初代コロムビア・ローズが語る、社名を背負ってデビューした「激動の10年」

コロムビア・ローズ

「あのとき、なぜこうだったのか?」を当時、注目を集めた有名人に語ってもらうインタビュー連載。当事者だから見えた景色、聞こえてきた声、そして当時言えなかった本音とは……。第5回は『東京のバスガール』で人気を博した初代コロムビア・ローズ。わずか10年の活動後に電撃引退を表明した。その背景には何があったのか。そして、最近あった“変化”についても語ってもらった──。

「■娘が友人と食事をしてると、近くの席から“コロムビア・ローズってまだ生きてるの?”って聞こえてきたそうなのよ。だから娘は“まだ生きてると思いますよ”って隣から口を挟んだそうでね」

 そんな冗談を交え、明るく話すのは■初代コロムビア・ローズ。今年1月で87歳になった。

■社名を背負ってデビューした「覆面歌手」

『東京のバスガール』や『どうせひろった恋だもの』といったヒット曲を持ち、第7回紅白歌合戦から5回連続で出場した経歴の持ち主だ。当時、何より印象的だったのは“覆面姿”でのデビュー。

「■無我夢中で、覆面が嫌とか考える余裕もなかった。ただ、覆面をつけて仕事をしている間は帰郷できず、知人にも会うことができなかった。誰かに偶然会えないかと、上野駅まで行ったこともありました」

 群馬県桐生市出身のローズは、'51年に『コロムビア全国歌謡コンクール大会』の決勝に進出。優勝し、デビューを決める。のちに■五木ひろしや■都はるみなどがデビューするきっかけとなる大会だ。

「決勝の当日は別の仕事が入っていたのですが、NHK前橋支局の当時の局長さんが“行ってきなさい”と背中を押してくれました。あれがなかったら、今はなかった」

 デビューのため母親と上京。最初はレッスンや愛知県の中部日本放送(CBCテレビ)でのラジオの公開録音の仕事でスタート。本格デビュー前のため、覆面をつけて素性を隠し、当初は『ミスCBC』として出演した。

 テレビ放送が、まだスタートしていない時代の苦労話を披露する。

「■濃いレンズのサングラスや覆面をつけて出演していました。当時は録音したテープを切ってつなげる技術がなく“一発録り”をしないといけなかった。咳払いも、余計な声を出すのもダメ。でも、公開録音の司会がお笑いの方で、面白くって、私、つい笑ってしまって。プロデューサーが頭を抱えてね。来ているお客さんに謝って、最初から録り直しをしていました」

 '52年4月、『娘十九はまだ純情よ』という曲でコロムビア・ローズとして、『日本コロムビア』の社名を背負い正式にデビュー。しかし、デビュー後も覆面はつけたまま。雑誌『平凡』に《コロムビア・ローズはいつ仮面を脱ぐのでしょう?》という懸賞企画も掲載。“謎の歌い手”として人気を博したローズが覆面を脱いだのは'52年10月の東京・日比谷公会堂でだった。

覆面をつけたコロムビア・ローズ。これは挨拶状に使う写真だったという

■ローズが覆面を脱いだきっかけの曲とは

バスガイドの格好をする若かりしき日のコロムビア・ローズ

「そのときに歌ったのが『薔薇の素顔』という曲でした」

 覆面歌手から素顔の“ローズ”へと変わり、さらに人気を集めた。紅白初出場は、それから4年後の'56年のこと。ただ、ローズの代表曲『東京のバスガール』は歌えなかったそうで……、その理由は。

「■バス会社の宣伝になっちゃうというのよ。それでダメだったんです。当時のNHKはとても厳格だったの」

 '57年の紅白出場時にはこんなトラブルもあった。

「■『日劇』から紅白が行われる『東京宝塚劇場』に向かったんだけれど、紅白用の衣装を車のトランクから出すのを忘れたまま、運転手さんがお茶を飲みにどっか行ってしまったの。私は『バスガール』の衣装のままで……」

