ボブ・ディランと焼き鳥、クラプトンの手作りアクセ、大スター来日秘話にうずくライブ熱

ノーベル文学賞も受賞したシンガー・ソングライターのボブ・ディランとギターの神さまと呼ばれるエリック・クラプトン(写真: Koh Hasebe / Shinko Music Archives)

 全国に発出されていた緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が解除され、さまざまなものが再び動きだし、コンサートなどのイベントも観客の上限が1万人まで拡大された。

 とはいえ、コロナ禍が始まったばかりの2020年春のライヴハウスへのバッシング、さらにはこの8月9月に相次いだ「夏フェス」へのバッシングと、音楽イベントへの風当たりは強いまま。ライヴハウスに観客は戻ってくるのか? フェスは再開するのか? 海外からアーティストが来日してコンサートを開くことは? 音楽ファンは誰もが心配しているだろう。

■思い出してほしい、あの感動を

 ■本来なら政府が「ライヴハウスは安心です」と宣言をし、クラスターの源のように放送してきたテレビなど、それを拡散すべきだ。また海外アーティストの来日だって、水際対策として検疫をしっかりすればいい。コンサートを行うミュージシャンたちは自らの健康のためにワクチンを接種し、直前にPCR検査を受け、万全の体制で臨んでいる。

 8月の「フジロック」では直前のPCR検査や、毎日の抗原検査が出演者のみならず関係者全員に義務付けられていたと聞いた。感染対策をしっかり行い、距離をとった座席配置をし、歓声をあげないことをルールとすれば、問題なく開いていけるのではないか。第一、大相撲やプロ野球はそういうルールで、通年で開催している。そろそろコンサートへの偏見を私たち自身が解いていくころじゃないだろうか?

 思い出してほしい。私たちはキラ星のごとく輝くスターたちのコンサートが、大好きだったじゃないか? 武道館や東京ドーム、大阪城ホールなどでのドカーンと巨大なコンサート。アーティストが豆粒みたいにしか見えなくたって、胸躍り、身体を揺らし、興奮して見ただろう? 帰り道にはスキップさえ踏みそうな、あのワクワク。何ものにも代えがたいものだった。これまで見た幾多のコンサート、思い出すだけで胸躍るはずだ。

 あの興奮を、躍動を、もう一度、いや、もう何度でも味わいたい! 

 そう思っていた矢先、音楽ファン心を刺激する本が出版された。1967年の設立から50年以上に渡って日本の洋楽史を支えてきたウドー音楽事務所の歴史を伝える『■洋楽ロック史を彩るライヴ伝説〜ウドー音楽事務所の軌跡を辿る』(シンコーミュージック・エンタテイメント)という1冊だ。

 今、この本が、洋楽ファンの、主に中高年たちを熱くさせている。

 70年代、80年代、90年代、00年代‥‥‥時代ごとにファンの心を熱くさせた来日コンサートのポスターの縮小版がギッシリ並ぶ表紙からページをめくると、KISS、デヴィッド・ボウイ、エリック・クラプトン、ヴァン・ヘイレン、ボン・ジョヴィと、スターたちの写真がカラーで並ぶ。世界の人たちを魅了する彼らは、その人生を、人を楽しませることに捧げている。

 本によれば、ウドー音楽事務所は1967年に創業されたコンサート・プロモーターの老舗。主に洋楽のバンドやミュージシャンを招へいしてきたが、創業当時は首都圏に点在する米軍基地のクラブなどに出演させるのが主な仕事だった。時代はベトナム戦争のころ。米軍基地は首都圏の横浜や横須賀、厚木、立川、横田にも大勢の兵士たちが集まり、大規模な米軍慰問団が来日コンサートを行った。まだ子どもだったマイケル・ジャクソンがいたジャクソン5、サミー・デイヴィスJr.といった大御所たちがそのメンバーで、ウドー音楽事務所は社長の有働誠次郎氏が先頭に立って、そうした慰問団を采配した。

 その後、1972年ころからは一般の観客向けの、主にロック・コンサートをウドー音楽事務所は手掛けていく。次々に欧米から来日が続く70年代、大型ロック・バンド時代の到来だ。当時のロック・バンドは宿泊するホテルのテレビをバスタブに投げ入れたり(!)、夜の街に繰り出して暴れる、なんてことが当たり前だったんだと、本には書いてある。なかなかワイルドな時代だった。

 そんな時代にウドー音楽事務所で「ツアー・マネージャー」という、当時はまだその名称さえ一般的ではなかった仕事に就いたのが、本の中でもインタビューに応えている、現在はウドー音楽事務所の副会長である高橋辰雄さん(69歳)だ。

 高橋さんは1975年、23歳のときウドーに入社した。右も左も分からない、そもそもまだツアー・マネージャーという仕事の一切合切が誰にも分らない、もちろんマニュアルなんてない中で、その仕事を始めた。

