ヘアメイクアーティスト・谷本慧「この仕事を絶対に音楽につなげる」
2023年03月21日 17時00分WANI BOOKS NewsCrunch
雑誌や映画のクレジットで見かける「ヘアメイク」という仕事。なんとなく、髪の毛にまつわる仕事、美容師や理容師と一緒くたに考えている人も多いのではないだろうか。検索をかけると、“CM・映画・TVなどの撮影現場に入り、俳優・モデルなどの出演者に対して、髪の毛のスタイリングやメイクを施す”と出てくる。
多くの有名ミュージシャンを担当し、ヘアメイクアーティストとして活動している谷本慧(たにもとさとし)さんに、好きなことを仕事にする秘訣をインタビューした。

▲Fun Work ~好きなことを仕事に~ <ヘアメイク・谷本慧>
■バスケをやめてから初めて行った美容室
人なつっこい関西弁と、ヘアメイクらしいキレイな長髪が特徴の谷本。出身と幼少期について聞いた。
「出身は大阪で、もともと丸坊主だったんです。兄の影響でバスケをやってたので、小学校高学年から高2くらいまで。兄はバスケ部のキャプテンで、カッコよかったんですよ。
僕は正直そこまでうまくなかったので、比べられる悔しさはありましたね。兄の影響で洋楽を聞くようになったりもしました。小さい頃から絵はよく描いてました、見るのも好きで。絵は周りから褒められた記憶があります。もともと、内気な性格だったんですけど、部活を始めてからは活発になりました」
兄のほかに、姉もいた谷本。その姉が通っていたのが芸術系の高校だった。
「それまでは、適当に“たこ焼き屋になる!”とか言ってたんですけど(笑)。その高校には、プロダクトデザインとか、グラフィックデザインとか、建築デザインがあって、僕は建築に行きたかったんです」
姉に連れられて、オープンキャンパスにも行き、建築への想いは募っていった。その想いもあってか、別の高校に入ってもバスケは続けていたが、すぐにやめてしまったそう。
「本当は大阪芸大に行きたくて、お金を貯めてたんですけど、バスケやめて伸びてきた髪を切ってもらいに美容室に行ったんですが、めちゃくちゃ感動して。ここまで変わるんや、ここまでこだわるんやって」
その美容室は高校の友人に勧められた店だった。
「“慧、ここ行ってみたら?”って紹介カードを渡されて。そのときに担当してくれた方が熱い方で、僕の頭をジッと見ながら“お客様が帰ってからも、その人のヘアスタイルを考えんねん”って。カッコええな、と心奪われました」
その出会いをきっかけに美容師を目指した谷本、美容学校でどのような勉強をしたのだろうか?
「本当に申し訳ないのですが、全然記憶が無いんです(笑)。だから、技術は実践でどんどん培ってきた感じですね。高校の頃からバイト掛け持ちしてました。美容学校に行ってからは、会場設営とか警備とか。海外のバンドのライブ見たいなっていう不純な目的ですね」
■お客様から言われた「辞めないほうがいいよ」
美容学校を卒業しても、思うように就職は決まらなかった。
「僕はその頃から東京へ行きたくて、東京のお店を受けまくったんですが、全部落ちたんです。僕が受けたところは人気店でかなり狭き門、定員4人に対して100人応募とか、そりゃ落ちますよって感じですよね(笑)。結局、さっき僕が美容師を目指すきっかけになった方のお店で働きだしたんです」
ようやく美容師としての第一歩を踏み出した谷本。しかし、その店も1年で辞めてしまう。
「正直、そのときは美容師ってどうなんだろうなと思って辞めたんです。そのお店にはすごく良くしていただいたし、不満はなかったんですが、まだ東京に行きたいって気持ちもあったんで、一回辞めて、上京のためのお金を貯めようと思って」
お店を辞めた谷本は、上京の資金を貯めるためにライブの設営撤去のバイトと、そのほかテレアポのバイトなどの仕事を掛け持ちしていた。
「正直、辞めたらそのままフェードアウトするパターンが多いと思うんですけど、僕が辞めてすぐに電話がかかってきて、そのお店からなんですよ。なんやろ?って思ったら、その店のお客様で“谷本くん、君は絶対に良いもの持ってるから辞めないほうがいいよ”って。
その方、別に僕が担当だったわけでもないんですよ。ただ、僕が辞めたって聞いて、谷本くんと話したいって。これ、今日ここに来るまで忘れてたんです(笑)。なんで美容師を諦めへんかったんやろ?って思い出してたら、これが大きいわって」
