八千草薫さん「幸せだったなぁ」と語った人生の中で“最後の晩餐”に望んだものとは

'18年11月に都内の自宅にて撮影 撮影/馬場わかな

 10月24日、すい臓がんのため都内の病院で亡くなった八千草薫さん。名女優への第一歩は、宝塚歌劇団の戦後1期生となったことから。「■夢のような世界に憧れて」と足を踏み入れた引っ込み思案の少女は、ステージの上で娘役として輝きを見せた。

■清楚なお嬢さんから“日本のお母さん”へ

 宝塚在籍中の1951年に映画『宝塚夫人』でスクリーンデビュー。ヒロインを演じた'54年の映画『宮本武蔵』が米アカデミー賞名誉賞(外国語映画賞)を獲得。'57年の宝塚退団前から、雑誌の“お嫁さんにしたい女優”に何度も選ばれ、誰もが憧れる存在になった。

舞台『二十四の瞳』で主役の大石先生を演じた八千草さん。’72年、舞台のロケハンと宣伝を兼ね、作品のモデルとなった香川県の小豆島・田浦分校を訪ねて 撮影/週刊女性写真班

 清楚なお嬢さんから“日本のお母さん”となったのはドラマ『俺たちの旅』('75年)から。■2年後のドラマ『岸辺のアルバム』で“良妻賢母”のイメージから大きく離れ、不倫する主婦を演じ衝撃を与えた。その後、数々の作品でさまざまな人生を演じ続けた。

 生涯現役を貫いた八千草さんは、'97年に紫綬褒章を、'03年には旭日小綬章を受章。翌年には、映画『阿修羅のごとく』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を獲得した。

 精力的に作品に参加する中、日本アカデミー賞会長功労賞を受賞した■’17年春に乳がんの手術を受ける。さらに、同年12月にすい臓がんと診断され、■翌年1月にすい臓を全摘出。再び女優業をスタートさせるも、今年1月に肝臓への転移が発覚した。

’96年春の園遊会に招待され、上皇さま、美智子さまと歓談を 撮影/週刊女性写真班

■■明日はお刺身が食べたい

 ■容体が急変した日の前日にはマツタケごはんと茶碗蒸しを食べ「明日はお刺身が食べたい」とリクエスト。亡くなる約2時間前まで看護師に「変わったことはないわ」と話していたという。

 闘病生活のさなか、今年7月に上梓されたフォトエッセイ『まあまあふうふう。』(主婦と生活社刊)のあとがきではこう綴っている。

『まあまあふうふう。』(主婦と生活社刊)1400円(税抜)※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします

《■これまで本当にいろいろな方が、たくさんの方が、「私のことをかわいがってくださったなぁ」と思います。「神様にお礼を言いたいなぁ」と思うくらい。

■(中略)うれしいこと楽しいことはたくさんありました。大変なこと、つらいことやしんどいことも、まぁ、それなりにあったのかもしれません。それもこれもみんな一緒にして、「幸せだったなぁ」と思います》

 多くの作品を通して、私たちにたくさんの幸せを届けてくださった八千草さん。ありがとうございました──。

関連記事(外部サイト)