「邦楽より普通にU2が好き」永野の中二病音楽遍歴

お笑いとロック――遠いようで実はとても近い両者の共通点を、今、最もヴィヴィッドに感じさせてくれる男が永野である。

YouTube『永野CHANNEL』で、以前から洋楽ロックに関する豊かな知識と鋭い見解を披露してきた彼。2021年に上梓した初の著書『僕はロックなんか聴いてきた』(リットーミュージック刊)では、ニルヴァーナを筆頭に、U2、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンといったバンドについて、あふれんばかりの愛をほとばしらせている。

テレビなどで見る限りでは“クセの強い芸人”というイメージがあるかもしれないが、ロックに向き合う姿勢は徹頭徹尾ピュア。好きなバンドにまつわる回想は、彼の青春時代の心模様とも相まって爽やかな読後感を残す。

この記事を書いている私は、もともと永野のファンだったのだが、彼が愛読していた音楽雑誌が『CROSSBEAT』だったことを『永野CHANNEL』で知って、俄然会って話してみたいと思うようになった。

なぜなら、私は90年代を『CROSSBEAT』の編集部員として過ごし、ちょうど永野少年が愛好していたニルヴァーナやナイン・インチ・ネイルズ、プロディジー、マリリン・マンソンといったアーティストを担当していたからだ。

■ロックとの出会い〜初めて好きになったのはU2

――永野さんとロックの出会いですが、この本では、最初に好きになったバンドはU2と書いていますね。

永野 そうです。6つ上の兄がいるんで、かなり影響を受けてるんですけど、9歳の頃に小林克也さんがテレビ番組で『USフェスティバル』(※)というフェスの解説をしてたんですね。それを兄がビデオで撮ってて、U2が出てた。クラッシュとかプリテンダーズも出てたかな。それをずっと見てました。

U2は『WAR(闘)』(83年)のときで、白旗を振ったりとかして、爽やかな感じだったんですよね。それで「わっ、カッコいい」と思ったのを覚えてます。兄は家でそういうビデオをずっと流してて、ブルース・リーとかも好きでよく見てたんですけど、子どもにとってはジャッキー・チェンのほうがいいじゃないですか。だからイヤでねぇ。でも、これをいいと思わなきゃいけないんだって思ってたんですよ。洗脳されてね。

(※)USフェスティバル……1982、83年に米カリフォルニアで開催された音楽フェス。永野さんが話しているのは83年開催。

――よくわかんないものを無理して好きになるってありますよね(笑)。

永野 そうそう。ブルース・リーは完全にそう。USフェスティバルもそうでした。そのなかから、自分の好きなものを見つけるわけですけど、それをU2にしたんです。ラリーが好きでした。

――ラリーですか? (注:U2が好き、という場合の多くの人がヴォーカルのボノ、もしくはギターのエッジを好きになることが多く、ドラムスのラリー推しは珍しい)

永野 ルックス、カッコよすぎるじゃないですか。たぶんそれが一番最初に好きになった理由ですね。ジューダス・プリーストは、みんなバイクで出てくるところがカッコいいって言ってましたけど、僕はクワイエット・ライオットが好きで、彼らの「カモン・フィール・ザ・ノイズ」とU2の「ジ・エレクトリック・カンパニー」をずっと見てました。

で、時が流れ、改めてU2を意識したのがその4年後、13歳の頃です。その年に『ヨシュア・トゥリー』(87年)が出て、 U2大旋風だったんですよ。で、また小林克也さんの番組だったかな。年間チャート1位が「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」だったとき、ボン・ジョヴィも人気だったんです。「リヴィング・オン・ア・プレイヤー」とかヒットしてね。

中学校に入ると『ニュージャージー』ってアルバムが出て、みんな「バッド・メディシン」を歌ってたんですけど、俺はこんなチャラいのは好きじゃないと思ってて。それで背伸びしてU2を聴いてた。硬派さに惹かれてね。前までは、ラリーの可愛さが印象的な爽やかなバンドって印象でしたけど、『ヨシュア・トゥリー』は渋くて。

――わかります。U2好きになる人って真面目な人が多いんですよね。

永野 だって、そのとき、みんな「世界の問題をなんとかしなくちゃ」って言ってませんでした? スティングとか。「アムネスティ」(※)って、洋楽を聞き始めた初期に覚えた言葉ですもん(笑)。その前はピストルズとか好きだったんで「アナーキー」とか「デストロイ」とか「ファック」とか覚えたんですけど(笑)。

でも、そのときは『ヨシュア・トゥリー』とか(スティングの)『ナッシング・ライク・ザ・サン』とか聴いてたんで、それがロックだと勘違いしちゃって。モトリー・クルーとか、もっと快楽的なバンドが好きだったら、またちょっと違ってたんでしょうけど。当時はモトリーとかボン・ジョヴィ的なものをホントに軽蔑してましたね。