この電話がなくても谷本は上京していたかもしれない。ただ、美容師は目指していなかったんじゃないだろうか。
「いや、本当にそうですね。なんで忘れてたんやろ…(笑)。担当ではなかったんですけど、“東京に行きたいんです”みたいな話はしていて、その方も東京で仕事したことがあるみたいで、“世界が広がるから絶対に行ったほうがええ”と言ってくれて。だから、辞めたって聞いて、もう一度釘を刺してくれたのかもしれないですね」
■奇跡のようなタイミングで就職が決まる
その頃の彼の夢は、ヘアメイクと音楽。
「この2つはずっとですね。だから一番は、ミュージシャンのヘアメイクができればって思いです。で、半年くらいお金貯めたタイミングで、お兄ちゃんの友達が東京の小平市に住んでたから、一緒に住もうって」
しかし、上京しても美容師の門は狭かった。
「ホンマに決まらんかったんですよ、出てきたのは23歳とかで、半年くらい就職活動したんですけど、どこも受からなくて。次で決まらなかったら大阪帰ろうと思ってたタイミングで、入りたいお店の15周年パーティーがあったんです。そのお店には普通にお客さんとして通ってたんで」
本当にラッキーやったんです、と谷本は謙遜する。
「そのパーティーで別のサロンの方と仲良くなって、パーティーを抜けて一緒にカラオケ行ったりして、そこで“うちの店、中途採用募集してるよ”って教えてもらったんです。で、次の日に普通にお客として髪切りに行ったんです。
そしたら、その日がたまたま面接だったみたいで、“いま履歴書を出せるなら、面接するよ”って言われて、慌ててお店の裏のロッテリアで履歴書を書いたんです。全身写真が必要だったんですけど、たまたま持ってて。すぐ出したらそこから、一次、二次、三次って面接がトントン拍子で、それで受かりました」
このことについて“自分はラッキーボーイだ”と谷本は言う。けれど、彼が諦めずにいたからじゃないかと感じるのだ。前のめりじゃない人に対して、運命の神様は微笑まない。打席に立たないバッターがホームランを打てないように。
「本当に運が良かったんですけど、そこからがめちゃめちゃ大変でした。23歳で入社して、そこから7年間ずっとアシスタントやったんで。僕は正直、そこまで気にしてなかったんですけど、年齢を言うと“もっと頑張れよ”って。でも、僕の中では、表には出さないけど、ずっと反骨精神みたいなものはあって。音楽が本当に大好きやったから、絶対にこの仕事を音楽につなげるんやと思ってました」
■父親の死をきっかけに意識が変化
憧れの職業に就いたものの、自分の思い通りのパフォーマンスができない谷本。そんな彼に転機が訪れる。
「父親が亡くなったんですね。そのときはアシスタント4~5年目とかで、何もできてなかった、野心だけはあったんですけど。もっと本気出して、行動に移さないとって思って。父親からは“絶対に東京で成功しろよ”って、“早く偉くなって髪切ってよ”って言われてたんですけど……亡くなってから、父の会社で発行してる社内報を見つけて、その社内報を読んだんですけど、父がそこに“長女は結婚し、長男は二人も子どもがいます。次男は東京でカリスマを目指して頑張っています”と書いてあって、全然そこまで到達できてないやんって。遅かったかもわからないですけど、ちょっと悔しいな、頑張りたいなって。
その作文の横に、父の若い頃の働いてる写真があって、そこに“情熱と夢を持って働いてた頃の写真です、子どもたちにも情熱と夢を持ってほしいです”って書いてあって、なんかジーンとして、その作文をもらって東京に帰ってきました」
そこから大きく谷本の意識は変化した。
「それまでも別に頑張ってなかったわけじゃないんですけど、もっと変わらなきゃと思って、サロンで勤めながら、有給使ってヘアメイクの方の現場に行かせてもらったりとか、先輩の現場について行ったりしました。もともと、そのサロンがヘアメイクもやっているサロンだったので、意識的に技術や振る舞いを勉強しに行くようになりました」
今はミュージシャンのヘアメイクを多く担当する谷本。意識が変わったと話していたが、彼のキャリアで大きな転機になった出来事について聞いてみた。
「最初は、制作会社で働いている友達からLUCKY TAPESを紹介してもらって。その後、MVの監督とかとも仲良くなって、“現場が現場を生んでいく”みたいな感じですね。あとは、the fin.とか。写真家の小林光大さんと出会えて、いろいろ紹介していただきました」
■食えなくても続けたいことなのか?
