山田涼介の努力がすごすぎる 競争社会ジャニーズをいかに勝ち抜いたか

 ジャニーズたちの“努力”に焦点をあて、そこから彼らの仕事観や人生哲学に迫った拙著『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)。そこでは中居正広や木村拓哉、堂本剛、櫻井翔、滝沢秀明、中島健人など16人のジャニーズにフォーカスしたが、もちろん血の滲むような努力を積み重ねてきたのは、彼らだけではない。

 本稿では、主演映画「記憶屋 あなたを忘れない」の公開が来年1月に控える、Hey! Say! JUMPのセンター、山田涼介の努力の軌跡に迫りたい。(「元祖ジャニヲタ男子」/WEBマガジン編集長・霜田明寛)


■奇蹟は努力でたぐり寄せる


 山田涼介はこう語っている。

「ジャニーズほど競争率高い社会はない」(「STORY」2014年8月号)

 いかにして山田はその競争を勝ち抜いてきたのか――。
まずは時計の針を15年前に戻し、山田涼介と筆者のささやかな“因縁”から始めてみたい。

 2004年8月、筆者はジャニーズJr.のオーディション会場にいた。
 テレビ東京の「Ya-Ya-yah」という番組でおこなわれた公開オーディションだったため、会場はテレビ東京の神谷町スタジオ。小学生から中学生のティーンエイジャーが大半をしめる会場の中で、18歳の大学生だった筆者は、タッキー&翼の「夢物語」を必死に踊った。
 会場の中に、まあるい顔をした、かわいい顔の男の子がいたのをはっきりと覚えている。
 名前を、山田涼介といった。
 オーディション会場での一瞬の邂逅から15年。ジャニーズJr.のオーディションを通過し、ジュニア内の競争を勝ち抜いてデビューを果たし、そして、グループのセンターに立つ――。
 それは奇蹟のようにも思える。だが山田はこう語っている。

「奇蹟は願うだけでは叶わない。努力してたぐり寄せるものだと思う」(「anan」2017年 10月4日号)

■不遇の時代から、ジャニーズの「ど真ん中」へ


 ジャニー喜多川は、自ら演出を手掛ける舞台で“帝国劇場でフライングをさせるタレント”を慎重に選び、格別な信頼を寄せていたように思う。「フライング」とは舞台で宙に舞う演出のこと。
 舞台の華となるフライングを、ジャニーズが初めて帝国劇場でおこなったのは2000年の「MILLENNIUM SHOCK」。それから約20年、帝国劇場でフライングを続けているのは堂本光一。そして2012年初演の「JOHNNYS' World -ジャニーズ・ワールド-」シリーズでは、山田涼介、中島健人(Sexy Zone)、平野紫耀(King & Prince)と限られた人材にしかフライングをおこなわせていない。

 そんなジャニー喜多川の理想とするステージを作り上げる重責を担いながら、今では数多くのテレビや映画に主演し、Hey! Say! JUMPのセンターを務める山田涼介。嵐の二宮和也をして「ジャニーズのど真ん中」と言わしめた存在である(「Cut」2016年4月号)。
 入所とともに脚光を浴びたような印象を持つ人も多いかもしれないが、Hey! Say! JUMPのデビュー当時、山田はセンターではなかった。今となっては信じられないかもしれないが、ジュニアの頃から不遇の時代が続き、目の前スレスレに通ったチャンスをなんとか掴んで今の場所まで昇りつめた男なのである。

 2016年のフジテレビ月9ドラマ「カインとアベル」に主演した山田はこう語っている。

「ドラマに主演させていただいたり、グループのセンターに立たせていただいたりするより、期待されない時期のほうが長かった」(「AERA」2016年11月7日号)

「何もせずにここに立たせてもらっているわけじゃない」(同上)

