ミュージシャンimai「救ってくれた五明さんと山本さほ先生に感謝」
2023年03月17日 17時00分WANI BOOKS NewsCrunch
お笑いトリオ・グランジの五明拓弥による『39歳の免許合宿 -ストーリーは自分(てめぇ)で創れ-』。ごめたん名義で昨年発売されたこの漫画で、39歳にして免許合宿に挑むのが五明本人、そして友人のミュージシャン・imaiだ。
最高に楽しくて、最高に理不尽な免許合宿に挑む二人が、可愛らしく見えるのは、五明の画力やネーム力もあるが、ともに挑んだimaiの人柄やキャラとしての立ち具合もあるのではないか。そう考えた編集部は、imaiの単独インタビューをオファー。
快く引き受けてくれたimaiは、音楽愛とお笑い愛に満ちあふれた、高身長ナイスガイであった。

▲imai
■映画監督、お笑い芸人…子どもの頃の夢
――幼少期についてお伺いしたいんですが、imaiさんはどんなお子さんだったんですか?
imai 父親の仕事の都合で、小2から小5の終わりまでイギリスにいたんです。
――イギリス! すごいですね、その頃というと……ブリットポップブームのあたりですか?
imai そうですね。当時は小学生だったんでそこまで深くは知らなかったんですけど、近所にHMVがあって、ジャミロクワイやブラーのポスターが貼ってあったことはぼんやり覚えてます。
――では、音楽への目覚めというのはどのあたりになるんでしょうか?
imai 目覚めで言うと、サザンオールスターズの『Kamakura』ってアルバムのカセットテープを両親が持ってたんですけど、それですね。あとはCHAGE&ASKAや槇原敬之も好んで聴いてました。
洋楽はジャミロクワイ、オアシス。日本に帰ってきたあとなんですけど、イギリスにいた頃に深層心理として“カッコいい”と思ってたのがあったのか、『ヴァーチャル・インサニティ』が入ってるジャミロクワイの3枚目のアルバム「トラベリング・ウィズアウト・ムービング」はよく聴きました。『HEY! HEY! HEY!』のチャートにも入るようになって。
――ジャミロクワイ、カッコよかったですよね。MDのCMに出たりして。
imai そうです、そうです(笑)。だから、周りの子より洋楽を聴くのは早かったですね。
――その頃の夢は、やはりミュージシャン?
imai 最初は映画監督になりたいと思ってたんです。小6の頃、近所に大きいTSUTAYAができて、友達と会員証を作って。そういう場所が近くになかったから、すごくうれしくて、もう端から端まで全部見てやろうと思って。とにかく毎日1本か2本借りて見て、自分の中で脚本とかアイデアみたいなものをメモしてたんです。
――まだ小学生、中学生くらいですよね?
