勝新太郎が舞台でヒップホップ 「おまえたちの新しい川に乗せてくれよ」と言った意味

勝新太郎が舞台でヒップホップ 「おまえたちの新しい川に乗せてくれよ」と言った意味

勝新太郎

■湯浅学「役者の唄」――勝新太郎(2)


 音楽評論家の湯浅学氏が迫る勝新太郎の「唄」。1993年、勝のアルバム「ザ・マン・ネバー・ギブ・アップ」(82年発表)のCD化を打診するため勝プロモーションを尋ねた湯浅氏に、勝本人は「録音し直したい」と告げる。


■二元論からの解放


 表と裏、闇と光、それは対立するものではなく一体になっているものだ、と勝新太郎は感じていた。

 表通りには必ず裏通りがあり、何かに光を当てれば必ずどこかに影ができる。

 当たり前ではないか、という前に、そのことを世界像に照らし合わせてみる。勝新太郎の新しい歩みはそこから始まった。ピカロに転じることで、善と悪を二元論から解放した。盲人を演じることで開眼した。悪事によって正義のあやうさを知った。「不知火検校」で勝新太郎に対する世間の見る目が変わった、とは言えないが、勝本人の世の中を見る目が変わった。「不知火検校」はその後34年の時を経て1994年に、勝自身の演出/主演で舞台化された。その舞台では音楽はEDISON(エジソン、※注1)が担当したが、勝の希望でヒップホップが取り入れられた。

 勝は新しい音楽によく耳を傾けていた。息子の雄大からの教示もあった、という。舞台版「不知火検校」ではヒップホップ的なステップも導入されていた。この舞台の後、DJクラッシュをはじめとするクラブ系ミュージシャンのトラックと勝の歌をコラボレーションさせる、という企画を持ちかけられていたが、それは実現しなかった。

 そういえば「不知火検校」の舞台を観に行き、終演後勝の楽屋を訪ねたとき、開口一番「どうだった? ヒップホップやってみたんだが」と聞かれたことがあった。そのとき俺は音量がひかえめでせっかくの試みが伝わりにくくなっていると思ったので「音量はもう少し上げたほうがいいと思います」と感想を述べた。勝は「そうか」と頷いて「明日から直す」といった。確かに翌日から音量はぐっと上げられていた。

 この舞台公演は毎日のように改訂というか手直しが成され公演時間は日ごとに延びていった。当初3時間ほどだったが、楽日あたりでは4時間近かった。


■「俺と一緒に悪いことを考えてくれ」


 この舞台は勝にとっても手応えのあるものだったようで、自らの手で再映画化することを思い立つ。94年の暮れから95年の初頭、春にかけてのことだった。この計画に際して、根本敬(※注2)と俺は勝の下に呼ばれた。

「俺と一緒に悪いことを考えてくれ。どっちがより悪いことを考えつくか、競争しようじゃねえか」

 俺はぞっとした。うれしい恐怖とでもいうものを感じた。どう考えたってこの競争、勝新太郎に勝てるわけがない。そんなことはわかっていて我々を誘っている勝に感動した。この計画はさらに我々に脚本を書け、というところまで進んだが、いくつかのシークエンスを提出することはできたのだが、ストーリーをまとめること(ところ?)までは至らなかった。我々は勝に、悪事やシーンのいくつかを書いて(イラスト付きで)渡した。

「おもしろいんだが、俺にはおもしろいんだが、これではカンヌは獲れないな」

 と勝は微笑した。

「いい料理人を見つけたって感じだな」

 ともおっしゃってくれたが、我々は大変恐縮した。

 その後、この「不知火検校」再映画化のシナリオを勝は梁石日に依頼している。

 勝は、古い友人関係よりも新しい人たちと付き合いたがることが多かった、という話もきいたことがある。

 新し物(者)好き、というのとは少しちがうような気がする。常に自分を改訂していかないと気がすまなかったのではないか。

 我々が勝と知り合ったのは、ハワイのコカイン所持の一件で刑が確定した直後に行った「宝島」誌でのインタビューでだった。表紙も勝だった。表紙とグラビア用の撮影時に勝はスタジオで持参したエニグマのCDをかけていた。このときのインタビュー記事を勝はとても喜んでくれた。このときの発言の一部は『俺、勝新太郎』(※注3)の中に使われている。芸能記者からは出ない質問ばかりで、うれしかった、という。