ヘアメイクというのは、正解がない仕事であると思う。だからこそ、他人の評価が大事だし、自己評価も高くないと続けられない仕事であるように感じる。今、谷本はヘアメイクとして多くの現場を担当しているが、そんな彼が続けられる根拠となるものはなんだったのか。
「やはり、このヘアメイクの仕事を絶対に音楽につなげてやるんだっていう信念です
よね。念ずれば通ず、じゃないですけど。僕のそういう姿勢を見ていたら、周りの方々も“谷本は絶対そっちで勝負したがいい”と言ってくれたし、僕から見ても、音楽を感じさせるヘアメイクっていないように感じたので、ここしかないなって」
全員がそうとは思わないが、多くの美容師の方々はヘアメイクとして仕事をしていくのに一度は憧れたのではないかと思う。それはどちらが上とか偉いとか、そういう話ではなく、自分のイメージ通りにハサミを振れるというのは、とても気持ちのいいことなのではないかと想像する。
「いやー、どうですかね。自分でテクニックがあるとか、そうは思わないんですけど(笑)」
こちらが最後に投げかけた質問に「ちょっと待ってくださいね、ちゃんと考えさせてください」と長く思案した。質問は「同じ業界を目指す人に、アドバイスはありますか?」というものだ。
「なんやろうな、結局、自分が心がけていることをそのまま伝えるしかできないんですけど。僕がヘアメイクでこだわってるのって、いかに自然に見せるかのメイクの質感と髪の質感なんです。
でも、それって見ている人には絶対100%伝わらない、それこそ写真や映像でも伝えるのは難しいと思うんです。でも、そういった制約があるからこそ、僕としてはやりがいがあるし、表現ができると思っていて。直接的には作用しないかもしれないけど、その場の空気は僕のヘアメイクのとおりに動かせている気がして」

▲谷本さんがヘアメイクを担当した作品 (Photographer / Kodai Kobayashi Model / Kyohei Hattori Stylist / Ryoto Nakayama Hair & make up / Satoshi Tanimoto)
あとは「これは根本なのかもしれないですけど……」と前置きして、
「ヘアメイクだからとか、美容師だからとか、あまり肩書きとかカテゴリ分けせずに、人として見られたい、という気持ちが最近は強くなっているんです。作品を見てほしいというより、イチ人間としてどうしたらいいかなってことを考えていて、それは表現、アーティスティックな仕事の根本なんじゃないかなって」
最後に、好きなことを仕事にするということについて聞いてみた。
「好きなことに責任を持ってやるってことじゃないかなと。信頼する大先輩にも“プロフィールに書ける人生を送れよ”と言われたことがあって。さっきの責任というのは、自分の行動を含め、寝食を忘れて……食えなくても捧げられるかどうかってことです。
と言っても、僕の中では、自分の好きなことが収入に結びついてきたのは、ここ最近って感覚なんです。でも、食えなくても続けたいことが、僕にとってはヘアメイクと音楽の仕事をつなげることだったんですよね」
そして、笑いながら言った。
「今回、この取材を受けるにあたって、久々に自分の人生を振り返ってみたんです。これまであまり思い出したくなかった、めっちゃしんどかったライブ設営のバイトとかも、音楽って意味でいうと今に生きてるやん!って思えて。だから、好きなことを仕事にしようとしてる人で、“なんで、こんなことせなあかんねん”って思ってる人は、もしかしたら後々、生きてくるかもよって伝えたいですね」
■プロフィール
谷本 慧(たにもと さとし)
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