ドリフにさんまにダウンタウン!「伝説のお笑い番組」第1位は90年代の“最高傑作”

(左から)明石家さんま、松本人志、浜田雅功、ビートたけし

 2021年上半期テレビ番組出演本数ランキングでは、■設楽統、■博多大吉、■小峠英二がトップ3となり、お笑い芸人の躍進はとどまるところを知らない。しかし「お笑い番組」が人気独占なのではなく、さまざまなジャンルの番組に芸人が出演しているので目にする機会が多いというのが正直なところ。

 過去に目を向けてみると、お笑い番組がテレビ業界を席巻していた時代には、みんなが見ていた「■おばけ番組」が存在していた。

 そこで今回は30代以上の男女1000人に、今も印象に残っているお笑い番組についてアンケートを実施した!

■1000人が答えた「伝説のお笑い番組」

 結果、栄えある1位はダウンタウンが■今田耕司、■東野幸治、■YOU、■篠原涼子らと共演した『■ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)。「毎週放送がある日曜が楽しみだった。おかんとマーくん、カッパの親子、オジャパメンなどのキャラクターを今でも覚えています」(40代・会社員女性)、「初期には女優の松雪泰子さんが出ていたり、出演者も豪華だった」(50代・会社員男性)当時世界的に活躍していた音楽家の坂本龍一がコント「AHO AHO MAN」に出演したり、シュールで哀しみに満ちた傑作コントと名高い「トカゲのおっさん」に驚いた方も多いのでは?

 2位は■ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』(TBS系)と熾烈な“土8戦争”を繰り広げた『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)がランクイン。『ひょうきん族』は事務所問わずさまざまな芸人が集結してコントやパロディーを展開、台本から逸脱して、さらにはアドリブさえも取り込んで笑いにした。

「小学生時代、タケちゃんマンの絵を描いていた」(50代・パート女性)、「ひょうきんベストテンが好きだった」(60代・主婦)「ひょうきん懺悔室が怖かった」(40代・会社員男性)

 テレビウォッチャーの神無月ららさんも『ひょうきん族』を推すひとり。

「■漫才ブームで人気も実力も鉄板のビートたけしを筆頭に、ピン芸人の明石家さんまやコント赤信号など、あらゆるお笑いジャンルから『作り込んだコントも、アドリブもきくトップ芸人』ばかり集めたゴールドカードに、当時の子どもたちはドリフからあっさりと寝返りました……(笑)」

 3位にはお笑い芸人だけでなくアイドルや俳優、ミュージシャン、局アナなど各ジャンルからのゲスト、さらには素人のスタッフまでもが出演した『■とんねるずのみなさんのおかげです。』(フジテレビ系)。「当時『仮面ノリダー』の歌を歌えない小学生はいなかった」(60代・教員男性)、「宮沢りえやチェッカーズなどがふざけるのが楽しかった」(40代・主婦)

■欽ちゃんはランクインならず

 実は今回のランキング、なんと8位まではコント中心のお笑い番組。その理由をテレビウォッチャーのくのいちこさんは、

視聴率男といえば欽ちゃん! 最高視聴率ランキングに4番組もランクイン

「■コントには強烈なキャラが登場するので引き込まれて見ているうちに好きになり、いつまでも忘れない思い出になっているのではないでしょうか。当時は親から“教育上よろしくない”と言われたお笑い番組の視聴禁止令がある中、萩本欽一は笑いが上品だからということで『欽ちゃんの週刊欽曜日』は見ていました」と話す。

 '80年代前半、欽ちゃんは『欽曜日』『欽ドン!良い子悪い子普通の子』『欽ちゃんのどこまでやるの!』の高視聴率3番組を合わせて「視聴率100%男」と呼ばれるほどの人気を博したが、今回は残念ながらランク外という結果に。

「■バラエティー色の強い9位の『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』以外は、良質なコントを作り続けた番組が上位にランクインしている印象ですね、『ごっつ〜』の“トカゲのおっさん”等の名作コントは、今のコント職人たちにとってもまだ超えられない高い壁ではないでしょうか? 全体的にダウンタウンとウッチャンナンチャンが今のお笑い界に与えた影響は計り知れないですね。

