梅宮辰夫さん、マネージャー・近隣住人・行きつけ店…それぞれが見た最期の瞬間

梅宮辰夫さん

「■亡くなる3日前までは元気そうでしたよ。ご自宅は高台の上のほうにあるのですが、ふもとの道を歩いていました。最近は奥さんが運転する車で移動していて、めったに歩かない人だったから、ずいぶん回復されたんだなと思っていたのに。朝4時ごろ、救急車の音を聞いたときは、ひょっとしたらと思っていましたが……、本当に残念ですね」(近所に住む女性)

 映画『仁義なき戦い』や数々のドラマで活躍した梅宮辰夫さん。12月12日の午前7時40分、慢性腎不全のために搬送された神奈川県内の病院で急死した。これまで6つのがんを経験、まさに壮絶な闘病人生。こわもての悪役から人情味豊かな男まで多彩に演じ、料理や釣り好きでも知られた豪快な男が突然、人生の幕を閉じた─。

 14日に近親者のみで密葬が営まれ、後日、お別れの会が予定されている。

 梅宮さんが東京・都心の豪邸を売却し、神奈川県真鶴町の別荘で暮らし始めたのは昨年の春。'16年に発覚したがんを治療するため、十二指腸と胆嚢を摘出した後だった。昨年10月、引退の噂が流れていた梅宮さんを週刊女性はこの自宅前で直撃。芸能界に復帰せず、ずっとここで暮らすつもりかを聞いた。

■近所の評判と地域への貢献

■「たぶん、そうなるでしょう。山城新伍も、渡瀬恒彦も、菅原文太も、僕の親友は全員、死んじゃった。仲間がいなくてヤル気も起きない。でも、いつか“いいね、こういった仕事を待っていたんだ”というのがあれば、やりますけど」

 まだまだ目の奥には情熱を秘めた辰兄が、そこにはいた。近所での評判はすこぶるいい。

「■誰に対しても気遣いをされる人でしたね。会うとよく声をかけていただきましたし、“ウチはじいさん、ばあさんだから、迷惑かけてない?”なんて言ってくるんです。都内の家を整理してこちらを自宅にしたときも、わざわざクッキーを持ってきてくれたんですよ。“こっちに移ってきましたよ”なんて、今さら何を言うんですかって感じでしたけど(笑)」(近所に住む男性)

 こわもての役でならした若いころとは違い、最近では気配りを忘れない好々爺だった。

「芸能人っぽくない感じで、近所のおじいさんという感じでしたが、誰にも悪く言われない人でしたよ。植木屋さんは近所の人に頼むとか、春には地元の子どもたちに声をかけて、庭にある桜の木の下で花見をやるとか」(近所に住む別の男性)

 地域への貢献も忘れなかった。近所に長年住んでいるという女性は、こんな話をする。

■「2か月前に89歳で亡くなったウチのおじいさんと仲よくしていただきました。お互い車が好きで、どちらもベンツだったから、洗車しているときによく話しかけてくれていましたね。お互いに“まだ若いよ”なんて言い合っていましたよ。そんな2人が同じ時期に亡くなりましたが、きっと天国で車の話をしていると思います」

 昨年3月、自身の生誕80年を祝う会の開演前、ホテルの入り口で転倒。額を30針縫う大ケガをしたが、いざ包帯姿で壇上に立つと「オペラ座の怪人だ」とジョークを飛ばし、役者根性を見せた。

「その2日後には店にいらしていたので、心配して声をかけたら“全然、大丈夫だよ”って平然と言うんです」

 と思い出すのは地元にあるスーパーの店員。昭和のスターは弱みを見せなかった。

「買い物係は梅宮さんで、だいたいひとりでいらしていました。先週も見かけましたよ」

 釣りが趣味の梅宮さんが、30年前から通うという鮮魚店も近所にある。その店主が振り返って、こう話す。

「■梅宮さんのリクエストで売ることにした、サバとご飯を二重にした押し寿司を、いつも買って行かれました。人気メニューの『サバの南蛮漬け』は梅宮さんに試食していただき、OKをもらったので商品化したんです。よく真空パックのお肉を持って来て、それをいただいたのですが、ウチは魚屋で肉はないから、私たちの喜ぶ顔が見たかったみたい。いつも気がきく方でした」

■マネージャーが明かす最期の様子

 自宅からほど近い熱海にも足しげく通っていた。15年ほど前から通っていたという中華料理店の女将が明かす。

「■梅宮さんの3月11日の誕生日には店を貸し切ってパーティーをしてくれていました。ただ、東日本大震災がショックだったようで、あれ以降パーティーはやっていませんが。とにかく何でも豪快に食べてくれる人でした。でも、人工透析を始めてからは食が細くなりましたね。お酒もずっと生ビール2杯を飲んでから紹興酒にかえて飲むのが習慣でしたが、今年から生ビールは1杯に減りました。最近いらしたのは10月末でした」

 熱海では、新しい店を見つけて常連にもなっていた。

「ウチは昨年6月にオープンしたばかりですが、翌々月からは、ほぼ毎月来ていただいていました。昨年はたくさん食べていましたが、人工透析をしてからはあまり食べられず、連れて来られた方に振る舞っている感じでした」

 そう語るのは熱海にある寿司店の大将。そんな梅宮さんが連れて来た客と、後日ちょっとしたことでモメたことがあったという。だが、それに気づいた梅宮さんは「何があったんだ?」と電話をくれた。大将が事情を説明すると「よし、わかった。俺はお前を信じる。俺の顔で何とかするから!」と言って、事態の収拾にも動いてくれた。

 今年1月、6度目のがんとなる尿管がんの手術で左側の腎臓を摘出。翌2月から血液を浄化する人工透析を週3回受けてきた。

 7月には1年10か月ぶりに『やすらぎの刻〜道』(テレビ朝日系)でドラマ復帰したが、周囲はその劇的にやせた姿に驚愕した。このとき、週刊女性の取材に梅宮さんのマネージャーがこう答えていた。

「年相応ですよね。相変わらず料理は梅宮が作っていますし、アンナさんもよく遊びに来ます。それ以外では生活に変化はないですよ」

 8月には前出・熱海の寿司店で、娘のアンナのバースデーパーティーも開いた。アンナは父を亡くした直後、ブログで心境をこう綴った。

《この数年は、病との闘いでした。。家族皆んなで、日々最善を尽くす毎日でした。。父の変わりゆく姿に何度も泣いた。。。父、本人も苦しい想いをしつづけて。。。沢山色んな事を感じました》(原文ママ)

 10月までドラマの収録に臨んでいた梅宮さん。マネージャーが、最後の様子を明かす。

■「亡くなる前日まで人工透析を受けていたぐらい、いたって普通でした。年齢的には、いつ何が起こるかはわかりませんでしたが、苦しむことのない安らかな死だったと思います。ご遺体も、ちょっと前にドラマに出ていたときと同じ顔をしていました。お酒も最後まで飲んでいましたよ。たしなむ程度ですがね」

 マネージャーには「(沖縄の)久米島で釣りがしてえなあ」と話していた。最後まで好きな酒をたしなみ、愛する家族を思い、旅立った。

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