(※)アムネスティ・インターナショナル……難民保護、人権擁護を啓発する国際NGO。U2やスティングが支援している。

――私も当時、モトリー・クルーはアホが聴く音楽だと思ってました(笑)。だから永野さんの本を読むと、自分と重なる部分もあって変な気分になってくるんですよ(笑)。

■邦ロック好きの同級生を軽蔑してた学生時代

永野 で、洋楽好きになった流れでCDを買おうとするわけですけど、当時はモノクロのジャケが渋くてカッコいいと思ってたんで、ザ・スミス(※)の『ストレンジ・ウェイズ・ヒア・ウィー・カム』を買ってしまうわけです(笑)。

(※)ザ・スミス……80年代の英国で熱狂的な人気を誇ったバンド。ヴォーカル、モリッシーの強烈な個性のせいか、ファンもオタク気質でクセのある人が多め。

――そこでスミスを買ったのは運命だと思いますけど(笑)。

永野 運命ですかねぇ。で、それから『CROSSBEAT』(※)みたいな音楽雑誌とかも読むようになって、聴いたこともないのにザ・ザとかジ・アラームとかは、きっといいバンドなんだろうなって思ってました。なぜならジャケが渋いから(笑)。今考えたら、もっと軽薄な音楽を聴いときゃよかった(笑)。

(※)CROSSBEAT……シンコーミュージックから刊行されていた洋楽ロック雑誌。『永野CHANNEL』でも「ロックの情報は主にここから得ていた」と、たびたび紹介されている。2013年休刊。

――ザ・ザは確かに渋いし、ジ・アラームは一時期“ポストU2”とも呼ばれてましたね。暗いもの、変わったものに対するアンテナの感度がよかったんですね。

永野 自分本来の人間性にマッチしてたんでしょうけど、のちにそういう嗜好が自分の芸風にも影響を与えるようになるんです。同級生がBO?WYとかブルーハーツとか聴いてると「こいつらは、なんて民度が低いんだろう」と、本当に軽蔑してました。

――ハハハハハ。中二病です、それ。

永野 はい。で、片や僕はU2の『魂の叫び(Rattle & Hum)』(88年:※)とか聴いて。でも、今考えたら、あんな生意気なアルバムないなと思って(笑)。28歳ぐらいのガキがB.B.キングとか捕まえてさ。でも、当時は本当にU2の信者だったんで、アルバムの隅々まで覚えてますね。

U2は『POP』(97年)まで頑張って推してたんですけど、その次の『オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド』(00年)でやたら落ち着いちゃって、「おまえたちだけ幸せになるんじゃねえ」とムカついて離れました(笑)。あと、自分の影響でU2知ったやつが、俺よりも金があるからそれをCDで買ってるのを見てムカついてましたね。

(※)『魂の叫び(Rattle & Hum)……88年公開、U2の同名ライヴ・ドキュメンタリー映画のサントラ。B.B.キングやボブ・ディランなどロック界の大御所が参加、ブルース発祥の地、メンフィスのサンスタジオで録音を行なうなど、当時の彼らにしてはかなり背伸びした作品。

――U2を聴いていたのと並行する形ですが、永野さんが17歳のときですか。運命のバンド、ニルヴァーナに出会うわけですね。

永野 はい。これも『CROSSBEAT』に載ってた写真を見て一目惚れしたんですけど、佇まいにすごく新しいものを感じたんですよね。なんかダルい感じを漂わせてたでしょ。それ見たら、「あれ? U2ってもしかしたらカッコ悪いのかも……」と思ってきちゃった(笑)。

――ダサい元カレみたいな感じですかね。

永野 そうそう! U2の『ZOO TVツアー』(93年12月に来日)は行ってるんですけど(笑)、もうあんまりかな? みたいな態度を取ってた(笑)。ニルヴァーナは『ネヴァーマインド』(91年)の1曲目「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」のイントロの音からしてカッコよくて、もうすぐに持っていかれて。

でも、自分が最初に注目してJロック好きの田舎者たちにニルヴァーナのことを教えてやったのに、教えてやったやつの方がCDを買って、俺は金がないからそいつが買ったCDをテープにダビングしてもらって聴いてたんです。それが屈辱的でね(笑)。俺のほうが絶対センスあるのに!って思ってました。

「カートが死んでかわいそうだから推したのに!」永野の理不尽な怒り | WANI BOOKS NewsCrunch(ニュースクランチ)( https://wanibooks-newscrunch.com/articles/-/2976 )

『僕はロックなんか聴いてきた〜ゴッホより普通にニルヴァーナが好き!』
発売:リットーミュージック
定価:¥1,760(税込)

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