ふかわりょうが意外な場面で実感した、親の愛情

■「結婚できない男」の理想


 お笑い芸人のふかわりょうが刊行したエッセイ集『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)。発売日に即重版し、すでに現在5刷となっている話題の本作から、「結婚と家族」をテーマにしたエッセイ「La Mer(ラ・メール)」を特別公開する。

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 もう、誰も触れなくなりました。誰も訊かなくなりました。私の私生活について。かつては、「そろそろどうなの?」とか、「願望ないの?」とかあったけれど。今では実家でも気を遣っているのか一切触れなくなっています。そうです、私は不発弾。専門的な知識を持った特殊な人物でないと、扱い方次第で爆発。だからみんな、触れないのです。ただ言わせてください。「結婚できない」のではなく、「結婚しない」だけ。わかっています。こういうことを言う人こそ、「結婚できない男」なのだと。

 気がつけば46歳。この年齢でずっと独身ということはおそらく人格に問題があるのだろう。そう思われているかもしれませんが、その通りです。問題大有り、欠陥だらけ。一人暮らしが長過ぎたせいで、自分のペースが乱されるのも苦手。子供ができたら子煩悩でいいパパになれる気はするのですが、どうも結婚というものに飛び込めない。跳び箱の踏切台の手前で足を止めてしまう子供のように、考えちゃうんですよね。勢いで行けばいいのに。きっと、私は結婚しちゃいけない男。結婚で、相手も、自分も、幸せにならないタイプなのではないかと思っています。

 しかし、理想の夫婦となると、やはり両親になります。厳格な父と陽気な母。私が子供の頃は喧嘩をしていることもしばしばありましたが、今は笑っているところしか見かけません。いつも二人で出かける、85歳と77歳。金婚式を過ぎた二人は、相変わらずいいハーモニーを奏でています。

■「お弁当太郎」?


 こんなことがありました。

 両親を連れて旅行に出かけたとき、安井曾太郎という画家の作品が見たいという母の提案で、湯河原の町立美術館に向かいました。小さな建物の裏にはちょっとした散歩道があり、草木の陰にひっそりと佇む石碑。その前に立つなり母は言いました。

「あぁ、これが、お弁当太郎の石碑ね」

 お弁当太郎。藤子不二雄漫画に出てきそうですが、そんな芸術家は実在しません。石碑には、安井曾太郎と刻まれています。確かに、崩した書体で彫られているので分からなくもないのですが、普通、口にする前に気がつくもの。そもそも安井曾太郎の作品が見たいと言っていたのは母なのだから。

 かと思えば、旅館で温泉から戻ってくると、二人が部屋の中を行ったり来たりしています。

「食事の時は? つけていたよね?」

 どうやら、父の入れ歯がないとのこと。

「もしかして、盗まれたかしら」

 父は、純金の入れ歯をしているのでしょうか。しばらくすると奥の洗面所で母の声が響きます。

「あら! ここにあるじゃない!」

 見にいくと、蛇口の横に並んでいました。あまりに自然に置いてあるので、気づかなかったのでしょうか。

「え? こんなとこにあった? おかしいなぁ」

 そんな二人のハーモニーに和みながら、私は湯河原の梅酒を飲んでいました。


■カタログ冊子を冷凍保存?


「そうそう、おいしい明太子があった」

 実家で食事をしていると、母が冷凍庫から四角い包みを取り出してきました。以前届いた明太子を保存していたとのこと。しかし、開けて出てきたのは意外なものでした。カチカチに凍ったカタログ冊子。福岡の明太子メーカーに似たロゴの包装紙だったので、勝手に明太子だと思い込み、数カ月冷凍していたようです。冊子の中に明太子の写真こそ掲載されていましたが、そんなことがあるたびに二人は大笑いしています。


■母からの妙な電話


「もしかして、今日、電話してない?」

 ある日のこと。仕事を終え、自宅に帰り、食事を済ませた頃でしょうか。母から電話がありました。

「してないけど、どうして?」

「あ、そう。してないならいいんだけど」

 そう言って、電話は切れました。妙な確認です。きっと何かあったのだろうと、少しして折り返してみると、すぐに白状しました。オレオレ詐欺です。

「上司のカバンをタクシーに置き忘れちゃって、そこに小切手が入っていたから、今なんとかしたいんだけど、すぐ下ろせるお金ない?」

 声色や「上司」という表現に違和感があったようですが、我が子の仕事先でのアクシデントに、二人の冷静な判断力と理性は一瞬にして吹き飛びました。

「僕は仕事で行けないから、代わりに別の人を向かわせるので、その人に渡しておいて。あと、電話はかけ直さないで」

 二人は、すぐに家を出ました。向かったのは銀行。いくつも渡り歩いてかき集めてきたお金を、タクシーでやってきた見知らぬ若者に渡しました。

「よろしくお願いします」

 心配そうに見つめる両親を後にして、タクシーは去って行きました。


■想像以上だった、親の愛情


「こんばんは、ふかわりょうです!」

 生放送で息子の変わらない姿を確認し、安堵に包まれる二人。よかった、間に合って。きっと、ことなきを得たのだろう。そんな空気がやがて淀み始めます。

「どうして連絡ないんだろう」

 あんなに慌てて電話をしてきて大金を渡したのに、その後、何の連絡もない。放送後に打ち合わせか反省会でもしているのだろうか。それとも別の番組の収録か。それにしても、メールくらいあっても良さそうなのに。時間だけが過ぎる中、二人のどちらかが気がつきました。

