ドロンズ石本の『電波少年』ウラ話、当時言えなかった「ヒッチハイク」と「ロシナンテ」

経営する『馬肉屋たけし』では、9月から馬肉セットのネット販売も開始

 かつて世間の注目を集めた有名人に「あのとき、何を思っていたか? 」を語ってもらうインタビュー連載。当事者だから見えた景色、聞こえた声、そして当時は言えなかった本音とは? 

 第14回は、'97年に『■進め! 電波少年』(日本テレビ系)で南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク企画に挑戦した■ドロンズ石本(46)。命がけの体当たりロケの舞台裏から、役者、飲食店オーナーとして奮闘する現在の思いとは……。

■企画開始直後、相方がパスポートを紛失

「『■進め!電波少年』■の前説を担当していたのですが、ある時期を境にスタッフさんが急に優しくなったんです。そこからしばらくして、ヒッチハイク旅に行くことになって、だからか……と(笑)」

 '92年から始まった同番組の『ユーラシア大陸横断ヒッチハイク』企画で大ブレイクした■猿岩石に続き、『■南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイク』■企画に挑戦したのが、お笑いコンビのドロンズ。

 ボケ担当だったドロンズ石本は、こう振り返る。

「猿岩石が帰国してブレイクする前に、ヒッチハイク旅に出てしまったこともあり、やっているときはプレッシャーはなかったです。■スタート地点に行ったときも、スタートと書いた棒が立っているだけで、誰にも応援されずにひっそりと始まったので(笑)」

 しかし、企画の開始後、いきなり事件が起こってしまう。

「■相方(■大島直也)■がパスポートを紛失したんです。相方は3歳年上だし、始まる前もアドバイスしていた側だったので、お前が紛失するのかよ! みたいな(笑)。でもパスポートを紛失したら日本大使館で手続きが必要とか、早い段階で海外旅行の基本を学べたのはよかったですね」

■スペイン語のコントを、旅の合間に路上で披露

 海外に行くのも初めてだったという石本。企画開始から間もなく、親切なアルゼンチン人のご厚意でスペイン語を学ばせてもらったことが、大きな分岐点だったと振り返る。

「最初のころは身振り手振りでどうにかコミュニケーションをとっていたので、精神的にもしんどかったですね。でも学校に通って言葉を覚えたおかげでうまく意思疎通がとれるようになってからは、旅も楽しくなって。■言葉を覚えたおかげで、企画の方向性も決まった感じがしましたね」

 過酷な旅の中でも芸人であることを忘れず、いつ放送されるかわからないネタ動画も一緒に番組に送り続けていたという。そんな行動がペルーで役に立った。

「芸人というプライドは捨てたくなかったので、スペイン語でコントを作って、旅の合間に路上で披露していたんです。

 最初はまったくウケなかったけど、少しずつウケ始め、■ペルーでは多いときには1回300人ぐらい集まるようになって。■そしたら、たまたま番組プロデューサーさんが見て声をかけてくれて、番組に出ることになりました」

挫折しそうな2人を支えたのは、TUBEの前田亘輝が作ってくれた応援ソングだったとか

 現地のバラエティー番組に約1か月間、出演したこともあり、たちまち人気者に。

「あの時期は街を歩いたら声をかけられたりしましたね。■手ごたえも感じていたので、一時は本気でヒッチハイク旅をやめて、このままペルーでスペイン語コントで食っていこうか悩んだほど。でも、ゴールするという目標があったし、1か月ぐらい快適な生活もさせてもらえたから、旅を再開させなきゃなとペルーを離れることにしました」

 当然、楽しいことばかりなはずもなく、企画中は何度も死を覚悟したそうだ。

「■ペルーではディレクターが暴行され、コロンビアでは僕らも暴行されそうに。■あとは乗せてもらった車が横転したときは、さすがに車に乗るのが怖くなって旅を続ける自信がなくなりましたね」

■■猿岩石の二番煎じ

 命がけの旅を1年2か月続け、帰国。猿岩石のようにブレイクするかと思いきや、現実はそんなに甘くなかった。

「■帰国してからは“猿岩石の二番煎じ”と言われることが増えて……。帰国してから間もなく、『雷波少年』という番組でロシナンテというロバと旅する企画がスタートしたのですが、今度はロシナンテのほうが人気者になってしまい、僕らは飼育員に近い扱いでした(苦笑)。だから僕らは結局、人気が出ないまま終わってしまった感じですね」

 そんな悩みを、ある大物タレントが救ってくれたという。

「やしきたかじんさんの番組に呼んでもらえるようになったとき、“お前らまったくブレイクしなかったなぁ”とかイジってくれて。それでウケたときに気持ちが楽になって、■二番煎じと言われても吹っ切れるようになりました」

挫折しそうな2人を支えたのは、TUBEの前田亘輝が作ってくれた応援ソングだったとか

 フジテレビ発のアイドルグループ『チェキッ娘』出演の帯番組のMCを務めるなどコンビの仕事も増えたものの、'03年に解散する。

「もともと相方は役者志望でコンビを組むときも、将来は俳優になりたいと伝えられていました。でも、いざ解散すると言われたときには反対したのですが、■“二足のわらじははきたくない”と言われて、解散することに。でも1年ほどたったら、俳優業の傍ら、ちりとり鍋店をオープンし始めて、思いっきり二足のわらじをはいていました(笑)」

 そんな元相方に続く形で、石本も'07年に東京・恵比寿に『■馬肉屋たけし』をオープンし、俳優活動もスタート■。

「上京後に劇団に入っていたことはあったのですが、■芝居にちゃんと向き合ったのは、'11年に出演したTBS系のドラマ『■南極大陸』■です。■木村拓哉さん、堺雅人さん……と主演級のすごい方々と北海道で1か月一緒に撮影させていただきました。

 そのときに、柴田恭兵さんに“共演者とコミュニケーションをとって演じると、本番では実力以上のものを引き出してくれる”と言われ、実際、一緒に演じたときに実感しました」

■■頼られる人間になりたい

 共演者たちとは、LINEグループで、今でもやりとりが続いている。

「■誰かが誕生日を迎えると、みんなで祝福メッセージを送りあう仲ですね。木村さんも番組で僕のお店に来てくれたことがあって、放送から1年は予約でいっぱいになったほど。

 共演者だけでなく、ロケでお世話になったお店の人も、東京に来てくれたときに寄ってくれるんです。■今は新型コロナの影響で売り上げは厳しいけど、このお店は“みんなと会える場所”だからこそ、厳しい時期があっても、続けてこられたという感じです」

 事務所の先輩である南原清隆に言われた言葉を、今でも胸に刻んでいるという。

「“スタッフは自分の番組が最高だと思って作っている。だから、仕事内容に関係なく全力で頑張れ”と言われて。それからは人としてもタレントとしても、頼られる人間になりたいなと思って活動していますね。だから、■求められるならお笑いや俳優といったジャンルは関係なく、何足でもわらじをはいて頑張ろうと思います」

「少しでも役に立てれば」とYouTubeを開始。おすすめの飲食店を紹介している

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