宍戸錠さんが語った義妹「ちあきなおみ」との仲 復帰して弟のために歌えよ…

宍戸錠さんが語った義妹「ちあきなおみ」との仲 復帰して弟のために歌えよ…

宍戸錠さん

 俳優の宍戸錠さんが、虚血性心疾患のため亡くなった。享年86。エースのジョーとして日活の黄金時代を築いた名優と同時に、歌手・ちあきなおみの義兄としても知られていた。生前、週刊新潮に長きにわたる“妹”との断絶について、次のように語っていた。(以下は週刊新潮2011年6月30日号掲載時点の情報です)

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「この歳で子供を作ると宣言しているんだよ。チャーリー・チャップリンと同じことをしたくてね」

 そう冗談を飛ばす、宍戸さんはとても77歳とは思えないほど、元気そのもの。背筋をピンと張り、スラリとしたスタイルはかつて、エースのジョーと呼ばれたスクリーンの姿そのままだが、そんな宍戸さんを5年前、突然病魔が襲った。

「ある日、日本テレビの『午後は○○おもいッきりテレビ』に出演していたら、虚血性心疾患の特集をやっていて、右心房に白い影が写っている人はその可能性があるとか、最近はこの病気に罹る人が多いとか言っているんだよ。それを聞いて、“お、おれはこれと同じ感じだよ"と思って、近くの心臓の専門病院に“部屋は空いてるか”と電話で聞くと空いてるというので、そのまま駆け込んで入院したんだよ。2週間入院して、CTスキャンからありとあらゆる検査をした。やっぱり虚血性心疾患ということで、カテーテル治療をしたんだ。あの治療は、腕に細い管を入れられただけ。心臓に白い影がなくなるまで、4本ぐらい入れられたけど、全然大変じゃなかったよ。死にそうな思いなんてなかったな。でも、えらい金を取られた。使いもしないのに3部屋もある個室だった。風呂だってものすごい大きさでね」治療は成功。心疾患は完治したという。「77歳だからジムで鍛えているわけではないけど、体はまったく問題ないね。ガッツ石松ぐらいなら倒せるね(笑)。歳なんて関係ない。今でも俺はかっこいいよ。でも、病気はバカにしてはいけない。月に一回は病院に行って検査を受けている。今、尿酸値がちょっと高いぐらい。まあ、酒も飲むしな」

 そんな宍戸さんだが、実は昨年4月、長年連れそった夫人をガンで失った。元女優で、エッセイストの宍戸游子さん(享年77)である。「かみさんは本を書いていて、いつも胃を机に押しつけていたから、ガンになっちゃったのかもしれないなあ。俺より一つ上。中国・大連生まれで、終戦後、丸坊主にされて、引揚船で舞鶴港に着いたんだよ」游子さんは、学習院女子教養学園を経て、56年に日活入り。宍戸さんと知り合い結婚。62年に引退し、その後、40代から執筆を始め、随筆家として活躍した。最後の作品は昨年1月に出版した『終わりよければすべてよし』だった。

「俺は女関係はめちゃくちゃやってたから、かみさんには逃げてもらいたかったんだけれど、結局、子供を3人(長女・史絵/長男・開/次男・表)作った。かみさんが亡くなっても全く辛くはない。自然の出来事だからね。地球上では遅かれ早かれ、みんな死ぬんだよ。命が尽きるなんて当たり前のこと。死ぬときゃ死ねばいいんだよ。俺、サダムフセイン子っていう名前の牝のシェパードを飼っているけど、もう21歳。相当に長生きしている。出生証明があったらギネスものなんだけども、俺があまり可愛がるもんだから、かみさんが嫉妬して破いてしまった。だから、証明できなくなった。でも、今、かなり体調が悪いんだよ。後ろ足が動かなくなって、立ち上がれない。ずっと食べていたレバーの塩焼きも食べられなくなったし、水も飲めなくなった。かみさんが死んでから、俺が一人になったのが分かって、寝る時はベッドのそばに来るんだよ。その守りようったら凄いよ。

 でも、もうすぐ死んでしまうな。ただ、俺はそれでも参らない。みんな死ぬんだからね。でも、犬はもう飼わないな」

 夫人に先立たれた宍戸さんだが、19年前には弟を失っている。俳優の郷^治。妻は歌手・ちあきなおみである。


■“その日のうちにデキたみたいだ”


「^治は明治大学を出ているんだけど、大学で覚えたのは麻雀だけ。卒業して“仕事はどうしょう”というから、日活を紹介したんだよ。“俳優で一つのポジションを作れば、ずっと食えるぞ”って。俺が日活で主演になった頃から、俺の敵役をやりだしたけど、^治は日活ではそんなにいい役はやってない。顔が恐いだけだからな。ただ、殴り方の演技も、スポーツも一流だったね。彼は高校の頃は水泳をやっていて、100メートルの競泳をしたら、3メートルぐらい置いていかれたよ。でも、水泳と麻雀以外は全部俺が勝つけどな」