 刻一刻と出番が迫るなか、運転手が戻ってきた。すぐさま着替えて『どうせひろった恋だもの』を歌ったところ、

「■焦っていたこともあって、いつもとは違う強い表現での歌い方で、逆に審査員からの評価が高かったみたい(笑)」

 映画やドラマの主題歌だけでなく、銀幕デビューに舞台までこなしていた。休みなく働き、1か月で4曲レコーディングすることも。

 レコーディングの現場ではこんなこともあったという。

「■私とデュエットをしていた方が何度も失敗をするんです。バンドのひとりにバイオリニストだった黒柳徹子さんのお父さんがいたのですが、その様子を見て“それでもプロか!”と怒鳴ったんです。すると、すんなり決まったことも。当時の現場にはすごく緊張感がありました」

 当時、仲がよかったのは、

「■同じコロムビアの歌手で神楽坂はん子ちゃんとは、一緒に岡山へ旅行に行ったこともありました。彼女は花柳界の出なので気配りが行き届いていて、泊まる旅館にご祝儀を出したり、すごいなぁって」

 ほかに、こんな思い出も。

「浅丘ルリ子ちゃんが小さいときに一緒の列車で地方局開局の仕事に行ってね。行き先の宿でも同じ部屋だったの。かわいい、しっかりしたお嬢ちゃんでした」

 活動10年目となる'61年に突然の引退。何があったのか?

「■私の心が弱かったんですよ。でも、強い母親がいたから、10年も駆け続けられた」

 当時は“体調を崩した”、“一身上の都合”などと発表したが、実際は違っていた。

「大阪でコンサートをやれば、移動だけで1日かかってまた仕事。ほかにも映画に舞台に、とにかく忙しかった。そのためか、今でいう“うつ病”のような状態になっていたんだと思います」

■免許返納に悩むローズ

 マネージャーとして支えてくれた母親に、自宅で“辞めたい”と告げた。

「■第一線で走り回って、もうたくさんだって思っていた。ただ、母からは “絶対という言葉は使っちゃダメ”と言われたんです。私には歌しかないし、歌をやめたら何もなくなってしまうと心配したんでしょうね。でも、引退後にも仕事のオファーをいただきましたが、全部お断りしました」

 地元・桐生での穏やかな生活の末に結婚。2女に恵まれ、現在は娘たちと一緒に暮らす。

 そんなローズの生活にある変化があった。今年、ローズが送った年賀状には……。

《■やっとゴールド免許証取得です。これで返納 つらいですが仕方ないですね》

コロムビア・ローズが書いた今年の年賀状には近況と免許を返納する旨が

 '79年には芸能界に復帰し、現在は月に1回、千葉と埼玉で歌謡教室を開く。これまで車で通っていたのだが……。

「最近の高齢者ドライバーによる、相次ぐ事故のニュースを見て、家族や歌仲間が心配するのよ。免許を返納したほうがいいって……」

 今回の免許更新で、念願のゴールド免許となり、運転を“納める”ことを決めた。

「■最後の運転は、今年1月にローズ会の新年会で千葉へ行った旅行です。運転ができなくなってどうかって? 気楽なものですよ。決めたことですから、もう何も思いません」

 大好きだったという車の運転ができなくなることにも踏ん切りがついているようで、あっさりしたもの。じゃあ免許はもう返納したの?

「■知人は返納しないで身分証の代わりに持っているって言うのを聞いたの。それで持っていれば3年後の高齢者講習のときに、また車に乗れるじゃない。それが楽しみ。だから返納をやめようと思ったら娘が“お母さん、年賀状に返納するって書いたのにルール違反よ”って厳しくて(笑)。実は、まだ迷っているのよ」

 ハンドルを握ることはなくなったが、これからもマイクを持ち、歌い続けてほしい。

愛車はトヨタのクラウンだというコロムビア・ローズの手にはゴールド免許が

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