40周年「イデオン」はなぜ忘れられたのか 「ガンダム」富野由悠季もうひとつの傑作

40周年「イデオン」はなぜ忘れられたのか 「ガンダム」富野由悠季もうひとつの傑作

今年6月にはバンダイから「超合金魂」が発売されたが、特に40周年と絡めた動きではなかったようだ(Amazonより)

■傑作「イデオン」は、なぜ祝われなかったのか


 アニメ監督・演出家の富野由悠季(79)の名声は、国内のアニメ関係者の中でも際立っている。「機動戦士ガンダム」の生みの親として広く知られ、2019年には文化庁長官表彰受賞、2020年にはアニメーション・オブ・ザ・イヤーの功労賞部門に選出された。19年6月からは福岡市美術館を皮切りに全国6会場の美術館を巡回する大規模展覧会「富野由悠季の世界」が開催され、話題を呼んでいる。

 現在、展覧会は富山県美術館で開催されているが、副題には「ガンダム、イデオン、そして今」とある。ガンダムに並び「伝説巨神イデオン」が、富野アニメの代表作であることを表している。

 しかし「イデオン」と「ガンダム」の知名度、人気の差は大きい。実際、今年が「イデオン」誕生40周年だったことを知る人は、そう多くはないだろう。目立った周年イベントも行われなかったので無理はないが、2019年に「40周年プロジェクト」として華々しい企画やイベントがいくつも実施された「ガンダム」とは対照的な扱いだ。もちろん、コロナ禍の影響もないことはないだろうが、ガンダムに関しては今年も「ガンプラ(ガンダムのプラモデル)」40周年企画が大々的に展開されている。

 事実、富野由悠季の知名度のほとんどは、1979年に誕生した「機動戦士ガンダム」とその後のシリーズに負っている。数多くのガンダムシリーズのなかでも、「機動戦士Ζガンダム」(85)、「機動戦士ガンダムΖΖ」(86)、「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(88)、「機動戦士ガンダムF91」(91)、「機動戦士Vガンダム」(93)、「∀ガンダム(ターンエーガンダム)」(99)、そして劇場上映企画が現在進行中の「Gのレコンギスタ」と、富野が関わった作品は数知れない。そのキャリアの中心にガンダムがあると言っていい。

 もちろん、富野由悠季には「ガンダム」シリーズ以外にも、1972年の監督デビュー作「海のトリトン」や「無敵超人ザンボット3」(77)、「聖戦士ダンバイン」(83)といった傑作がある。ただその存在は「ガンダム」の圧倒的な知名度の前では霞んでしまっているのが実情だ。「イデオン」もそうだろう。

 そもそも放送当時から、イデオンの人気はガンダムと大きな差があった。ガンダムは40年の歴史を通し、続編、スピンオフ、ブランドの新展開などが絶えない。一方、イデオンは作品のストーリーの都合上(後述)、続編やシリーズ作品が作りにくい。そのあたりの事情も、人気の“格差”が生まれたのかもしれない。


■大物クリエイターに愛され、絶賛される理由


 ところが、イデオンの熱心なファンは今でも少なくない。とりわけアニメ業界や名を成したクリエイターにビッグファンを表明する人は多い。

 たとえば2013年に「伝説巨神イデオン Blu-ray BOX」が発売された時には、「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督、「魔法少女まどか☆マギカ」の新房昭之監督、「亡国のイージス」の作家・福井晴敏が、イデオンファンとしてインタビューに答えている。2014年には「サマーウォーズ」の細田守監督が「伝説巨神イデオン」をテーマにWOWOWで富野由悠季と対談した。さらに遡れば、1999年発刊の「富野由悠季全仕事」で「踊る大捜査線」の監督・本広克洋がイデオンへの熱い想いを語っている。『精霊の守り人』の作者・上橋菜穂子がNHKの番組で大ファンであると公言したこともあった。また、アニメ業界を題材にしたTVアニメ『SHIROBAKO』では、「伝説巨大ロボットイデポン」なるイデオンを思わせる作品が、過去の傑作として登場する。

