若手落語家の注目株・桂米輝 端正かつシュールな芸で”輝き”増す 中西正男の「そら、この芸人さん、売れるにきまってる!」【4】

若手落語家の注目株・桂米輝 端正かつシュールな芸で”輝き”増す 中西正男の「そら、この芸人さん、売れるにきまってる!」【4】

記事画像

桂米團治さんに入門し、米團治さんの師匠であり、父でもある故桂米朝さんからも薫陶を受けた桂米輝さん(34)。桂文枝さんを輩出した関西大学の落語研究会で落語の魅せられ、大学卒業後はいったん企業に就職しますが、一念発起して弟子入りしました。端正な芸と、オンリーワンのルックスのミスマッチ。そして、独特の世界観を持つ若手落語家の注目株です。

(取材/文:中西 正男)

―昔からお笑いは好きだったんですか?

奈良県出身なんで、ま、関西の子どもとして、昔から漫才だとか吉本新喜劇だとか、お笑いは好きでよく見ていたんです。何となく、お笑いへの憧れみたいなものもあって、大学(関西大学)に入学して、何かサークル活動をやろうとなった時に、出会ったのが落語研究会だったんです。

落研に入ったものの、お笑いは好きだったけど、落語はほとんど見たことがない。学校の文化鑑賞会で見るか、テレビでやってたらたまに見る。それくらいの接し方だったんですけど、落研なんで、落語を実際にやる流れになって、こんなに面白いのか!となったんです。

最初はウケないんですけど、1年、2年やってると少しずつコツがつかめてくる。そうなると、えらいもんで、どんどん楽しくなってくるんです。落語は自分が演者であり、演出家であり、脚本もいじれる。全て自分の思い通りにできて、それでお客さんが笑ってくれたら、そら、もう、すごく気持ちがいいんです(笑)。

―大学を出たらすぐに入門して、プロとしてやっていこうと?

ただ、そこまでの勇気が出ずに、大学を卒業してサラリーマンになりました。ピアノ販売の仕事だったんですけど、仕事をやりながら、落語は、ま、素人落語として続けてはいたんです。

新入社員研修の時に「社会人になるということとは」という講義があったんです。会社のエライ人が出てきて「社会人になるということは『あなたは何ですか』と聞かれた時に『私は●●という会社で営業をやっている者です』と答えるようになるということです」と言われまして。

落語は趣味として続けていこうと思っていて、何なら、気持ち的にはそっちがメインで、働かないと食べていけないので、その収入を得るために会社勤めをしているという感覚だったんですけど、研修でその説明を受けて、何とも言えない違和感を覚えたんです。

ま、そんな感じで働いてますから、仕事でミスも多かったんですけど(笑)、日に日にその違和感が大きくなっていって、これはもうそちらに行こうと。入門するにはかなり遅い年齢ではあったんですけど、20代半ばで師匠の桂米團治のところに行ったんです。

―なぜ米團治さんのところに?

芸が好きというのはもちろんなんですけど、あとは直感です。「この人なら、面倒見てくれそうやな」という(笑)。比較的、私の場合はスムーズでした。というのは、大師匠の桂米朝師匠がご存命で、お体を悪くされていたので、常に誰かがついていた方が良いと。そういうこともあり、師匠としては人手が欲しいタイミングでもあったと思うんです。なので、こればかりはめぐりあわせのものですが、弟子入りはすんなりいけたんです。

入る前は、それこそ、ものすごく怒られるんだろうなと思っていたんですけど、うちの師匠は絶対に怒鳴りつけたりはしない。静かに理路整然と言ってくださるんです。

一番記憶に残っているのは私が米朝師匠の車を運転して放送局まで行く時、家の前で車をぶつけてしまったんです。内輪差でドアの部分がボコッとへこむ感じのぶつけかたで、大事故とかではなかったんですけど、それでも、当然、師匠に電話をして伝えないとアカンところを、なぜか「こういうことは、電話じゃなくて直接言った方がいいんじゃないか…」と思いまして。

次に会った時に言おうと勝手に決めていたら、別のルートから師匠の耳に入ったようで、逆に師匠から連絡があったんです。師匠にしたら、自分の師匠であり父親でもある米朝師匠の車だし、下手したら米朝師匠のお体にも影響があることなので、そら、内心穏やかではなかったと思うんです。