imai はい。でも、それをしばらく続けたときに、ふとメモを読み返して気づくんです。自分のアイデアって全部何かのパクリだなと。自分のオリジナルが1つもないなって気づいて、もしかしたら向いてないかもって諦めたんです。
――その気づきもスゴすぎますけど……。
imai 一歩踏み出す前に諦めちゃってるんですよね。お笑いもそうなんです、チャレンジする前に諦めてる。それこそダウンタウン直撃世代で、みんなの価値観がひっくり返る瞬間を目の当たりにしているんですよ。お笑いだけじゃなくて、松ちゃん浜ちゃんのファッションも真似する、みたいな。
――imaiさんは映画にしてもそうですけど、好きになると深掘りしていくタイプなんですね。
imai そうだと思います。でも、ここでも映画と一緒で“ダウンタウンと違うものが作れるのだろうか”という壁にぶつかって諦めて、誰と比較してんだって話なんですけど(笑)。なぜか音楽に関しては、そこまで深掘りする前に“まあ行けるっしょ”みたいなマインドになったんですよね。もちろん、今となっては映画やお笑いと同じように難しいのはわかるんですけど、当時は“高校卒業したらすぐメジャー行けるっしょ”みたいな感じだったんです。
――推測になるんですけど、imaiさんがミュージシャンを志したタイミングも良かったのかなって。
imai あ、それはめっちゃあると思います。自分が音楽をやるうえでいくつかラッキーがあったうちの1つは、打ち込みの機械が安価になり始めたタイミングだったことですね。
「ELECTRIBE EM-1」という商品は5万円くらいで買うことができたので、一人で音楽と向き合うことができた。その前にバンドを組んでいたんですけど、やっぱり熱量の違いがあって、みんな辞めちゃったんですよ。
――それはツラいですね。
imai はい。だって、世の中を振り向かせようと思ってるのに、近くにいるメンバーすら振り向かせることができないわけですから。スゴい挫折ですよ、謎の自信はあったんですけどね。
でも、メンバーがどんどん辞めていくのを横で見ていて、デモをメジャーレーベルに送っても別に引っかかるわけじゃないし。このまま続けてても“どうなんだろう?”と思ったときに、ELECTRIBEのように一人で最初から最後まで完結して音楽を作れるツールがあったから、活動を続けられたんでしょうね。
■コロナ禍になって黄金時代からスランプへ
――その後、group_inou結成に至ったのには、どういう経緯があったのでしょうか?
imai もともと知り合いだったんですけど、二人とも同じタイミングでメンバーがいなくなってしまって。じゃあ、ちょっと遊び感覚でやってみようって感じで。最初は本当にノリでやっていたユニットだったんですけど、徐々にいろんなイベントに呼んでもらえるようになって、それで続いていった感じですね。
――そういうきっかけだったんですね。group_inouの「PR」という主催イベントの人選がめちゃくちゃ良くて、“この人たち、いいセンスしてるな”って偉そうに思ってたんですが…(笑)。
imai (笑)。
――imaiさん、cpさん、それぞれからは全く感じないんですけど、group_inouとしてライブを見ると、めちゃくちゃバイオレンスを感じるというか、ヒリヒリする緊張感があって。それがとてもカッコいいなって。
imai ありがとうございます。ヒリヒリしてたでしょうね。あの頃の二人の精神性が、そのまま音楽やパフォーマンスになっていたと思います。
――『MONSTERS』の話になるんですが、めちゃくちゃ素晴らしいのは当然として、imaiさんの興味の範疇、その広さと深さがよくわかるなって。あと、偏執的に好きな自分を俯瞰で見ている視点を持っているのもスゴいなって。こういう作品は得てして視野の狭い作品になりがちなんですけど、このまとまりを出せるのはその視点がないとできないと思いました。
imai めちゃくちゃうれしいです。それは、もともと持ってる自分の気質と、一人になってから学んだやり方がいい塩梅で配合されたんだと思います。じつはコロナ禍になってから、初めてのインタビューがこれで。
――え! そうなんですか。
imai まず、イノウが休止になって、2017年から人生的に言うと、何度目かの黄金期というか……。
――黄金期!?(笑)
