綾瀬はるか、児嶋一哉、飯尾和樹、大化けした「ドラフト外」芸能人の勝因

(左から)綾瀬はるか、アンジャッシュ児嶋、ずん・飯尾和樹

 デビューから、ただひたすらスポットライトを浴び続けるのが芸能人! というわけでもありません。事務所にもファンにも期待されず、辛酸をなめ続け、ようやく人気者になった人たちも多いもの。彼らがブレイクした要因を解析しました! (取材・文/寺西ジャジューカ)

 タレントや俳優が売れるには、所属事務所からのバックアップが必要。つまり、“期待の存在”じゃないと世に出るのは難しい……と思われがちだが、決してそうとは限らない。さほど期待されていなかった、立場でいえばドラフト外だったのに、自力で大化けした芸能人、実はけっこう多いのである。

 それを身をもって証明した芸能人たちについて、芸能事情に詳しいライターの鈴木旭さんに解説してもらった。

■■芸人から愛されてきた人は生き残る

 ■まず、芸歴30年を迎え、“癒し系おじさん”として目下ブレイク中のずん・飯尾和樹。しかし、同じ浅井企画所属で同期のキャイ〜ンが順調に売れていったのとは対照的に、潜伏期間は長かった。

「飯尾さんの場合、お笑い芸人というよりも、場を和ませるタレントとして、徐々に認識されていった、という感じでしょうか。でも、■彼に振ると100%面白く返してくれるし、ダウンタウン松本人志さんが、自身がメインの番組である『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)で名指しで期待を寄せるなど、同業者の間ではずっと芸人としての評価は高かったのです」(お笑いに詳しい芸能記者)

ずん・飯尾和樹 撮影/週刊女性写真班

「昨年末の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)で決勝に進出した錦鯉もそうですが、■芸人から愛されてきた人は生き残ると思います。そうでないと、ライブにも呼ばれづらいし、芸の世界では忘れられていきますから」(鈴木さん)

 ただ、愛されるには理由がある。芸人としての実力もさることながら大事なのは人柄だ。飯尾もご多分に漏れない。

「飯尾さんの後輩が、あるときライブの打ち上げで自分の彼女(後の奥さん)をダシにボケたんです。すると、■彼は『お前、最低なことするな。苦労をかけてきた人をネタにするようなやつは芸人じゃない』とすごく怒ったらしい。でも、その後のフォローも厚く、その後輩は“飯尾さんを心から尊敬している”と言っているそうです」(テレビ関係者)

 ■同じくアンジャッシュ・児嶋一哉のブレイクも芸人間の絆が足がかりだった。

「相方の渡部(建)さんがさまざまな資格を取得したりグルメに舵を切り始めたころでも、児嶋さんは地道に単独ライブを行っていました。だから、芸人からの信頼度が高かった」(お笑いに詳しい芸能記者)

 児嶋といえば、名前を間違えられ「児嶋だよ!」とキレながら切り返すやりとりがおなじみだが、その原点はアンタッチャブルの“ザキヤマ”こと山崎弘也が事務所ライブのエンディングで「からの〜?」「そして?」と約20分むちゃぶりし続けたことだとか。当時の児嶋はプライドが高く、ザキヤマのこの仕打ちにマジ切れして幕が下りたと同時に殴りかかったそうだ。

「でも、昔から舞台裏では、おぎやはぎやバナナマンにもイジられる存在だったらしいんです。■テレビでそのやりとりがウケ始めて、そのうち児嶋さんが『これが俺なんだ』とイジられることを受け入れるようになり、それが面白いキャラとして世間に受け入れられるようにもなっていったのでしょう」(鈴木さん)

 一方、相方の渡部はお笑い芸人感を薄くしていく方向に活路を見いだしたが、その後、明るみになった不倫騒動でイメージ転落……。コンビ間で明暗を分けた。

■雑に扱われていた
綾瀬はるかの過去

 ■今や国民的女優の綾瀬はるかは、かつてはバラエティー番組で体当たり企画に挑戦するようなグラビアアイドルのひとりだった。

「品川庄司の番組でアシスタント的なことをしていたのですが、■品川さんに股間を見せつけられたりと、番組ではかなり雑な扱いを受けていました。また彼女自身、『マネージャーとケンカしちゃった』と口にするようなぶっちゃけキャラだったし、ある番組ではダイエット企画に挑戦して失敗し、事務所の大先輩の和田アキ子さんになじられて涙ぐんでいたことも。