「もしかして、やられたかもしれない……」

 そこで初めて冷静になりました。いくら普段、「オレオレ詐欺に気をつけましょう」という町内アナウンスを聞こうが、銀行ATMの注意書きを目にしていようが、我が子が大変な事態に遭ったらそんなもの頭に入らないのです。二人して疑わなかったのですから。私のケータイに着信があったのは、その後です。

「で、いくら渡したの?」

 母は100万と言っていました。いくつか渡り歩いたと言っていたので、実際のところはわかりません。私の中でいろいろな感情が押し寄せました。

「だって、おかしいと思うでしょ! なんで電話しないの?!」

 声に表れたのは悔しさと怒りでした。ここで両親を責めてもしょうがないのに。父は憔悴しきっていました。事が大きくなると余計に傷つくので、被害届は出しません。次第に私も冷静になってくると、体の中で異変が起きます。悔しさや怒りが消え、出てきたのは「両親の愛情」でした。子に対する親の愛情の深さ。こんなにも強いものなのか。多少の違和感があっても、なんとかしてあげたいという気持ちが勝ってしまう。その愛の深さを利用した手口は卑劣ですが、両親の惜しまぬ愛情に気がつけたことを考えれば、騙し取られた金額は決して高いものではなかったのかもしれません。


■偽ブランド時計を買った兄を叱っていた父が・・・


「そんな時計買ったらダメだろう!」

 昔、父はよく怒鳴っていました。私もよく叱られました。私の高校入学前に、家族5人で香港を訪れた時のことです。当時大学生だった長兄は単独で行動していたのですが、戻ってくると嬉しそうに腕時計をはめています。安いから買ったというその品は、いわゆるバッタものの時計でした。

「なんでそんなの買ったんだ!」

 兄の笑顔は一瞬にして消えました。海外出張の多い父からすると、観光客相手の詐欺まがいの商売に、我が子がまんまと引っかかったことが許せなかったのでしょう。

「いいじゃん、安かったんだから。そんなに海外行ってないんだからわからないよ」

 あの時、あんなに叱っていた父が。


■芸人になると、親に伝えた日


 40年ほど前の夏。甲子園で優勝した高校球児の凱旋式を見に行くことになりました。当時は今ほど開発されておらず、空き地が点在していた新横浜駅前。勇姿を一目見ようと押し寄せた群衆の中に、私たち家族がいました。高校球児たちが姿を現すと、現場はさらにヒートアップ。溢れる人の波に、身動きができないどころか、右に流され、左に流され、今にも将棋倒し寸前。死者が出てもおかしくない状況です。人の海に溺れる私を抱き、泳ぐように手を広げて、「押すなー! 押すなー!!」と叫び続ける父。体を預ける私は、ビーチサンダルが落ちてしまわないように、ひたすら足の指に力を入れていました。

「お笑いの道に進もうと思うんだ」

 両親に伝えたのは、20歳を過ぎた頃。大学に進学した後にまさか芸能界に進むとは思わないだろう。いきなり話しても反対されるだけなので、オーディション番組で優勝したのをきっかけに打ち明けました。すると、意外なことに全く止めようとしません。深夜番組に出演していることをご近所の方に言われて薄々感じていたそうなのですが、三男だからなのか、好きなことをやりなさい、と。嬉しいけれど、暖簾に腕押しというか肩透かしというか、もう少し一悶着あってもいいのではというくらい無風でした。


■思い出のピアノ


 実家にいる頃、父はよくピアノを弾いていました。私よりも芸達者で、バイオリンも弾くし、いまだに人前で演奏します。ピアノのあるラウンジで何時間も弾けてしまうタイプなのですが、私は、父のピアノがあまり好きではありませんでした。というのも、シャンソンだったりタンゴだったり、選曲が渋すぎて、好みではなかったのです。

 しかし、一つだけ好きな曲がありました。「La Mer」。シャルル・トレネが1940年代に歌って大ヒットしたシャンソンの代表曲。これだけはお気に入りで、父のピアノの時間における唯一の好きな音色でした。

「弾いてみようかな」

 やがて自分でも演奏したくなり、楽譜はなかったので父から直接教わりました。父のアレンジによる「La Mer」。弾いていると、父がバイオリンを取り出しました。

「ちょっと、続けてて」

 私のピアノに合わせ、父のバイオリンが加わりました。親子のセッション。母はソファーに腰掛けて、フォションの紅茶を飲んでいます。子供の頃は、男がピアノを習っているなんて恥ずかしく、口が裂けても言えるものではなく、とにかくひた隠しにしてきましたが、今では嫌々でも始めて良かったと、父に感謝しています。

 父は今でも大学時代の友人とタンゴの演奏会をします。たまに母がついていくと、お客さんは母しかいなかったと笑って報告します。実家にあった当時のピアノは売ってしまい、父とセッションする機会もなくなりました。もし私に家族ができて、子供が生まれたら、「La Mer」を一緒に演奏し、海のように深い愛情で育てたいと思います。

デイリー新潮編集部

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