imai そう、気持ち的に(笑)。イノウのときは自分が引っ張っていかないと、みたいな責任を勝手に感じていて、ガチガチになっていたんです。けれど休止になって、そこから開放されたのもあって、“その振り幅でなんでもできるじゃん”みたいなマインドになって。最初は精力的にライブ活動をするつもりはなかったんですけど、今まで出演してなかったクラブ界隈の方からもオファーが来るようになって、それがうれしくて逆に一人になってからのほうがライブ出演が増えたんです。
――なるほど、ソロになってからのほうが誘いやすくなったんですかね。
imai かもしれませんね。あと、最初は全然お客さんが来なくて、一人でやるってなったら、こんなにも誰も来なくなるんだって。それが逆にワクワクにつながったんですよね、再デビューじゃん! みたいな。その時期に中村佳穂ちゃんとか、パソコン音楽クラブとか、いろいろなジャンルの人と交流できるようになって、どんどん友達が増えていって。
イノウのときは、自信がないからツッパってて、ハリネズミみたいになってたんです。それが友達が増えて、人と話すことが多くなって、ライブをやる場所がすごく増えた。それで、刺激もらいまくるみたいな、良い循環になってたんです。それこそコロナ禍になるちょっと前、渋谷の全感覚祭とかがあって、自分の周りの人たちも盛り上がってて……。
――いい方向に行ったんですね。
imai そうなんです。ちょうど一人になった2017年頃から、才能ある面白い人たちがガンガン表に出てきて、ジャンルの境も無くなってきて。あの当時、僕が見ていたAIR JAMの盛り上がりとか、本で読んでいた渋谷系のワクワク感みたいなものが、これから始まるのか? みたいな期待がありました。
――自分が憧れていたシーンの匂いがあったんですね。
imai はい。正直、フェスのヘッドライナーが全然変わらないのとか、純粋に音楽ファンとして“面白くねー”と思っていて。その感じが全部ひっくり返るかもと思ったんです。そこから……コロナ禍になっちゃうんですよね。
――ああ……。
imai くじけましたね。気持ち的に一番盛り上がっているときにガツーンとやられちゃって、何もできなくなっちゃって。若い頃は家に籠って、一人だっていくらでも曲なんて作れたんですよ。それが30代半ばくらいからそうじゃなくなってきて、新たな人との出会いとか、新しく行った場所からパワーを貰って、音楽を作ってた。ようやく新しいやり方を見つけたと思ったら、それが突然できなくなったわけなんで、絶望ですよね。

▲ようやく新しいやり方を見つけたと思ったら…
■「スタンドかげん」で励ましてくれた二人
――『MONSTERS』の制作ですが、構想はいつからあったんですか?
imai アルバムの作り始めが2019年末で、まだコロナじゃないぐらいですかね。ソロになってからの数年で、とにかくライブをやりまくって、少しマンネリになってたんです。そんなとき、パソコン音楽クラブの楽曲で、長谷川白紙くんがボーカルを務めた「hikari」のリミックスをやらせてもらって、久々に歌モノを作ったんですけど、けっこう反応があって。ライブで披露すると、やっぱりインスト曲とは違う盛り上がりがあるんですよね。じゃあ久々に歌モノやりたいなっていうのが1つ。
あとは、ソロ活動で出会った方々と作ってみたいなって思いがあって、勝手に一緒に曲を作りたい人をリストアップしてたんですよ、それこそトリプルファイヤーの吉田くんとか。『MONSTERS』の参加メンバーは一斉にオファーして、皆さん快諾してくれたんですが、その一ヶ月後とかに緊急事態宣言になって……。
――うわー、それはキツイですね。
imai そんな状況で歌詞を書くのも難しいだろうし、僕も混乱していて、始まってすぐに制作が止まって。じつはその年、8月にO-EASTでリリースパーティーすることまで決まってたんです。
そもそもは毎年夏に、中村佳穂ちゃん、in the blue shirt、踊Foot Works、パソコン音楽クラブで「BONUS STAGE」っていうイベントをやっていて。1年目は江ノ島のオッパーラでやったんですけど、2年目もやったらみんな有名になってて、100人のキャパに600人以上の予約メールが来て、主催の僕に苦情が来るっていう(笑)。
――あはははは(笑)。