 郷^治とちあきなおみが結婚したのは78年だが、二人が出会う以前から、宍戸さんはちあきなおみと親しくしていたという。

「俺とちあきの出会いは『元祖どっきりカメラ』(日本テレビ)で共演した時だね。あの番組は平均視聴率が17・9%も取っていたから、“色々な人が出してくれ”と言ってきたけど、その中にちあきもいたんだよ。その時の『どっきりカメラ』の仕掛けは、ペンキ塗り立てのベンチに座ったらどうなるか、ってやつだったんだけども、ちあきはペンキの付いたベンチに座って立てなくなり、スカートをパッと広げたまま、後ろにグワーっと倒れたんだよ。それも全然、平気な顔でさ。それを見て、“こいつは持ってるなあ、使えるなあ”と思ったんだよ。青山の『薔薇屋敷』というバーにいつも行っていたが、石原裕次郎や小林旭、堺正章、そしてちあきなおみも来ていた。ある夜、一人ずつショーをやらせたんだ。やり始めたら裕次郎なんて人にマイクを渡さない(笑)。旭はかん高い声、マチャアキは歌の間にギャグを入れる。でも、歌はちあきがダントツに上手かったね。ちあきの歌の上手さはハンパじゃないんだよ。好き嫌いはあると思うけど、俺は美空ひばりよりも上手いと思うね。ありとあらゆる流行歌、英語の歌も含めて、ちあきにかなう歌手はいないよ。リズム&ブルースでもゴスペルでもないんだけど、ちあきは心にその二つの精神を持っている。びっくりするぐらい上手い」

 そんなちあきなおみと郷^治を引き合わせたのは、宍戸さん自身だという。

「73年に『くるくるくるり』(日本テレビ)というドラマで俺とちあきは夫婦役をやった。あの頃は、ちあきとは本当によく喋っていた。ある時、ちあきが“誰かいい男を紹介してくれない”というから、“だったら、弟の^治はどうだ”と言ったんだよ。そしたら、ちあきは、“ああ、それいい!”って喜んでさ。俺はそれを見てピンと来たね。(郷を)狙っていたんだよ。その頃、^治は離婚したばかり。子供もいなかったから、“ちあきのことどう思う”って聞いたら、“悪くない”って言うんだ。“じゃあ、ちあきに会わせる”といって赤坂の『ポイント・アフター』という店で引き合わせたんだよ。二人はその日のうちにデキたみたいだったな」


■“レクイエムを歌えよ”


 すぐに一緒に暮らし始め、5年後に入籍した。「結婚する時、“式は挙げろよ”と言ったんだけど、結局、挙げなかった。でも、あれだけ惚れあっていたのも珍しい。バカじゃねえのってくらいに惚れあっていたね」結婚後、ちあきなおみは個人事務所を立ち上げ、郷^治が社長兼マネージャーに納まった。

「そのうち^治が肺ガンになってしまったんだよ。築地の国立がんセンターに入院したんだけど、見舞いに行くと、VIPルームの窓が開かないように、看護婦がガムテープを貼っているんだよ。“何してるんだ”と聞くと、"郷さんが亡くなったら、ちあきさんが飛び下りるかも知れない”というんだね。だから、俺は言ってやったんだよ。“心配するな。そんな女じゃねえよ”って」92年9月11日、郷^治は55歳の若さで逝った。「火葬の時、俺は言ったんだよ。“見てろ。ちあきは^治と一緒に火葬してくれという格好をするから。でも止めなくても平気だ”ってね。そうしたら、全くその通りになったので、みんな驚いていたね。ちあきはそういう女。生まれながらの役者なんだよ。でも、それが悪いってことじゃない。それくらい“一人の男を夢中で愛していた。その男と添い遂げたい”という気持ちを実際に表に出すタイプの女なんだよ」

 郷^治の死から半年後、偲ぶ会が行なわれた。

「ちあきに言ったんだよ。“葬儀は密葬でもいい。でも偲ぶ会の時には、受付はお前がやるんだ。お前の亭主は俳優だった。お前は歌手なんだ。兄貴も俳優だ。みんな偲んでくれるって時、奥さんが来ないのはダメだよ”って。でも、偲ぶ会には来なかったね。電話で“^治の一番いい写真を出せ”と言ったけど、“写真がない”という返事だった。だから、俺が^治の絵を描いて飾ったんだ」

 以来、この19年間、彼女からは一本の電話も一枚の葉書もないという。

「うちのかみさんが死んだ時も連絡はなかった。別に俺を恐れているわけじゃないと思う。俺にもわだかまりはない。むしろ、^治と結婚してからは対等な関係だったし、何度も一緒に飯を食った。俺ほど優しい兄貴もいないよ。でも、なぜか一切連絡をよこさないんだ」

 ちあきなおみは郷^治の死後、一切の芸能活動を休止し、沈黙した。その後の消息は亡夫の命日に墓参りに訪れている、と伝えられる程度である。

「ちあきが芸能界から消えて来年で20年か。^治が亡くなったと同時に、芸能活動も終わりにしてしまったのかなあ。でも、あれだけの才能があるのに、終わりにするなんて、俺には理解できない。ちあきに言いたい。復帰しろよ。もう63歳だろ。2年後に死ぬか、20年後かわからないけど、歌うべきだ。それほど^治を愛していたなら、やつのためにレクイエムを歌えよ。絶対やれよ。ちあき、もう一度歌えよ」

 あの哀感込めた歌声を再び聴きたいと願うのは、宍戸錠さん一人ではないはずである。

2020年1月29日 掲載

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