 これほど多くのクリエイターを惹きつけるイデオンとは、そもそもどういった作品なのだろうか。


■TVアニメの最後はお蔵入り…


「イデオン」が放送されたのは、1980年の5月から81年の1月末。79年4月から放送されていた「機動戦士ガンダム」の終了直後にあたる。「ガンダム」の終了前に、すでに「イデオン」の企画は動いていたという。

 作品を簡単に説明すれば、地球人と「バッフクラン」と呼ばれる異星人が「イデ」という未知のエネルギーを巡り出会う中で、誤解が生じ、宇宙規模で戦闘を拡大していくSFロボットアニメ、ということになる。この誤解は最後まで解けることなく、ふたつの文明が滅びるまでが描かれる。

 富野由悠季(当時は富野喜幸として活動していた)はこの頃、毎年のように1年シリーズの新作TVアニメを制作していた。並行して劇場映画を手がけ、小説の執筆もしている。つまり非常に多忙な時期にイデオンは誕生したということになる。作品は量産されていたが、むしろ数々の傑作が生まれた、脂の乗った時期でもあった。

 しかし当時イデオンは、確かな結果が残せなかった。当時の多くのロボットアニメ同様、夕方帯(21話までは毎週木曜18:45分、以降は毎週金曜19:30〜)で放送されていたが、視聴率は低迷。連動して販売されたロボット玩具の売上も伸び悩んだ。結果、当初予定していた全43話を39話に短縮する格好で、イデオンは突如打ち切られるのだ。イデオンのハードな物語が、子ども人気を見込んだスポンサーの意図と違ったことも、この背景にはあるだろう。

 問題は、打ち切られたことで、ストーリーのクライマックスが放送されず、尻切れで意味不明のラストになってしまったのだ。当然、熱心なファンたちは不満を抱いた。物語がようやく完結したのは、TVシリーズの終了から1年半後の82年7月。総集編である「接触篇」と失われラストを新たに描いた「発動篇」の映画が、2本同時公開されたのだった。

 両作で上映3時間を超える大作である。が、一旦はお蔵入りとなった反動と、TVシリーズよりスケジュールに余裕があったことで、新作パートの「発動篇」は演出、作画のクオリティは、凄まじいまでに高い。「発動篇」はアニメ史に残る大傑作と語り継がれる。


■誤読された「イデオン」、神でも宗教でもなく「人の業」の物語


「イデオン」の魅力は、「壮大なテーマ」「宗教的な世界」「衝撃的なラスト」といった言葉でしばしば説明される。しかしこれらの評価は、作品のごく一部に過ぎないと私は思っている。

 イデオンのなかで、むしろ際立つのは人間ドラマにある。例えば、自身は男性からの愛を得ることが出来なかった姉が、愛する男の子をもうけた妹に対して持つ妬みと憎しみと怒り。高い知性とプライドを持つ一方、愛するものを次々に失う中で精神のバランスを失っていく女性科学者。どのキャラクターも生々しく、視聴者の感情移入を拒否するかのようだ。

「TVアニメで生々しい人間の業を描き出した」。これこそが、イデオンがアニメ史に刻まれる作品たる理由だ。全ての登場人物が死に、そして再生する結末は衝撃的であるが、神や宗教は作中で言及されていないのも特長だろう。

 もちろん、人間ドラマは前作「機動戦士ガンダム」でも多く描かれたが、「イデオン」では人の業によりフォーカスしている。それはガンダムで成功した富野由悠季が、よりストレートに自身の想いをぶつけた結果かもしれない。富野らしさが全面に出たとされる後の作品「逆襲のシャア」や「Vガンダム」の源流は、“ファーストガンダム”でなく、むしろイデオンにある。


■作品への没入を拒む構造


「イデオン」に一般的な知名度や人気もない。若いアニメファンの間でも「壮大なテーマを扱ったアニメ」と半ば伝説化したイデオンの評価が、新規ファンの獲得を阻んだのかもしれない。何かしら近づき難い作品との印象を与えてしまうのだ。アニメ関係の仕事をしている人やアニメファンと話をしても「『イデオン』に関心はあるのだが、観る機会がなくて」といった言葉を聞くことが多い。