「ツアー・マネージャーという仕事は当時、弊社とキョードー東京(もう一つの大手プロモーター)でしか呼んでいない名称でした。日本の芸能界には付き人という制度がありますよね。付き人がずっと同じタレントに付くなら、こちらは招へいする度に違うタレントに付くわけです。仕事は多岐にわたり、ツアーの日程表を作り、宿泊するホテルから移動手段、食事と、衣食住すべての環境を整えます。

 ■来日してからはホテルと会場間の送り迎えなどはもちろん、健康管理や、観光や買い物や夜遊びなどに付き合い、すべてのケアをします。楽器会社がスポンサーについていることも多々あるので、そうした会社との窓口になれば、セキュリティから通訳っぽいこともするし、日本社会のマナーを伝えたり、諸々すべてが仕事です」

 ツアー・マネージャーという、旅行会社のツアー・コンダクターも真っ青な激務を高橋さんは長年にわたって務めてきた。実は洋楽ファンの間では高橋さんは、“タックさん”というニックネームで有名だ。ミュージシャンたちが「テレビをバスタブに投げ入れる」ようなワイルドな時代から80年代ころまではファンも相当にワイルドで、ファンと高橋さんの間にはさまざまな攻防があったという。

「■ビートルズの昔の映画みたいな、その縮小版ですね。サインをもらおうと、ファンが駅なんかで突進してくるんです。危ないのはアーティストしか目に入ってないので、お年寄りやお子さんを倒しそうになったりする。そういうファンには怒鳴って注意しました。新幹線に乗るのも普通に行くと難しいから、東京駅と交渉して裏口から入って搬入用のエレベーターに乗り、一番後ろの16号車から乗車して、グリーン車のある8号車まで移動しました。カルチャー・クラブの来日時とか、そんなふうでした(1983年6月)」

■ボブ・ディランが気にしていたライバル

カルチャークラブ(写真: Koh Hasebe / Shinko Music Archives)

 カルチャー・クラブ! 懐かしい! カーマカマカマ♪とキャッチーなメロディに乗って麗しいヴォーカリスト、ボーイ・ジョージが歌った『カーマは気まぐれ』が大ヒットした、イギリスのグループだ。ファンは夢中になって追いかけ、高橋さんは必死になって守った。みんなが夢中になれて、熱かった時代。今、50代、60代の音楽ファンには、当時「タックさんに怒られた」という人が何人もいる。みんな、ワイルドだったのだ。

 そんな高橋さん、アーティストと信頼関係を築いてきた。たとえばノーベル文学賞も受賞したシンガー・ソングライター、大御所中の大御所であるボブ・ディラン。

■「彼はプライバシーをとても大事にする人で、食事をするにも専用のシェフを連れてきて、ホテルでも会場でもその人が作ったものを食べていました。外食したのは1度だけですね。確か福岡かな(1994年2月)。夜遅くなって食べる所がなかったので『チキンを食べますか?』と聞いたら『食べる』というので、一緒に焼き鳥屋に行きました。そこで彼が話したことで覚えているのは、『日本ではニール・ヤングは人気があるのか?』ってことです。そういうこと、気にしているんだなぁと思いました」

 ニール・ヤングはディランと同年代のシンガー・ソングライターで、やはりレジェンドのひとり。しかし、ディランほどの人でも、そうやってライバルが気になり、焼き鳥を食べながら聞いちゃうんだなぁと思うと、なんだかホッとする。人間みんな同じだ。

「ボブとのツアーではたいへんなこともありました。仙台公演が終わって、翌日は秋田まで移動の予定でお昼ぐらいにバスで出て、とってもいい天気でした。ところが高速に乗った途端に雪が降ってきて、30分ぐらいで大雪になり、高速が閉鎖され、山道を上がったり下がったり。山道がけっこう狭くてね。対向車がトラックだったりすると運転手さんが緊張しながらすれちがう様子が伺えました。

 ■後ろの方に座っていたボブが僕の座る前の方に来て、『大丈夫か?どっかホテルないのか?』と言い出して、『いや、こんな山の中だからホテルなんてないですよ』と言うと、おとなしく僕の隣に座りました。仕方ないから日本の歴史の話なんかをしたんですが、みんなで目はしっかり前を見ている。夜の8時すぎにようやく着いて、ちょっとした緊張の時間でしたね。でも始終おだやかに話をしていて、自分の感情を露わにしない、取り乱したりしない人ですね」

ノーベル文学賞も受賞したシンガー・ソングライターのボブ・ディラン(写真: Koh Hasebe / Shinko Music Archives)

 とはいえ、高橋さんの隣に座っちゃうって、ディランも怖かったんだろう。その光景を思い浮かべると微笑ましいが、そんなときも気を遣って話をしたりするのもまたツアー・マネージャーという仕事。なかなか大変だ。