imai その話をO-EASTの方にしたら「じゃあ、うちでやったらいいじゃん」となって。さらにアルバムを出すなら「レコ発にしたら?」って話になってたんですけど、それも流れちゃって……。ニュースを見たら暗い話ばかりで、それこそ知り合いの店が潰れたりとか。参っちゃってたんです。
――ツラいですよね。
imai 自分にとっての『MONSTERS』って、過去最多のミュージシャンが参加している作品なんですよね。それもあって、人と会いにくい世の中だと制作がストップしちゃったんですけど、あるときに“いや、逆に今こそ作んなきゃいけないかも”って。僕、ソロになってからは、特に人との出会いをパワーにしてきたから。だとしたら、今こそ自分の意志を作品にすべきだと思って。
SNSを見ると、不安だから些細なことで喧嘩してたり、憎しみ合ってて、これはヤバいなって感じたんです。時間がかかっても、絶対に“このアルバムを完成させなきゃ”と思いました。それで自分がいいと思える作品ができたら、自分のことを肯定してあげれると思ったんですよね。
――めちゃくちゃいい話ですね。
imai 普段だったら、そう思ったらすぐに動けるんですよ。でも、やっぱり立ち止まっちゃたりとか、なかなかスムーズにはいかなくて。そんなツラい時期を励ましてくれたのが、山本さほさんと五明さんだったんです。僕らが集まっていた「スタンドかげん」は友達のお店なんですけど、コロナ禍にオープンしたのに、たくましく営業してて。その店で、二人が「大丈夫ですよ!」って励ましてくれました。かげんと二人には、まじで感謝です。あの場所がなかったらヤバかったですね。
――それが『39歳の免許合宿』につながっていくんですね。マンガでも描かれてますが、imaiさんと五明さん、二人の仲の睦まじさ。あとは、五明さんはもちろんだけど、やっぱりグランジって面白いんだな! と思いました。
imai そうなんですよ、漫画の才能がエグすぎて。この漫画、誰に見せても面白いって言われるし、それこそ五明さんを知らない友達も「めちゃくちゃ面白かった!」って。僕自身も、サルゴリラの児玉さんとかバイク川崎バイクさんとか、お笑いファンとして舞台で見てた人たちが「うわ、imaiさんだ」とか言ってくださって。
――imaiさんを知らなかった方にも、この漫画を通じて届いた感じがありますよね。
imai マンガの登場人物として知ってもらえるのも、それはそれでうれしくて。この作品のおかげで、お互いの友達に名刺を配り終わってる状態なのがとてもうれしい。あと、五明さんにも「自分で言うのかよ」って突っ込まれたんですけど、マジで僕がいいって思ってる人は売れるんですよ(笑)。
――あはははは! それを自分で言う人なかなかいない(笑)。
imai でも、本当なんです(笑)。千鳥とか、それこそ昔から大好きでライブに行ったりしてて、でも東京だと単独が売り切れてなかったり。“なんで、こんなに面白いのに……”とかずっと思ってて、友達に勧めたりしても全然チェックしてくれなくて。そのくせ、あの頃は無視してた友達が「相席食堂サイコー!」とか言って、僕に勧めてきたりするんですよ(笑)。
■盟友・ごめたんとの出会いは2015年
――五明さんがimaiさんのファンだった、というのは意外でした。同じグランジの遠山さんはラジオのイメージもあって、音楽が好きなのは存じていたんですが。
imai これも長い話になるんですが、もともと僕らの最初期のマネージャーさんが吉本の方だったんです。
――そうなんですか!
imai はい、その方がR&Cでザマギっていうヒップホップグループを担当してて。
――ザマギ! 覚えてます、好きでした。
imai ザマギのMVを制作したのがAC部で、僕らにAC部を紹介してくれたのもその方でした。で、イノウの最初の8cmシングルが出たあたりで、タワレコで聞いてくれて、いきなりライブを見に来たんです。
終わったあとに名刺を渡されて。普通ならちょっと警戒するんですけど、しかも吉本興業とか書いてあるし(笑)。でも、実際めっちゃいい方で、超音楽オタクだったんです。そのときはR&Cではなく、宣伝とかの仕事をしていたのですが、それとは関係なく、空き時間に自分が好きな音楽に携わっていたい、だから何か手伝わせてほしいって、趣味として無償で数年間マネージャーをやってくれたんですよ。
――えー!