 イデオン好きの著名人をもう一度振り返ると、1960年代生まれに集中している。TV放送時に10代だったことを鑑みると、彼ら彼女らの思い入れは次世代に引き継がれず、作品と共に生きた人たちのみに支持されていることになる。イデオン好きを公言する人たちにしても、次世代に視聴を強く薦める雰囲気もない。それは時に“基礎教養”とまで言われる「ガンダム」や「ドラゴンボール」などと大きく異なる。

 そもそもイデオンには、新規の視聴者を拒む要素が多い。たとえば「伝説巨神イデオン」のタイトルは、古臭い。70年代、80年代の型的なロボットアニメを彷彿させる。玩具のようなロボットのデザインも、ガンダムのモビルスーツに較べると、時代に逆行した印象を与えるかもしれない。

 いま観直すとしても、シリーズの歪な構造も障壁だ。先ほども述べた通り、TVシリーズは唐突に打ち切られ、ラストは不完全。後の劇場版も、39話あったTVシリーズを1時間半にまとめた「接触篇」は、重要な箇所をはしょりすぎ、初見の視聴者は混乱する。一方、未放送パートの「発動篇」は、こちらは前提知識の共有なしで話が進むから、初見ではチンプンカンプンだ。

 結局、TVシリーズ全39話をきちんと観た後で「発動篇」へ進むのが正しい「イデオン」の観方なのだが、ここにも難がある。全39話は、いまのTVアニメの基準では、かなり長いのだ。また、キャラクターたちは視聴者の共感を得にくく、他の多くの富野作品と同様、物語の展開はなかなか進まない。面白くなるまで視聴するのには忍耐が必要になってくる。思えば、TV放送時は、毎週1話だからこそ視聴を続けることができた。改めて一気に観るには向いている作品ではない。

 しかし裏を返せば、観始めたときに抱く作品への「面白いのか?」という疑念と、中盤以降に加速度的に勢いを増す作品の仕上がりのギャップも含めて、「イデオン」は傑作なのである。忍耐強く付き合った結果として得られた感動が、作品の魅力を増す。それがクライマックスに達したなかで突如打ち切られ、満を持しての映画化。作品を巡る環境そのものがドラマなのだが、これは今から体験できない。だからこそ「イデオン」ファンは、若い世代にわざわざ視聴を勧めないのかもしれない。


■なぜいま「イデオン」なのか


 そんな「イデオン」は、それでも現代で観る必要はあるのだろうか? もちろん観るべきだ。「イデオン」という作品を、歴史に残す必要性がある。傑作と呼ばれるアニメでも、多くは後から見ればどこか古臭さを免れない。数少ない作品だけが、時代を超えても色褪せない。その点、「伝説巨神イデオン」には、何十年経ってから鑑賞しても、物語、作画、キャラクター、あらゆるものに新鮮さがあるのだ。

 1980年代初頭、アニメ作品のなかでイデオンは、浮いた存在だった。線の細い美形キャラクターが主流になりつつなる中で、骨格が浮き上がるようキャラクターデザイン、視聴者の共感を拒否する登場人物たちの行動・言動。エピソードごとに描かれる、容赦なく残酷なストーリー。だからこそ、むしろ時代に流されないのだ。誕生40周年は必ずしも大きく取り上げられなかったが、50年後、100年後にも残る作品に違いない。

 近年の富野由悠季に対する評価の高まりは目を見張る。しかし、それでもまだ不十分である。富野由悠季という傑出したアニメ演出の仕事が「ガンダム」だけでない事実は、もっと知られるべきだ。富野の60年代から2020年代に至る長いキャリアには、さらに焦点があたるべき作品が溢れている。その最右翼が「イデオン」なのである。

数土直志(すど・ただし)
ジャーナリスト。メキシコ生まれ、横浜育ち。アニメーションを中心に国内外のエンターテインメント産業に関する取材・報道・執筆を行う。大手証券会社を経て、2002年にアニメーションの最新情報を届けるウェブサイト「アニメ!アニメ!」を設立。また2009年にはアニメーションビジネス情報の「アニメ!アニメ!ビズ」を立ち上げ、編集長を務める。2012年、運営サイトを(株)イードに譲渡。2016年7月に「アニメ!アニメ!」を離れ、独立。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年12月26日 掲載

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