「ボブ・ディランはクールでしたが、中には大声で叫び出したりする人もいました。ヴァン・ヘイレンやモトリー・クルーのようなハード・ロック・バンドの連中は割と冗談で叫んだりしますね。■フラストレーションを発散しているんです。ツアーという過酷な、通常とは違う生活を送るとストレスもたまるでしょう。なるべくそうならないよう、食事は美味しいものを、移動は短く、寝るところはいいホテルで、と気を遣います」

■エリック・クラプトンから手作りのネックレスを 

 アーティストの中には帰り際に手紙をくれたり、お礼にとプレゼントをくれる人もいたという。

■「スティングは手紙を書いてくれる人ですね。リッチー・ブラックモアは変人と言われている人ですけど、『こんなに進んで仕事をやってくれるのはお前しかいないよ』と言ってくれて、本当に嬉しかったですね」

 リッチー・ブラックモアはイギリス出身のギター・レジェンドの一人。ハード・ロック・バンド、ディープ・パープルのオリジナルメンバーで、日本では、その特異なキャラ含めて人気が高い人だけど、高橋さんとは「部屋のバスルームにチューブにんにくをつけられたり」、その仕返しに「部屋のタオル類や電球のタマをはずしてやったり」と真剣にいたずら合戦をした。いい大人が‥‥‥と失笑する人もいるかもしれないけど、

■「いたずら合戦をしながら信頼関係を築くんです。誰もリッチーに仕返しなんてしようとしない。けど、僕はとことんそれに付き合う。ミュージシャンて、そういうことに価値を見出す人たちだから、それに真剣に応えるって大事なことなんです」

 高橋さんの誠実な仕事っぷりには、ギターの神さまと呼ばれるエリック・クラプトンも信頼を寄せ、クラプトンからは意外なプレゼントをもらった。

ギターの神さまと呼ばれるエリック・クラプトン(写真: Koh Hasebe / Shinko Music Archives)

■「買い物に付き合ってアルマーニに行ったときには『どれが好き?』と聞かれて『これかな』なんて答えると、それを買ってくれちゃう。値段なんて見ないですよ、もちろん。あと、自分でビーズや石をつなげてネックレスを作って、みんなにプレゼントするんですよ、彼は。どうやら60年代からヒマつぶしに作り始めたらしいんですけど、今、僕がつけてるこれも、エリックが作ったものです」

 と、zoom画面の向こうで高橋さんが見せてくれたネックレス。えええっ、すごい。

「1メートル四方ぐらいの大きなプラスチック・ケースを持っていて、中は5センチ四方ぐらいの箱に分かれているんですけど、そこにいろんな石が入っています。それをヒモでつないで、バンド仲間やスタッフなんかにプレゼントしてるんです。お酒を飲んだくれてるよりいいでしょう(注・クラプトンは昔、ひどいアルコール中毒だった)」

 ものすごく意外! そりゃギタリストだから手先は器用だろうけど、よもやギターの神さまがちまちまとビーズやら石やらで、アクセサリーを手作りしてるなんて。ロック・スターというと、何やらド派手な日常を思い浮かべるけど、そうでもないのか。

エリック・クラプトン手作りのネックレスを見せてくれる、ウドー音楽事務所の副会長である高橋辰雄さん

「ジェフ・ベックはバンドのメンバー10人ぐらいと、ライブ後にはジェスチャー・ゲームをやってましたね。紙にタイトル書いて、指名された人がジェスチャーやって、みんなでそれを当てるんです」

 えええっ!? これまたギター・ヒーローのジェフ・ベックがジェスチャー・ゲーム? なんて素朴な! なんてかわいい! 意外すぎる!

「そうやってみんなコンサートの興奮をクールダウンさせるんですよ。それぞれみんなやり方があって、人間模様も垣間見れて面白いですねぇ」

 高橋さんの後ろからコッソリ覗いてみたくなる。ロックスターも、みんな、あたりまえに日々の生活を営んでいるんだ。

 ところで高橋さん、コロナ禍の中でこれから洋楽のコンサートはどうなっていくと思いますか? どうしていきたいですか?

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「まずは2年前に予定していながら延期した公演を実現したいですね。それから先は1〜2年でパッと消えちゃうんじゃなくて、10年20年、50年聴かれる音楽をお届けしていきたいです。ただコロナ禍が明けたら、コンサート会場はワッと予約が入って、なかなか予定を組むのが最初はたいへんになるでしょうね。まずは日本のアーティストが先に会場を押さえるでしょうから、洋楽が入り込んでいけるのは少し先になるかもしれません。

 ■でも、ゆっくりとじっくり伝えていきたい。洋楽アーティストのコンサートは、圧倒的なパワーを誇ります。表現力の深さ、リズム感の良さ。どれもずば抜けている。僕が昔見たレーナード・スキナードやドゥービー・ブラザーズ、ああいう初めて体験した音の感動を、若いみなさんにも味わってほしいと願います」

和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。9月に発売されたばかりの『■時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』(左右社)は現在話題の新刊として多くのメディアに取り上げられている。

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