imai その方は、僕がお笑い好きなのを知ってるから、たまにサンプルのDVDとかくれて、めちゃくちゃうれしかったですね。あとは「芸人のOO紹介するよ」とか「このライブ招待しようか?」とか言ってくれてたんですけど、最初に言ったようにイノウの頃はトガってたんで「いや、いいっす」みたいな。
「招待してもらったり知り合いになったら、つまんなかったときに、つまんなかったって言えないんで」とか言って、本当は自分に自信がないから、話してつまんないヤツって思われたくないだけなんですけど(笑)。
――あはははは!(笑)
imai そんな感じだったんですけど、笑い飯・千鳥の大喜利ライブに五明さんが出られてて、それを普通に見てたんです。そしたら3日後くらいに五明さんがTwitterで、イノウの『DAY』ってアルバムを「めっちゃいい」って書いてくれてて、えー!ってびっくりして。初めて自分から連絡しちゃったんですよ、この前ルミネで見ました!って。
――(笑)。でも、すごいタイミングですよね。
imai そうなんですよ。そのタイミングを逃したら、今でもトガった僕のままだったかもしれない。それで、いろいろやり取りしてたんですけど、年齢とか身長とか、グループ内でのポジションとかの境遇が似てて、五明さんから飲みに誘われて。普段なら断ってたかもしれないんですけど、ここまで合うなら一度飲みに行こうって。で、実際に会ったら、めちゃくちゃウマが合ったんですよ。2015年くらいですかね。
――なるほど、そこからだったんですね。
imai 初めて飲んだ場所は、今はもうなくなっちゃったんですけど、下北の小料理屋みたいなところ。当時よく行ってたところなんですけど、地下だから電波が入らなくて。じつは僕、その日の24時にMVを公開するはずだったんです、ニュースの解禁とかもそれに合わせてて。でも、五明さんとの飲みが楽しすぎて、余裕で24時超えちゃってて。終電なくなるからって外に出たら、めちゃくちゃ連絡来てて、あ! 忘れてた!って(笑)。それくらい楽しかったんです。
――その楽しさが続いてるんですね。
imai そうですね、30代になってから仲良くなったのも良かったのかもしれません。僕は同世代だからわかるんですけど、この歳になってから再度評価されるのって、めちゃくちゃ難しいじゃないですか。だから『39歳の免許合宿』がバズったときはうれしかったですね。「ほら! オレの友達おもしれ―だろ!」って(笑)。この漫画をきっかけに、五明さんとグランジの面白さが新しい層に広まったらいいなって思ってます。

▲『39歳の免許合宿』(ごめたん:著)のプロローグ
――imaiさんの今後の野望はありますか?
imai コロナ禍という厳しい状況ながらも、アルバムが出せて、ツアーもできて、去年は映画や展示の音楽も作らせてもらって、そもそもアルバムの内容もソロ活動の集大成みたいなところがあったんで、一個大きな点を打てたなって思ってるんです。だから、また新しいことに挑戦しないと面白くない気がしてて。例えばですけど、ライブを減らして、勉強するとか、あとは海外に移住するとか。
――サラッとすごいこと言いましたね。
imai 例えばですけどね(笑)。海外でライブをやったときに感じたのが、自分とすごく合ってるなってことだったんです。日本では、名前が知られるまでライブって盛り上がらないんですよ、その行儀がいい感じも日本の良いところではあるんですけど。でも、海外だと、良くなかったらすぐ帰っちゃうけど、いいライブだと初見のアーティストでもめちゃくちゃ盛り上がってくれる。その感じが心地いいなと思ってて。
――たしかにimaiさんの音楽は国籍を選ばないですもんね。
imai 今はサブスクで、どこで聞かれてるかっていうのがデータでわかるんですよ。イノウは意外と海外で聞かれていて、いろんな国でもチャートインしてて。先入観がない分、日本とは違う捉えられ方をしてるのかもしれないです。とにかく、自分が飽きないように、ずっと新しいことに挑戦したいですね。
■プロフィール
imai
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