 その“期待されない時期”に、山田はどんな努力を積み重ねてきたのか――。


■同い年のライバルの背中


 山田涼介がジャニーズJr.入りしたのは2004年。当時のジュニアには、山田と同い年で、後に共にHey! Say! JUMPを結成することになる中島裕翔が、山田より半年早く入所していた。中島は、入所直後に雑誌の表紙になり、センターでマイクを持って歌うなど、かつての滝沢秀明をも思わせる破格の扱い。翌年には月9ドラマ「エンジン」(主演:木村拓哉)、日本テレビの「野ブタ。をプロデュース」(主演:亀梨和也)といった先輩ジャニーズが主演する連ドラにも、出演するようになっていく。
 同期で同い年でありながらすでにカリスマだった中島が、ステージで踊る姿を初めて見た山田は心を躍らせながらも、こう思ったという。

「裕翔が立つあの場所からはどんな景色が見えるんだろう」(「MORE」 2019年2月号)

 しかし、一方で山田は、約2年間マイクさえも持たせてもらえない日々が続く。一緒にダンスレッスンを受けていて、中島が間違えても、怒られるのは山田。「今のは……」と言い返した瞬間にポジションを端にズラされるので反論できないという不条理に耐える日々。その時期を、「何度も“なんか実力だけじゃねーな”って思っちゃってた時期もあって。社長や誰かの目に留まる運も必要なんだなって」と振り返る(「Myojo」2014年8月号)。

 ある日のこと、一緒に帰っていた中島に駅のホームで「やめようと思ってる」ことを相談する。しかし、中島は真剣に話を聞くことをしなかったという(ちなみに、中島はそれを今でも後悔しているらしい)。

 だが、山田はやめなかった。レッスン場での立ち位置は、相変わらず後列。鏡に映る自分の姿は小さい。そのことを両親にこぼすと、親は大きな鏡を買ってくれた。その前で、必死に練習を重ねる。レッスン場で4時間踊った後に、毎日家で3時間の自主稽古。骨折をして、「来なくて大丈夫」と言われても、無理矢理レッスン場に行ったこともあるという(「SODA」2016年11月号)。


■突然のチャンス


 ステージでは、ダンスだけではなく、同世代のジュニアの衣装替えを手伝ったり、マイクを渡したり、裏方的な仕事も務めた。そんなある日、ひとつめのチャンスがやってくる。

 タッキー&翼のコンサートで、中島裕翔の代役が回ってきたのだ。しかしそのことが決まったのは、ステージの2日前。それでも「絶対にチャンスだ」と感じた山田は、急遽、24曲分の振り付けを覚えて臨むことに。
 さらに、滝沢秀明の舞台でも、中島裕翔の代役が回ってくることになる。今度は、なんと1日2公演の本番と本番との間に言い渡される。間の数時間で、振り付けとセリフを全部覚えた山田。
 そのときは、終演後にジャニー喜多川が走って駆けつけて、「やばいよ、ユー!!」と褒めちぎったという(「Myojo」2014年8月号)。入所から約2年、当時はジャニーと「話したことすらなかった」(「Myojo」2018年2月号)山田の努力が、ついに“見つかった”瞬間である。

 チャンスは突然やってくる――。そんなときに「無理です」「できません」と言ってしまってはチャンスを逃してしまうが、失敗してしまったらもっとみじめである。突然の機会でも山田が乗り切れたのは、普段からきちんと準備ができていたから。立ち位置は違えど、常日頃から中島の動きを観察し、「超えてやろう」という意識があったからこそ、山田は突然訪れたチャンスを掴むことが出来たのだ。 


■ジャニーズは「できて当たり前」


 山田はジャニーズの定義について、「チャンスに全力で応えるのは当然。何でもできて当たり前なのがジャニーズだから」と語っている。
 この出来事をきっかけに、山田は「運も必要」と思っていた時代から一転。先輩から褒められることも多くなり、「一生懸命だったこと、いつかは誰かに届くんだ」(「Myojo」2014年8月号)という実感を得ていく。そしてついに代役ではない形でチャンスが訪れる。

 中島裕翔で決まりかけていたという、2006年放送のドラマ「探偵学園Q」の天草流役を、山田が務めることになったのである。さらに、2007年にデビューしたHey! Say! JUMPでは1曲目のセンターこそ中島だったが、2曲目のシングルのPV収録現場で、中島と山田が立ち位置を変わるよう指示され、山田がセンターに。 