■ 自分たちがトップを走りつつ、後続の芸人たちをたくさん引き上げた功績も大だと思います」(神無月さん)

 今現在放送されている番組から伝説は生まれるのだろうか。神無月さんは、

「■『内村プロデュース』で奇跡の復活を遂げた有吉の看板番組『有吉の壁』(日本テレビ系)は、令和の時代の伝説のお笑い番組になりつつあると思います。

 ■今までに挙げた名作お笑い番組に似ているようで全く似ていない、オーディションで毎回出演者が決まるから、弾がなくなる心配がない。

 ■そしてメンツがネタを絞り出すから構成作家の色が出すぎない。滑っても全部有吉が面白くしてくれる。

■ 有吉の命が尽きるその日まで継続可能、というお化け番組の予感がひしひしとしています」

■『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の裏側

 小学4年生から高校まで放送部で「いずれはテレビ局で働きたい」と思っていたんですが、就職できず、名古屋の出版社で働いていたんです。そのとき『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』で放送作家予備校という企画があり、「人生変わるかもしれない!」と思って企画を考えました。番組の感想も添えて毎週送っていたら、ある日突然「■来週の火曜、企画会議来られる?」と連絡が! 初めて東京へ行ってみたら「■じゃあ来週から毎週来てよ」と言われて会社を辞め、持っていた車を売って上京しました。

放送作家の野呂エイシロウさん

 企画会議は毎週30人くらいが集まって、僕は毎回10個くらい企画を出していましたが、最初は全然採用されず。「■面白くないよ!」と目の前で破られてゴミ箱へ捨てられたり、「■予告編を30秒で書き直せ!」と言われたりしました。怒られる恐怖でテレビ局へ入れないときもあったし、ネタが思い浮かばなくて身体が震えたことも……。

 メインの作家さんたちは本当にすごい人ばかりで、会議ではアイデアが卓球のラリーのようにポンポン交わされて。僕もなんとか存在感を示そうと「なるほど!」と大きな声を出して相づち打ったり(笑)。ようやく通ったのが「きんさんぎんさんの生命線はどこまで長いのか?」という企画。でもできあがったVTRを見たら、僕の台本よりもはるかに面白いんですよ。高田純次さんがきんさんぎんさんに会いに行って、ひと言も「生命線を見せて」と言わず、手を取って「うわ〜すごいツルツルですねぇ〜」なんて言いながらカメラに映すんです。

 ■台本どおりじゃなくて、それを超えようとしてくる……東京のテレビや芸人さんってすごい、と思わされましたね(ちなみに生命線は手首までありました)。それで初めて自分の名前がテレビに出て「本当に放送作家になった!」と親や地元の友人から連絡がありました。まさか本当になると思ってなかったらしくて。

『元気が出るテレビ!!』はそれまでの台本をもとにしたお笑い番組とは全く違う、ロケで面白いもの、とんでもないものを見せるびっくり箱のような、新しい時代を作った番組です。でもひとつだけ約束があってとにかく先輩から言われたのは「■誰かを傷つける企画はダメ。面白いかどうかではなく、見る人を元気にするものでないといけない」ということ。

 これさえ注意すれば企画としては何でもアリ。朝までかかって水風船を千個作って寝ないでロケへ行ったり、海岸でペンキ塗りさせられたり、スタジオで突然前説をやらされたりなどいろいろありました。自分の才能のなさが嫌になって人生でいちばんツラかった時期ですが、企画が採用されるようになると面白くなって、番組が終わるときに出演者とスタッフ全員で集合写真を撮ったのはいい思い出です。僕にとってはさまざまなことを教わった「何でもアリの学校」のような場所でした。

PROFILE●野呂エイシロウ(のろ・えいしろう)●'67年生まれ。愛知工業大学卒。出版社勤務などを経て26歳のときに『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の放送作家予備校の公募にて放送作家に転身。『ザ・鉄腕!DASH!!』(日本テレビ系)、『奇跡体験!アンビリバボー』など構成。web「LEON」で絶賛連載中

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