滝沢カレンにMatt、叶姉妹……いま求められる「空気を読まない」賢さとは

滝沢カレンにMatt、叶姉妹……いま求められる「空気を読まない」賢さとは

滝沢カレン

 11月22日の「いい夫婦の日」前後は結婚ラッシュ。メイプル超合金・安藤なつ、オードリーの若林正恭、イモトアヤコ、元ももクロの有安杏果、などなど。本当におめでとうございます。好感度の高い面々ばかりで、SNSもお祝いムードにあふれていた。印象的だったのは漫画家・清野とおると結婚した壇蜜。「美しいだけでなく賢い女性で、こんな女性が妻だったらどんなにいいか」というコメントが多く、中には女性の「もし男だったらこういう女性を妻にしたい」という反応もいくつか見受けられた。

 壇蜜がどんな場においても「隣のエッチなお姉さん」として振る舞う徹底ぶりは、誰しもが知るところだろう。男社会への迎合だという批判もあるものの、突き抜けた媚によって、艶っぽい笑いが生まれ、その場の緊張感が薄れていく。周囲の空気を和らげる機転とプロ意識をもって、「賢い」女性という認識につながっているのではないだろうか。

 限界ギリギリの露出で、あくまで男性向けの色モノ枠とされていた時期もあった壇蜜。それでもブレない姿勢と、ちょっと古風な物言いや頭の回転の速さに、一周回って好きになったという女性も多いだろう。頭が空っぽそうなのに、実は賢いという「能ある鷹は爪を隠す」戦略は、日本人の琴線にふれやすい。

 不本意にいじられることはあっても、嫌な顔をせず笑って受け流す。あるいは、より大げさに切り返す。そういうタレントを「空気を読んでキャラを貫く、賢い人」と判断する風潮は広がってきた。ぶりっこキャラだった女子アナや女性タレントが、時間がたってから「機転が利き、プロ意識がある」と再評価されるのも同じだろう。しかし、ここ最近の人気者たちの面々を見ると、どうもその「賢さ」の正体は変化している気がするのである。


■滝沢カレンにMatt、叶姉妹……あえて「空気を読まない」からこその賢さ


 例えば滝沢カレンやMattである。彼女たちも、バッシングから一周回って人気者になったタイプだ。壇蜜と同様、「実は賢い」と評価されているのではないだろうか。

 出てきた当時は変な日本語とタメ口で、ローラの亜種的ハーフタレントの一人でしかなかった滝沢カレン。自分の顔に対する強すぎる美意識と、度が過ぎた写真の加工で気味悪がられていたMatt。でも今や、2人ともバラエティにひっぱりだこだ。滝沢の変な日本語も、「Matt加工」と呼ばれる写真加工も、唯一無二の売りになっている。

 自分のこだわりを追求するプロ意識というのはもちろんだが、ポイントは他人を悪く言わないというお行儀の良さではないだろうか。空気を読んだ上で、相手を茶化したりプロレスをしかける「悪役やバカになれる」賢さというのは、少しずつ過去のものになっている気がするのである。

 他の例で言うと、叶姉妹も同じである。かつては疑惑の過去などバッシングが絶えなかったが、その美意識あふれる言動やコスプレ姿は、憧れの対象へと変わった。自分のこだわりは徹底しつつも、相手の背景や立場も尊重できる。そんな姿勢が再評価されている。

 空気を読めるからこそ、キャラに徹することは本当に賢いのか。むしろ滝沢やMatt、叶姉妹たちには、「他人にそこまで興味がない」という強さすら感じる。人は人、自分は自分。だから、みんな違ってみんないいんだよ。そんな健全なたくましさが、彼らが持つ、新しい「賢さ」の正体なのではないだろうか。

 芸事の世界では、「人を怒らせたり泣かせたりするのは簡単だが、笑わせるのは難しい」と言う。相手との距離感やタイミング、言葉や表情ひとつとっても気は抜けない。でも一番重要なのは笑わせようとするのではなく、笑われてもいいと自意識を手放せる強さがあるかではないか。壇蜜もそうだが、滝沢やMatt、叶姉妹たちもどんな状況でも、「笑われてもいいわ」と自身の芸を差し出せる経験値とおおらかさを感じる。その積み重ねが、賢さと映るのだろう。

 空気を読む賢さから、空気を読まないからこそ生まれる賢さへ。手探りでひとつの正解を出すのではなく、ひとりひとりが生み出す別解もアリ、とされる世界は楽しそうだ。少なくとも、おいしい空気が吸えそうな気がする。滝沢らが活躍しているうちは、きっと安泰だろう。

(冨士海ネコ)

2019年11月28日 掲載

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