さすがにここは怒鳴られるかと思ったんですけど、静かな声で「なんで、電話せぇへんねん。みんな心配するし、そこはちゃんとすぐに伝えないとアカンやろ」と穏やかに諭すというか。ここの懐の深さみたいなところは、自分も身につけないといけないと強く思っています。

また、すごいのは、その流れを見て、米朝師匠もにこやかに笑ってらっしゃったんです。自分の車ぶつけられているのに、ニコニコして見てらっしゃる。落語家の前に、人として勉強をさせてもらいました。

―桂米朝さんと時間を過ごすことができたというのも、非常に貴重な経験ですよね。

私くらいのキャリアで、それができたのは本当に有り難いことやと思いますし、間近で見せていただいた空気みたいなものは自分の中のお手本になっていると思います。

それと、ウチの師匠からまず言われたのが「自分(米團治)のことをイジってウケるんやったら、何を言うてもエエからな」ということでした。

ウチの師匠は桂ざこば師匠や桂南光師匠という先輩からはもちろん、後輩からも失敗談をこれでもかとイジられたりする存在なんですけど、それを弟子にも「やりや」と言ってくださる。この姿勢も、私が学ばないといけないところだなと。

―桂米朝さんも生前に「行きつくところは人柄や。面白い芸人にならんでもいいけど、エエ人になりなさい」とおっしゃってましたが、まさにそれを体現されていたのですね。

どこまでできるか分かりませんけど、そこはしっかりと引き継いでいきたいと思っているところです。あと、芸で申しますと、新作落語と古典落語を両方やっていきたいなと。

私、新作は、ま、変なネタと申しますか、気持ち悪いネタが多いんです(笑)。めちゃくちゃなキャラの人が出てくるというか。大工さんになりたくて、若者が弟子入りした。ただ、そこの大工集団が変な集団で、釘を打つのに金づちを使わず冷凍の鶏肉で打つとか…。そういう、落語の笑いの質とは違う妙なネタを作りがちでして。

―そら、また、シュールな設定ですね…。

シュールと言えば、私自身が変わったところがあるというか。趣味が“郵便ポストとツーショットで写真を撮ること”なんです。

分かります?分からないですよね(笑)。ポストっていくつか種類があって、昔のは丸い円柱型をしてましたよね。そして、今、普通に街にある、一番主流の箱型のポストで一本足のもの。この2つの中間というか、箱型は箱型なんですけど、今の形とは微妙に違って小ぶりで古いものがあるんです。それと撮るのが趣味で。より、分かりません(笑)?

―ポスト写真を撮り始めたきっかけはあるんですか?

落語の世界に入ってしばらく経って、仕事で石川県の輪島に行ったんです。そこで朝市に出向いたら、今申しましたような、まさにそれ!というポストを見つけまして、その瞬間、これは自分でもよく分からないんですけど、ツーショットで写真を撮ってたんです。何かに引き寄せられるというか。それ以来、ビビッとくるポストを探しては写真を撮る日々が始まりました。



―今後への思いは?

円柱型のものは、これはこれでレトロみたいな感じで残されたりもするんですけど、私が理想としているポストは、どんどん減っていく一方。なので、なんとかして、このポストを残すように働きかけていきたい。ネットなんかを見てると、私と同じような趣味の人も少しはいらっしゃるようなので、なんとかして、残す動きを作っていけたらなと…。

あ、落語としての今後ですか…?すみません、話し出すとポストのことで頭がいっぱいになってしまって、なんとも失礼しました(笑)。

■取材後記
「それやったら、米輝がエエと思うわ」

毎週ラジオ番組でご一緒している桂南光さんと将来有望な注目株の話をしていた時に、真っ先に名前が出てきたのが桂米輝さんでした。

落語は流ちょうで、淀みない。良い意味で目を引くルックスがある。そして、これも良い意味で中身がちゃんとねじ曲がっている。そして、こちらが何を聞いても、全く物おじしない。

知れば知るほど、落語家として、そして、タレントとしても、前に出やすいポイントをいくつも持っている人だなと感じました。

名前のように、ますます輝きを増していく様をしっかりと見届けたいと思います。

執筆者プロフィール
中西 正男(なかにし まさお)
1974年生まれ。大阪府枚方市出身。立命館大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚などを大阪を拠点に取材。桂米朝師匠に、スポーツ新聞の記者として異例のインタビューを行い、話題に。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、テレビ・ラジオなどにも活動の幅を広げる。現在、朝日放送テレビ「おはよう朝日です」、読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」などにレギュラー出演。また、Yahoo!、朝日新聞、AERA.dotなどで連載中。