
三浦春馬さん「お別れの会」延期の背景に遺族の“揉め事”? 両親が遺産を巡り対立か
2021年01月12日 16時06分 デイリー新潮
2021年01月12日 16時06分 デイリー新潮
2021年01月12日 10時57分 デイリー新潮
三浦春馬さん
三浦春馬さんが亡くなって半年が過ぎようとしているが、いまだ「お別れの会」が開かれず、追悼の機会は失われたままとなっている。そんな中、三浦さんの実の両親が遺産を巡り対立しているという――。
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当初は所属事務所主催で2020年のうちに予定されていた「お別れの会」は、一周忌となる今年7月を目安に延期。彼を悼(いた)む場が設けられないまま新年を迎えることとなった。そして追悼の機会を失われたファンの心に暗い影を落とすのは、自死の理由が未だ明らかになっていないことに尽きる。一部の熱狂的なファンの中には、自殺の真相を知るべく警察に“再捜査”を求める署名活動が行われ、優に1万件を超える数が集まったのだ。
もっとも所属事務所はこれまで2度にわたり三浦の死の経緯について、ウェブ上でリリースを発表。その上で昨年12月11日の最後の主演映画「天外者(てんがらもん)」公開を前にしたタイミングで、「お別れの会」を開こうとしていた節が窺(うかが)えるのだ。
さる芸能関係者によると、
「アミューズは当初、20年の11月中に会を開く方向で準備を進め、都内の会場を念頭に遺品の展示を検討するなど、話はかなり具体化していたそうです。ところが10月28日になって一周忌まで延期する旨を発表。対外的にはコロナ禍の影響などを総合的に考慮したと説明しましたが、実は遺族間の“揉め事”が背景となり、調整がつかずにいるようなのです」
いったいどういうことか。
「生前、春馬さんは自らが代表を務める法人を設立してギャラを管理していた。印税なども含めて数億の遺産があるとされていますが、それらの配分を巡り、実母と実父の双方が代理人を立て、話し合いが行われている。遺族の窓口が一本化されていない状況なのです。葬儀後、遺骨や遺品は実母が引き取って実質的な主導権を得ており、所属事務所としても彼女の意向を無視できません」
所属事務所のアミューズは、
「展示などの企画は検討前の段階で、ご遺族への打診なども行ったことがありません」
と回答するが、なぜ生みの親たちの関係がこうまで拗(こじ)れているかについては、少々説明が必要だろう。
そもそも三浦さんは、実母の勧めで4歳の頃から地元つくば市にあった俳優養成所に入り、天才子役と呼ばれてスターの階段を駆け上っていった。ところが、小学生になってほどなく両親が離婚。一人っ子の彼は母親に引き取られたのだ。
つくばアクターズスタジオ元会長、加藤麻由美氏は、こう振り返る。
「当時、私の右腕で俳優上がりの男性スタッフが、春馬に演技をイチから親身に指導していました。一緒にサインを考えてあげたり、まるで父子のように面倒をみていたんです。その後、男性スタッフは亡くなりますが、その最期にも春馬は駆け付けたと聞いて、本当になついていたんだなと。8年ほど前に都内で開いた追悼会にも、春馬は律儀に顔を出してくれました」
中学校に上がる前の段階で母が、ホストクラブに勤めていた男性と再婚。継父とひとつ屋根の下での生活が始まるものの、東京の堀越高校を経て、芸能界で「三浦春馬」の知名度が上がるのと反比例するかの如く、親子関係は次第に悪化していく。
「4年ほど前に、春馬が“俺は母さんと絶縁した。もう何年も連絡とってないんだ”って漏らしたことがあったんです」
そう明かすのは、三浦さん親子を知る友人のひとりだ。