 そのインタビューの翌年、「ザ・マン・ネバー・ギブ・アップ」のCD化の話をしにうかがったのだ。

 アルバムの出来に不満がある、というのはない話ではない。しかし、それを歌い直して新しくしたい、というのはどう考えてもミュージシャンの発想だ、と俺は思った。「ザ・マン・ネバー・ギブ・アップ」を制作したころの勝は「警視-K」(※注4)の打ち切り、勝プロダクションの倒産という不遇の時だった。

 だからその“ネバー・ギブ・アップ”であったのだが、それに不満があったというのが、さすが勝新太郎だ、とも思った。

 宇崎竜童、三木たかし、皆木英滋という作家陣は“新しい映像”を伝えるための起用だと、理解できる。

 しかし、このこのアルバムに不備があることを感じていたのは勝だけではなかった。このアルバムのCD化の際に中村とうようは「これは勝の魅力をきちんと伝えているとは言えない。制作陣が勝に対して腰がひけてしまっているのを感じる」とのことを自身のコラムで書いていた。

 勝が歌い直したい、と感じていたのも、そのあたりに理由がありそうだ。勝新太郎をプロデュースする、ディレクションする、というのはたいへんな仕事であろう、と想像はできる。

 しかし勝は生前「俺という船を、おまえたちの新しい川に乗せてくれよ」とよく言っていた。俺も直接そう言われたことがある。自分がやっていない何事か、やってみたらできるかもしれない何事かを教えて欲しい。それは率直な欲求だったに違いない。

(つづく)

注1:EDISON
篠笛奏者・プロデューサー・作曲家・編曲家。勝新太郎監督・脚本・主演「座頭市」、藤沢周平原作、豊川悦司主演の「必死剣鳥刺し」、アニメ「Black Lagoon」「Hells Angels」も手掛け、舞台に於いてはブロードウェイミュージカル「ピーターパン」にも携わった。秋川雅史の「千の風になって」のサウンドプロデュース等、クラシカルクロスオーバーの分野でも活躍している。

注2:根本敬
1958年生まれ。漫画家、エッセイスト、映像作家、コレクター、人物研究家、歌謡曲研究家、幻の名盤解放同盟員、蛭子劇画プロダクション・チーフアシスタント。東京都目黒区出身。自称・特殊漫画家、特殊漫画大統領。過去に売れなかった歌謡曲の発掘(アクの強い楽曲が多い)を湯浅学(音楽評論家)、船橋英雄と「幻の名盤解放同盟」と称しておこない、P-VINEレーベルからその復刻版を多数リリースさせた。

注3:『俺、勝新太郎』
勝新太郎の人生録。ハワイでの逮捕以後、自らの幼少期や役者時代を振り返り、書き下ろした一冊。1992年11月、廣済堂出版より発売された。

注4:『警視-K』
勝新太郎監督・主演の刑事ドラマ。破りの刑事・賀津勝利、通称・ガッツの活躍を描く。1980年10月7日から12月30日、日本テレビ系で毎週火曜日、全13話が放映された。

湯浅学(ゆあさまなぶ)
1957年神奈川県横浜生まれ。音楽評論家。「幻の名盤解放同盟」常務。バンド「湯浅湾」リーダー。著書に『音楽が降りてくる』『ボブ・ディラン――ロックの精霊』『大音海』『音山』『嗚呼、名盤』、監修に「スウィート・スウィートバック」など。

編集協力:平嶋洋一(キネマ旬報)/週刊新潮WEB取材班編集

2020年2月5日 掲載

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