急死した俳優の鴈龍さん 生前、本人が語った勝新太郎と中村玉緒の独特な教育

急死した俳優の鴈龍さん 生前、本人が語った勝新太郎と中村玉緒の独特な教育

雁龍太郎さん(撮影・上森清二)

 1997年に他界した俳優・勝新太郎さん(享年65)と女優・中村玉緒(80)の長男で俳優の鴈龍さんが急性心不全のため、11月死去していた。55歳だった。勝新さんから独特の教育を受けた鴈さん。だが、勝新さんの破天荒なイメージとは違い、鴈さんは上品で人が良かった。勝さんの教育と鴈さんの素顔を振り返る。

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 勝さんの長男の鴈龍さんは生前、筆者にこう語っていた。

「僕は幼いころ、高いところが苦手だったのですが、それを知ったおやじは撮影所の照明台の最上部に僕を登らせ、下から『よし、俺のところに飛んで来い!』と命じるんです。無茶ですよ。高さが10m以上あったんですから。おやじが受け止められなかったら、間違いなく死にます。だから飛びませんでしたよ」(生前の鴈龍さん)

 豪快な伝説を数々残した勝さんは、子育ても型破りだったようだ。幼いころの鴈龍さんは水もまた苦手だったが、それを聞いた勝さんはプールや川に鴈龍さんを投げ込んだという。

「子供ながらに、『そんな殺生なぁ』と思ったものです」(同・生前の鴈龍さん)

 ただし、それは教育熱心の表れ。鴈龍さんと元女優の長女・奥村真粧美さん(56)は勝さんの命によって幼稚園からアメリカンスクールに通った。勝さんが「これからの時代は英語が話せなければダメだ」と考えたからだ。

 勝さんは鴈龍さんを鍛えようとしたが、怒ったり、叱ったりしたことは一切なかった。

「メチャクチャやさしかった。おふくろ(玉緒)は怖かったけれど。朝、靴紐がうまく結べないだけで、おふくろから往復ビンタを食らったことがあります」(同・生前の鴈龍さん)

 勝さんは子煩悩で、どこにでも鴈龍さんを連れて行った。所属していた映画会社・大映には生まれた直後から頻繁に同行し、そのたび、宣伝部員に写真を撮らせた。公表するためではない。プライベート用だ。1960年代の話で、当時は写真一枚撮るのも簡単ではなかったからだ。

 子供のころの鴈龍さんは、とんでもないところにまで勝さんに連れて行かれた。

「小学生のとき、『ベラミ』に連れて行かれました」(同・生前の鴈龍さん)

 「ベラミ」とは京都市の三条大橋のほとりにあった高級クラブである。いかにも勝さんらしい。このクラブには関西の大物たちが客として集っていた。1978年には山口組3代目組長・故田岡一雄氏の銃撃事件の現場にもなっている。

 ちなみに、この時は酒を飲まされたわけではないが、ブランデーを飲まされたのは13歳の時。その後は日本酒をかけた蕎麦を一緒に食べるようになった。

 型破りながら、勝さんは鴈龍さんにたっぷりと愛情を注いだわけだ。そのせいであろう、鴈龍さんは無垢で穏やかな人柄だった。だから、勝さんが興した勝プロダクションとその倒産後に設立された勝プロモーションの関係者たちから「たけちゃん(本名は奥村 雄大=おくむら・たけひろ)」と呼ばれ、可愛がられた。

「勝さんと違い、素直なお坊ちゃんでした。敵を作るようなタイプではありませんでした」(元勝プロ関係者)


■死亡事故で謹慎


 鴈龍さんのデビューは勝さんが監督を務めた1989年版の映画「座頭市」。その役柄は悪党・五右衛門一家の親分役で、新人らしからぬ大役だったが、本人の人柄がいいため、やっかむ声はなかったという。

「たけちゃんの演技は物凄く良かった。勝さんの指導も良かったのでしょうが、スタッフ一同が唸るほどだった」(同・元勝プロ関係者)

 だが、この撮影中、悲劇が起こる。鴈龍さんの使っていた日本刀が、模造刀から真剣に入れ替わっており、それが共演者の首に刺さり、死亡してしまったのだ。

 鴈龍さんは業務上過失致死の疑いで警察の事情聴取を受けた。その後の捜査や裁判によって、鴈龍さんに真剣を持たせたのは時代劇経験のない助監督だったと認定されたが、人命が失われてしまったことに変わりはない。鴈龍さんは1994年までの約5年間謹慎する。

「これからという時の5年間は長かったし、たけちゃんのショックも大きかっただろう。可哀想だった」(同・元勝プロ関係者)

 1997年に勝さんが他界すると、勝さんの親友だった故・石原裕次郎さんが興した石原プロモーションに鴈龍さんが所属するという動きがあった。だが、石原プロが新人をほとんど採らない状態になっていたためか、話は立ち消えになる。

 結局、勝さん亡き後の鴈龍さんは玉緒の個人事務所に所属する。だが、その後の鴈龍さんが仕事面で恵まれていたとは言えない。2003年にはNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」(2003年)に徳川家の本多正純役で出演したものの、テレビのほかの仕事は玉緒が出演する2時間ドラマの助演が中心。映画出演も1998年の「修羅がゆく7」以来、なかった。

 人の歴史に「たられば」は禁物だが、「座頭市」の事故と謹慎がなかったら、あるいは石原プロ入りが実現していたら・・・……。「座頭市」での演技の評価が高かったのは間違いないのだ。


■最後の舞台


 ただし、ハングリー精神も求められる役者の世界だけに、無垢で穏やかな人柄が仇になったのかも知れない。また、「座頭市」のころは痩身だったが、2000年代以降、みるみる太っていった。これも役者としてはマイナスだったのだろう。一説によると、身長は174cmながら、体重は100kgを超えていたという。

 最後の仕事は西村まさ彦(58)が座長を務め、2017年2月から3月まで全国各地で上演された舞台「COASTER 2017」。コメディとミステリーが融合された作品で、鴈龍さんはPR用のインタビューで「こういったお芝居は初めてなので、ドキドキします」などと語っていた。帰国子女という役柄で、セリフは英語交じり。勝さんが入れたアメリカンスクールでの経験が生かされた。

 だが、残念ながら、この舞台での演技への評価は高くなかったようだ。本人が言った通り、新領域だったことからので、難しかったのかもしれない。一部では、「この舞台の仕事の後、働こうとしないので玉緒さんがシビレを切らし、今年5月に絶縁した」と報じられているが、前出・元勝プロ関係者は「たけちゃんが自分から怠けようとしたとは考えられない。思うように仕事が来なかっただけではないか」」と語る。

 元勝プロ関係者は2000年に上演された鴈龍さんの主演舞台「悪名」を観に行った。勝さんも映画で主演した作品だ。

「嬉々として演じていた。大張きり切りだった。役者の仕事が嫌いなわけでは決してなかった」(同・元勝プロ関係者)

 では、なぜ玉緒が鴈龍さんと距離を置いたかというと、どうやら経済的に頼っていた鴈龍さんに自立を促したというのが真相らしい。本人のためである。玉緒は勝さんと違い、靴紐がうまく結べないだけで往復ビンタをする人なのだ。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
ライター、エディター。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

週刊新潮WEB取材班

2019年12月9日 掲載

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