 夢見た瞬間は、突然やってくる――。
 マイクを持てない端の位置で踊りはじめて4年が経っていた。

「センターって言われた瞬間、何が起こったか全然わかんなくて。“いつか裕翔を超えたい”って思いながら、どっかで超せるわけないって思ってたから」(「Myojo」2014年8月号)

 そうして山田はグループの中でも突出した活躍を見せるようになる。
 デビュー当初、山田と中島の関係はギクシャクしたという。それでも、グループが山田を中心に結束したのは、センターである山田が常にグループのことを考えていたから。 
 山田は、ライブでの歓声がメンバーごとに差があることに違和感や気まずさを覚えたことがあるという。2013年、主演ドラマ「金田一少年の事件簿」の主題歌に抜擢されたのは、Hey! Say! JUMPの曲ではなく、まさかの山田のソロ・デビューシングル。
 個人的には喜んでいい状況だが、常にグループ全体のことを考える山田は混乱し、マネージャーに「もうやめさせてください」と直訴したこともあったという。Hey! Say! JUMP のためになると信じて頑張ってきたのに、「がんばればがんばるほど、結果的にみんなを傷つけてしまう」(「Myojo」2014年8月号)と悩む山田。
 同じJUMPのメンバーである八乙女光はこう語る。

「仕事がない時は、何かを身につける時間に充てるのが大事なんだよね。(中略)“出番が回ってきてるからチャンス”ではなくて、“回ってこない時こそチャンス”みたいな。そういうことに、今は全員が気付けている」(「日経エンタテインメント!」2015年9月号)

 メンバーがそのことに気づいたきっかけは、仕事が回ってこない時をチャンスにし、常に準備を怠らなかった、山田だったのかもしれない。


■泥沼を歩いて身に付けた色気


 26歳になり、最近は大人の色気も醸し出す山田だが、「目は全てを物語る」と、視線や目の動かし方は気をつけているという。
 17歳の頃から、毎日のようにいろいろなアーティストのライブDVDを見て研究。「カメラ目線や目配せはジャニーズ一上手いと自負していますよ」と笑う(「anan」2016年10月19日号)。

 もちろん目だけではなく体にも気をつける。食事のカロリーに関しては「頭の中に大体インプットされている」らしく、食べた後に「今の食事は全部で○カロリーだな」と計算。
 舞台に出演する際は体脂肪率を3パーセントまで落としたり、ドラマで病人の役をやるときは、絶食と運動で3日で4キロ痩せたことも。ダイエット中は18時以降食事も水分もとらないという徹底っぷり。のどが渇いたときは、水を口に含んで潤してから飲まずに吐き出していたという(「日経ヘルス」2015年8月号、「日経エンタテインメント!」2015年4月号)。

 そこにはアイドルであることへの並々ならぬ決意と努力がある一方、犠牲にしているものへの自覚も強い。
「すばらしい経験をさせてもらえるのは自由という代償を差し出しているから」などとよく語る山田。色気について聞かれ「泥沼を歩き、経験を重ねた人のほうが色っぽい」(「anan」2016年10月19日号)と語るのは、自らのことを指しているようにも思える。

 15年前のあの日、11歳だった少年のかわいさからは一転。グループのセンターに立ち、笑顔を振りまきながらも、ときに憂いを帯びた目をし、色気を漂わせる26歳の山田涼介。それは、努力の末、泥沼を抜けてきたからこその姿なのかもしれない。

霜田明寛(しもだ・あきひろ)
1985(昭和60)年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。9歳でSMAPに憧れ、18歳でジャニーズJr.オーデションを受けた「元祖ジャニヲタ男子」。2019年8月現在は、WEBマガジン「チェリー」の編集長を務め、著名人インタビューを行う。3作の就活・キャリア関連の著書がある。

デイリー新潮編集部

2019年10月31日 掲載

関連記事(外部サイト)