 おそらく、■当時は事務所的に『綾瀬は(事務所の先輩である)山瀬まみや優香のようなバラエティー路線で行こう』という方針だったんだと思います」(テレビディレクター)

 バラドルとしては成功しなかった彼女だが、その後、女優業にシフトチェンジし、2004年のドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』(TBS系)で大ブレイクする。

「予想外というより、何とか綾瀬を売り出そうとするホリプロの面倒見のよさが印象に残りますね。■バラエティー路線がダメなら女優路線に……という流れから察するに、綾瀬は最初から期待されていた。番組で雑な扱いを受けようが、事務所的に彼女は雑な存在じゃなかったのではないでしょうか」(鈴木さん)

石田ゆり子 撮影/週刊女性写真班

 ■ルックスからライフスタイルまで、女性の憧れの存在である石田ゆり子も、以前はグラビアを中心に活動する存在で、アイドルであった妹の石田ひかりの“姉”としか認識されていない存在だった。

「年齢を経て、魅力が浮き出てきたタイプなのだと思います。ひかりがアイドルだった当時、■アイドルらしい、ハッキリした顔立ちの妹に対し、ゆり子はなんとなく地味に見えたもの。人の魅力は若さだけじゃない、ってことですよね」(鈴木さん)

 アイドルといえば、アイドル時代はほとんどスポットライトが当たっていなかったのに、アイドルをやめたとたんにブレイク路線を走るようになった芸能人も多い。

 ■若手実力派女優のひとりとして挙げられる満島ひかりは、もともと沖縄アクターズスクール出身者の小・中高生で結成されたダンスボーカルグループ「Folder」の一員だった。その後、メインボーカルの三浦大知らが抜け、女性アイドルグループ「Folder5」となったもののメインメンバーのAKINA(現・びびる大木の妻)以外は、ほとんど知名度が上がらず、活動休止に。

 ■だが、もともと女優になりたかったという満島は、自ら出演を志願したという園子温監督の映画『愛のむきだし』での演技力が認められ一躍、実力派女優となったのだ。

 同じくアイドルで、AKB48時代はそこまで人気が出なかったものの、卒業直後に映画やドラマに続々出演。■女優として活躍しているのが川栄李奈だ。

「2人とも、アイドルとしてトップの人気者でなかったから、アイドルをやめてから自分のやりたいことを躊躇なくやれた、あるいは使われやすかった、というのもあるかもしれません」(鈴木さん)

デビュー当時の小泉孝太郎 撮影/週刊女性写真班

■不安しかなかった
小泉孝太郎の当初

 ■また、期待……というよりみんなが不安しか抱かなかったデビューの後、なんだかいつの間にか売れっ子になってしまった芸能人もいる。小泉孝太郎だ。

 小泉のデビューは鮮烈だった。父・純一郎が現役総理のタイミングに芸能界入りしたまぶしすぎる2世。2001年公開の映画『大河の一滴』試写会の会見場は小泉ジュニア初お披露目の場と化し、マスコミが大挙して駆けつけたものだ。しかし、それは金の卵の将来性を期待したからではなかった。

「当時、われわれはあの会見以上のものを孝太郎に求めていませんでした。世間の興味が最高潮のデビュー会見こそがピークで、■その後、彼はすんなりフェードアウトすると思っていましたから」(芸能レポーター)

 鈴木さんは役者・小泉孝太郎についてこう評価する。

「育ちのせいなのか、どことなく品があるんですよね。■現代は“品”を感じさせる俳優ってほとんどいないので、それが功を奏したんだと思います。また、その爽やかさがあるからこそ“裏がある”役がこなせるようになった。あと、ムロツヨシと仲がよいというのも大きいですよね。世間から『面白い人だな』と思われると、なかなか人気も落ちない気がします」

 ■今やカリスマ的人気を誇るミュージシャンの米津玄師も数年前は「ハチ」名義でネットに自作曲をアップするニコニコ動画が主戦場のアーティストだった。そのころの米津の印象を鈴木さんが語る。

