朝生MC「村上祐子氏」の再婚に一言いいたい……“不倫された”テレ朝「前夫」の告白

 テレビ朝日「朝まで生テレビ!」のMCを務める村上祐子氏(41)の再婚が話題になっている。再婚相手は、事実婚の関係にあったとされるNHK政治部記者のA氏。これまで二人の再婚を阻む存在として言われてきたのが、村上氏の前夫で離婚に同意せず泥沼の法廷闘争を続けてきた、テレビ朝日社員の西脇亨輔氏(50)だった。西脇氏が「デイリー新潮」の取材に、初めて心境を語った。

 ***

「こうなった時、私のような立場になった側は、黙っているのが美徳とされる風潮が世の中にあると思います。私もそう思わなかったわけではありません。ただ、一連の“再婚報道”で、先方側の様々なコメントが出されているのを見て、当事者としての私の思いを、きちんと伝えたいと思いました」

 西脇氏はインタビューを受けた理由について、こう語った。

 西脇氏は異色の経歴を持つ。筑波大学附属高等学校を経て、1989年に東京大学法学部に入学。在学中に司法試験合格を果たす。だが、その後、彼が選んだ職業はアナウンサーだった。

「司法修習の実務研修で宇都宮に配属になった時、初の一人暮らしを経験しました。その時初めて、テレビというものを自由に観るようになったのです。当時は『ニュースステーション』の全盛期で、毎晩わくわくしながら観ていました。自分もこんなふうに人の心を動かす仕事がしたいと考えて、弁護士事務所の内定を辞退し、テレビ朝日のアナウンサー試験を受験したのです」

 その後、西脇氏は局アナとしてサラリーマン生活をスタートさせる。それから6年後、アナウンス部に入ってきた後輩アナウンサーが村上氏だった。

■ある日突然、荷物と家財道具がなくなってしまった…


 二人は朝の情報番組「やじうまプラス」での共演がきっかけで交際が始まり、06年に結婚。それを機に西脇氏は法務部に異動し、弁護士資格を生かした新たなキャリアをスタートさせた。一方の村上氏にも、15年に転機が訪れる。15年勤務していた編成制作局アナウンス部を離れ報道局政治部へ異動。記者として、一から現場を学びたいという彼女の希望であった。

 しかし、その直前、異変が生じた。

「突然、別れを切り出されました。私たちは子宝には恵まれませんでしたが、それまでは普通に、共通の趣味の映画や旅行を楽しみながら、仲良く暮らしていたつもりでした。あまりにも急な話だったので、何とか話し合いしようと思いました。けれど、ある日、帰宅したら、彼女の荷物と家財道具の大部分が無くなっていて……」

 翌日、届いたのは、離婚を求める内容証明であった。

「慌てて向こうの弁護士さんに会いに行ったのですが、『離婚を求めます』の一点張りで、なぜ離婚したいのか、理由がはっきりしないのです。直接、彼女と話し合いをしたいと求めても、拒否される。とても納得して別れを受け入れられる状況ではありませんでした」

 しばらくして、村上氏から離婚調停が申し立てられたが、不調に終わる。続いて18年12月に離婚裁判を起こされ、西脇氏は自らが自分の弁護人となって法廷で闘う道を選んだ。

「実は、その後の訴訟も含めて、自分だけでの訴訟はやるべきではなかったと後悔しています。弁護士仲間からは、『自分で自分を弁護するのはやめたほうがいい』と諭されてはいたんですが、“自分で出来る”“自分のことは自分が誰よりもわかっている”と熱くなっていました。実際にやってみると、いつもなら冷静に判断出来るはずのことも出来ないことに気づきました。頭で分かっていても、気持ちに揺さぶられてしまいまして。勤務後、夜中に自宅で訴状や証拠書類の準備を進めるのですが、自分自身の話なので異常に筆が進むんです。でも、朝になって読み返してみると、酷い内容が書き連ねてあって慌てて書き直したり、余計なことまで書いてしまって後から自分に不利だと気付くということもありました」

■“カミソリ”弘中惇一郎弁護士との対決


 一番辛かったのは、二人のアルバムの整理だったという。

「夫婦円満だった頃の写真を証拠書類として裁判所に提出するのですが、深夜それを整理しながら、あの頃は楽しかったな、と思い出しながら、写真に証拠番号を書き込んでいく時間はつらかった」

 村上氏が依頼した弁護人は、“カミソリ”の異名で知られる、弘中惇一郎弁護士だった。あるテレ朝関係者は、「西脇氏が『相手として不足はない』と吹聴していたのは社内では有名な話」と証言するが、改めて本人に確認すると、