「実母は、春馬のことを“ハルちゃん”と言い、彼もまた同様に母親の下の名をちゃん付けして呼び合っていた。だから、絶縁したと聞いて突然の変わりように驚いた。それで“親子の縁を切るなんて、大抵はお金が理由じゃないの”って彼に水を向けてみたら、“そうだね。そんなもんだよ”ってポツリと呟いていて……」
キー局のディレクターは、
「役者として一人立ちしてからも、春馬さんは実家に仕送りをしていました。しかし、浪費癖のある親御さんは息子を通さず所属事務所に金銭を無心したことがあった。のちにそれを知った春馬さんは激怒したという話が流れています」
そこで彼は強硬手段に出たと、先の友人が振り返る。
「実母の方から“春馬の連絡先を知らない?”と聞かれたことがありました。絶縁してから、彼はケータイを着信拒否にしたのか、実の親と完全に連絡を絶ってしまったのです」
当の実母もまた、8年ほど前に再婚相手と離婚してしまったと話を続ける。
「当時の春馬は、継父に対しても“もう顔も見たくない”と言い放ち、夫婦が離婚した直後、“速攻で役所に行き、継父の籍から抜いてもらった”と話していた。あえて自分から“天涯孤独”の道を選んでしまったんだと思いましたね」
三浦さんが中学時代に役作りのために始めたサーフィンの師匠で、亡くなる直前まで親交を重ねた「茨城元気計画」代表の卯都木睦(うつぎあつし)氏(53)は、こんな三浦さんの様子が印象に残っていると話す。
「春馬が高校生の頃かな。サーフィンをした後、オレの家族と一緒に夕食で鍋を作ったりしたんだけどね。そういう家族団らんの食卓を、春馬は知らなかったみたいで、“なにコレ?みんなで分けて食べるの?”って珍しがっていたんだよ」
18年の正月には、彼の口から思いがけない言葉が飛び出したと続ける。
「オレの息子たちに、春馬が“50過ぎのオジさんと二人で神社に行っちゃった。もう親子だよね”って照れながら話してさ。こっちも冗談めかして“よし、オレが親なら、春馬は長男だからな”と言ったの。そしたら次の日も海に行こうよと誘われてね。元旦から2日連続で海に入った。“次に彼女が出来たら結婚したい”なんて、前向きな話もしてくれていたんだけど……」
そんな三浦さんは、2、3年前に地元の茨城で、小学生の頃に生き別れた実父と再会を果たしていたのだ。
「実父が病を患い入院して春馬は見舞いに訪れた。それをきっかけに二人で盃を交わすような関係となり、交流を深めていった。現在、相続の話し合いがつかない状態で遺骨は実母が持っているため、実父は満足に手を合わせることもできていないようです」(先の友人)
亡くなる1カ月ほど前、春馬は自らが代表を務める個人事務所の名義を、継父の姓から本名の「三浦春馬」に登記し直したことからも、実父側に心を寄せていたことが窺える。
そのため、遺産相続を巡っては、実母と実父それぞれが、“亡き息子はどちらに気を許していたのか”、それを巡る争いを繰り広げる可能性もあるのだ。
立正大学客員教授で相続問題に詳しい税理士の浦野広明氏が解説するには、
「兄弟のいないご子息が亡くなった場合、遺産は両親が離婚していても双方に半分ずつ相続できる権利が生じます。けれど、これは法的に強制力が伴うものではなく、当事者間の話し合いで決まります。片方の親が成人になるまで育ててきたなどの理由から取り分を多く主張して決裂すれば、家裁の調停、裁判へと発展するケースも多いのです」
泥沼化すれば長期戦も避けられないというのだ。
そこで、改めて茨城県内に住む実父を訪ねたところ、
「わかりません」
と繰り返して困惑するばかり。いまだに分骨が叶わない状況なのかと尋ねると、
「はい……」
と述べて、足早にその場を立ち去っていった。
突然の死に誰もが言葉を失い、悲嘆に暮れた。生みの親ならなおさらなのは言うまでもないが、骨肉の争いを知って涙を流すのは、仲睦まじい家族の姿を追い求めていた三浦春馬さんその人に違いない。
「週刊新潮」2020年12月31日・2021年1月7日号 掲載