「7年ほど前に『SCHOOL OF LOCK!』(TOYKO FM)というラジオ番組に関わっていたのですが、この番組には彼も何度か出演していました。放送終了後は当日の書き起こしをホームページに載せるのですが、■米津からは『顔は出したくない』とリクエストがあったみたいで背後からの写真ばかりでしたね。どうも、学生時代から容姿にコンプレックスを持っていたようです」

 番組には学生からのメールが数多く寄せられ、米津はその投稿に「自分も悩んでいて〜」と真摯に返答していたという。悩める若者の代弁者であり、彼自身も悩める若者だった。

「■のちに彼はニコ動にアップしていた曲をすべて削除しています。それらは人から受けた影響が色濃く出すぎていて、本人からすると不満足な出来なのかもしれません」(鈴木)

米津玄師(YouTubeより)

 その後、2018年に『Lemon』のヒットで大ブレイクした米津。ただ、ニコ動界隈では米津のほかにも数組の有望アーティストが存在し誰が米津のような存在になってもおかしくない状況だった。誰も期待されていなかったし、誰が成功してもおかしくない土壌だったのだ。

「■『ハチ』だったころの彼を知る人間からすると、今の米津玄師の成功は感慨深いと思います。あの急激な売れ方には、本人も信じられないのでは」(鈴木)

 まさに、ドラフト外からの成功だ。期待値外だからこそ、きらめくことができる存在も多いのだ。

■こんな人たちも「期待値外」だった!

■北川景子
 テレビドラマ版『美少女戦士セーラームーン』がデビュー作。演技がぎこちないと不評だった

■斎藤工
 初出演した『ミュージカル テニスの王子様』でダンスが下手すぎるとファンから酷評されていた

■純烈
 特撮出身者を中心にムード歌謡グループを結成したものの、イロモノと思われ続けて10年ほど地方巡業の日々だった

■上戸彩
?『昼顔』『半沢直樹』以前は、“視聴率が取れない女優”として名が知られていた

SMAP撮影/週刊女性写真班

■SMAP
 一説によると、光GENJIの人気にあやかれるよう、GENJIのメンバーの頭文字をとって命名されたといわれている

レイザーラモンRG

■ドラフト外
芸能人に直撃!
「“じゃないほう芸人”なんて言葉はない!」■(レイザーラモンRGさん)

?■「あるあるネタ」やものまねがおなじみで、芸能人にもファンが多いのがレイザーラモンRGさん。しかし彼もかつては相方であるレイザーラモンHGの大ブレイクの陰に隠れていた時期があった。そんな彼に、芸能人の転機について聞いた。

「芸能人に“雌伏の時期”なんてありません。芸人ならネタや大喜利力を磨き、ミュージシャンなら曲を作って演奏力を磨く。毎日、やることも新たな発見もたくさんあります。

 うちのコンビの場合、相方がブレイクしたときは『やりすぎコージー』(テレビ東京系)のスタッフが『HGよりすごいキャラを考えましょう!』とリアルゲイ(RG)のキャラクターでロケをやってくれ、そのVTRがみんなの爆笑をとったので自信になりました。

 ■じゃないほう芸人の負い目どころか、HGに敵対するRGという悪役が生まれてコンビの面白さがアップしたとさえ思っています。

 その後、プロレス団体『ハッスル』参戦時に5万人の客から『帰れ』コールを受け、それに合わせて自然と踊るという返しをして館内の反応が爆笑に変わったこともありました。■振り返ると、あれがレイザーラモンRGの何かが変わった瞬間かもしれないです。

 ■そもそも、『じゃないほう芸人』なんて言葉は芸人内にないんです。

 かつて、そんな扱いを受けていた博多華丸・大吉の大吉さんもオードリーの若林君も、能力は最初から抜きん出ていました。

 じきに、■マヂカルラブリーの村上も脚光を浴びると思いますよ。彼は何かと楽屋の中心にいますから」

(プロフィール)1974年、熊本県生まれ。立命館大学経済学部卒。学生時代に学生プロレスでレイザーラモンHG(住谷正樹)と出会い、'97年に“レイザーラモン”を結成。吉本新喜劇などで活躍したのち、HGのブレイクをきっかけに東京へ進出。その後“あるあるネタ”などで人気を博す。

鈴木旭さん フリーランスの編集・ライター。元バンドマン、放送作家。エンタメ全般に詳しい。個人サイト「不滅のライティング・ブルース」http://s-akira.jp/

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