との共著)でも、八千草さんの名前は何度も登場する。いくつか抜粋して紹介してみよう。

 まず、現在放送中の昼の連続ドラマ「やすらぎ」シリーズの誕生にも八千草さんは関わっていた。かつては民放も毎日放送する形式の連続ドラマを手がけていたが、いつの間にかNHKの朝ドラのみになり、独占状態になってしまっている。倉本氏はそこに疑問を感じたという。

「なぜ民放がそこに斬り込まないのかが不思議だった。そんな話を、加賀まりこや八千草薫さんたちに話していたら、やりましょうよって言い出した。出演料はタダでもいいから出たい、なんていう話になってきて、『やすらぎの郷』のもとになる企画を作ったんですね。そうしたら、テレビ朝日が受けてはくれたんだけれど、やっぱり朝はダメだった」

 倉本氏の脚本で、八千草さんが初主演をつとめたのは「おりょう」。1971年の「東芝日曜劇場」(TBS系)である。

 この作品、当初、倉本氏は断ったのだという。そこにはこんな事情があった。倉本氏は俳優の性格を掴んでからでないと書かない、というのを鉄則にしていたという。

「たとえば女優さんって鎧をつけてるんですよ。その鎧(よろい)を外さないと欠点が見えない。欠点を書いてあげないと個性にならない。長所が見えたところでなんにもならない。恋愛って普通、長所を見ちゃうじゃないですか。だから、わりと破綻するでしょう。それと似たようなもので、欠点から入って書くといい。

 口のデカい女優さんがね、それを欠点だと思っていると、隠そうとして口が小さく見えるようメーキャップする。逆なんですよ。大きくしてやったほうが個性につながってくる。岸田今日子がひとつの例ですけれども」

 ところが、八千草さんの欠点が倉本氏には見えなかった。目に見えるならまだしも、内なる欠点を見つけ出すのはかなり難しい。

「ですからね、八千草さんの場合は、1年半かかった。マネジャーに聞いてもさっぱりなんだから。

『おりょう』のときだって、本当は“あの人のおならの音が分からないと書けない”って一度断ったんです。ですが、そのあと、八千草さんから電話がかかってきて、“私のおならの音、分かりません?”って言われて、慌てちゃって。

 そうしたら、八千草さん、ふっとまじめな声になって“でしたら、新珠(あらたま)さんのおならの音も分かりませんでしょう?”って。僕はちょっとドキッとした。この人は、新珠三千代(みちよ)さんに対して嫉妬心を持っているんだっていうのが分かって。それからですね、書けたのは」

 この“おなら問答”から倉本氏のドラマにはたびたび八千草さんが出演することになる。そして、結局、現在放送中の倉本作品「やすらぎの刻〜道」が八千草さんの遺作となったのである。

デイリー新潮編集部

2019年10月29日 掲載

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