「確かにそのようなことを言ったことはあります。いったい、彼女は弘中先生とどんな接点があったのだろう、番組関係者の紹介なのだろうかなどと考えつつ、滅多に対戦できる相手ではないと、一人で力んでいたところはありました」


■“週刊誌を読んで全身から血の気が引きました”


 そして、離婚訴訟が進む最中、西脇氏は衝撃的なニュースを目にすることになる。19年4月、「週刊ポスト」が、村上氏とNHK政治部記者のA氏との“お泊り愛”を報じたのだ。

「記事を読み、文字通り、全身から血の気が引きました。手や足が驚くほど冷たくなって、目眩がするほどでした。それまで離婚の理由は『性格の不一致』だと思っていたのですが、Aさんとの関係があったのではないかという疑念が湧いてきたのです。私はお酒が弱いんですが、あの時は何をいくら飲んでも頭が冴え続けて、酔うことも寝ることも出来ませんでした」


■なぜNHKまで訴えたのか


「ポスト」報道の1カ月後、西脇氏はA氏に慰謝料を求める裁判を起こす。だが、それだけでは西脇氏は納得いかなかった。10月には、使用者責任があると損害賠償を求め、A氏の勤務先のNHKまでも訴えるのである。

「NHKを訴えた件は、今年2月に『週刊新潮』に書かれてしまいましたが、あの記事の通りです。実はこの手の訴訟は結構あるのです。例えば、警備会社の巡回警備などで家に上がった警備員が奥さんと不倫関係になってしまい、夫が警備会社を訴えた事件など。それと同じで、Aさんは元妻である村上さんと政治部の記者クラブという業務の場で親しくなり、不貞関係という不法行為に至るようになった。職場の業務が関係した不法行為なので会社の使用者責任を問うことができる、という主張でした」

 とはいえ、あまりに突飛な行動には違いない。そもそも勝ち目などあるのだろうか。

「おっしゃる通り、主張が認められたという判例はほとんどありません。ただ、職場でのこうした行為が容認されてよいものかと問題提起したい思いもありました。またこの裁判を通じてAさんとの関係が本当はいつ始まったかについて、新たな証拠を出させることで、真実を明らかにしたいという思いもあったのです。ただ、結果として棄却されましたし、今となっては他の方法を取るべきだったと思っています」


■二人で住んでいたマンションを売却し、ワンルームマンションに引っ越し。気持ちを切り替え新たなスタートを切ろうと思っていた矢先に……


 このように戦線を拡大していった西脇氏であったが、やがて諦念に行き着いたという。それはちょうど、コロナ禍で裁判が延期になった今年4月頃だったという。

「最後まで納得はいきませんでしたが、すでに二人が同居している事実がある以上、いつかは離婚を受け入れなければなりません。このまま離婚訴訟が続けば、私が村上さんとAさんを証人として問い詰める段階に入ることになります。証人尋問は、公開の法廷で傍聴人が見守る中で行われます。それでも裁判が延期になる前は最後までやり抜こうと思っていました。しかし、コロナ禍で、いろいろなことを見つめ直すなかで、そこまでして傷つけ合うのはどうかと思い直し、最終的には和解することにしたのです」

 離婚が成立したのは6月末だった。その後、他の裁判も終了した。

「和解内容については守秘義務があるのでお話できませんが、私としては、ただ静かにこの争いを終えようと思ってのことでした」

 民法の規定で、離婚後100日間は再婚できない。おそらく村上氏とA氏の再婚は10月以降のことだ。西脇氏は、離婚し財産分与するタイミングで、二人で住んでいたマンションを売却した。

「マイホームを売るとき、自分で内覧に訪れた人を案内したのですが、かわいいお子さんを連れた若いご夫婦や、仲睦まじいシニアのご夫婦に接し、“本当だったら自分もこうした夫婦になれたんじゃないないか”と切ない気持ちになりました。その後、大学の新入生が住むようなワンルームマンションに引っ越しました。気持ちを切り替え、新たな生活を切り出そうと思っていた矢先だったのですが……」

 11月6日に発売された「週刊ポスト」に掲載された村上氏再婚の記事を読み、複雑な心境になったという。

「記事には彼女が共演する田原総一郎さんの祝辞など、先方側のコメントだけが載っていました。確かに不倫された側が声を上げることなんてあまり無いのかもしれません。でも、このままでは、不倫された側はどういう思いをするのか、不倫が何をもたらすのか、全部なかったことになってしまう気がしたのです」

 最後に二人に言いたいことはあるかと問うと、西脇氏はこう答えたのだった。

「これまでのことと、きちんと向き合いながら、生きていって欲しいと思います」

週刊新潮WEB取材班

2020年11月12日 掲載

関連記事(外部サイト)