ホラー漫画家・伊藤潤二「どうせ描くなら徹底的に気持ち悪く」
2023年05月15日 17時00分WANI BOOKS NewsCrunch
デビュー作『富江』をはじめ、『うずまき』『首吊り気球』など、その美しくも怪奇な作品で世界を魅了し続けるホラー漫画のレジェンド作家・伊藤潤二。そんな彼がデビュー35年にして初めて明かす「唯一無二な世界」の作り方が収められたのが『不気味の穴――恐怖が生まれ出るところ』(朝日新聞出版)だ。
漫画界のみならず、多くのクリエイターにインスピレーションを与える「唯一無二の世界観」の作り方を初めて明かしたこの本を読むと、手の内を明かし過ぎでは? と感じるほど細部にわたるまで書かれている。デビューから35年、今やレジェンド作家となった伊藤にも「土壇場」はあったのだろうか。
インタビューでは、あんな恐ろしいホラー漫画を描いているとは思えないほど、伊藤は穏やかで温かく、こちらの質問にすべて丁寧に答えてくれたことを、ここに記しておく。

▲俺のクランチ 第25回-伊藤潤二-
■普段は否定的な父が「絵」は褒めてくれた
『不気味の穴』の概要にこう書いてある。
自身の過去を振り返り、幼少期に影響されたもの、作品の裏話、漫画への思い、異次元の「発想法」や、「キャラクター」「作画」「テクニック」について、余すところなく書き尽くす
この言葉通り、自身のパーソナルな部分はもちろん、「アイデアの発想の仕方」「漫画の描き方」まで、贅沢に自身の手の内を明かしている。まず、この本の執筆に至った経緯について聞いた。
「まず、私の漫画がどうやってできるのかとか、自伝的なものも含めて書籍にしたいというお話をいただきました。今まで、漫画をずっと描いてきたので、そういった書籍で自分のことを書くのはおこがましいなという思いがあったんですが、もうベテランの域ですし、まあいいかなと(笑)」
担当編集者との細かいやりとりの末、出来上がったのが今作だという。編集者は年表を作り、それをもとに、細部まで作り上げていったそう。担当編集者は「伊藤先生の記憶力には舌を巻きました」と話す。
「いやいや(笑)。それは編集の方々が適切な質問や疑問をこちらに投げかけてくださるので、それをきっかけにして思い出すことが多かったです。ただ……出来上がりを読んで“書きすぎちゃったかな……しまったな”とは思いました(笑)。“キャラクターが自分の内面を表現している”というのは、これまでも話したことはあるんですけど」
ホラー漫画のレジェンドと呼ばれる伊藤。そんな彼の恐怖の原点はなんだったのだろうか。
「幼い頃、怖かったのは死ぬことでしたね。親の世代が戦争体験者だったので、ことあるごとに二度と戦争しちゃいけないという観点から、戦争の悲惨な話を生々しく話してくれたんです。特に“男は大人になると徴兵されて太平洋戦争で死んでいったんだ”みたいな話を聞かされて。姉弟のなかで男は私一人だったんで、“自分だけ死ぬのか”と思って非常に怖くてですね、思い出しては泣き出すみたいな感じでした。
父がテレビで太平洋戦争のドキュメンタリー映像を見ていて、零戦が突っ込んでいったりとか、そういうのが本当に怖かった。あとは『コンバット』というドラマ、それも当時は怖かった。ただ、不思議なことに、それらは今となっては興味深くなり、DVDなどで集めたりしてますね」
伊藤が絵に興味を深めるきっかけになったのは父親の言葉だった。
「父親はかなりネガティブな人間で、会社勤めがツラかったんでしょうけど、夜、お酒を飲んで酔っ払って帰ってくるみたいな感じで。私に対しても、けっこうネガティブな、否定的なことを言われる機会も多かったんですけど、絵は褒めてくれたんです。自分は趣味で風景画みたいなものを描いていて、壁に張ってあったんですけが、それを見た酔っ払った親父から“おお、これはいいぞ”と言われたんです」
さらに伊藤は、姉にも影響を受けていると語る。
「カルチャー的なことは姉ですね、一番上の姉と、二番目の姉がいるんですが、洋楽にも詳しくて、エレクトーンも習ってて、そういう感性は鋭かったですね。一番上の姉は、中学時代に友達を描いた絵が学校一の評価を得て、美術の先生に大絶賛されたこともありました。
思い出すと、親父も絵がうまかったし、お袋もうまかったですね。父は平成の明仁天皇が昭和の皇太子だったときに、何か記念のコンクールで、優秀な賞を受賞したことがあって、賞状が今もあります」
それでは、伊藤自身がどうだったのか。
「若い頃は対人恐怖症で、他人の視線が怖かったんです。ただ、20歳くらいの頃ですかね、ショックを受けたというか、目から鱗が落ちた言葉があったんです。精神科のお医者さんの書いた本で『他人は自分のことを見ていない』って書かれていて、“えーっ、そうだったのか!”って。それまで、私はずっと人から見られてると思いこんでいたので、その言葉でだいぶ楽になりました」
■作品を描くことで自分を浄化させていく
この本を読むと、歯科技工士をしながら漫画家を目指していた時期がある、という記述が出てくる。給与明細を見た姉の夫が、ひっくり返るほどの薄給だったと。
「ただ、それは自分の中では土壇場っていう認識じゃないんですよね。職場の環境も悪くなかったですし、社長さんも奥さんもいい人でしたし、先輩にも恵まれて、居心地はすごく良かった。金銭的な問題はありましたが、それは途中から漫画を描き始めたことで解決しましたし、漫画を描くことを容認してくださいましたし」
そして、伊藤が土壇場について話してくれた。
「それよりも『星新一ショートショートコンテスト』で、箸にも棒にも引っかからなかったのには、こたえました。応募したのは第一回なんですが、あとから聞いたら5000作ほどの応募があったらしく。自分ではせいぜい100作くらいかなと思ってたのと、私も“これは獲ったな”という根拠のない自信があって……ツラかったですね。
挫折といえば、高校のときは美術部だったんですが、友達の肖像画を描いてたんです。不真面目なんで描きながら友達と鬼ごっこしてたんですけど(笑)。そしたら、美術部の先生から“影が濃すぎる”と作品の欠点を指摘されて、めちゃくちゃズシンと来て、そこから当分のあいだ、不眠になりました」
漫画家になってから土壇場について聞くと、少し笑みを浮かべながら、こう答えてくれた。
「それは毎回です。でも、締め切りが迫ってこないと集中できないんです。最初からスケジュールを立てて、一日何ページと決めればいいんですけど、絶対そうはできない。締め切りが迫ってくると焦り始めて、すごい集中できるんです。誰しもがそうかなと思うから、恥ずかしいんですけど…(笑)」

▲恥ずかしそうに今でも締め切り前の“土壇場”について話してくれた
伊藤が現在の土壇場と語る“締め切り”は別として、高校時代の美術部での先生から欠点を指摘されたこと、星新一ショートショートで受賞できなかったことなど、落ち込んだりはするものの、その都度、立ち上がっているのが伊藤潤二なのだ、というのが話を聞いてるとよくわかる。
「向こうっ気は弱くなかったですね。何かを言われても“なにくそ”という思いはありました。デビューしてから、大概の編集者の方は有益なことを教えてくれましたが、たまに“ん?”って思うようなアドバイスは……あえて無視してました(笑)」
本を読んで、歯科技師時代が土壇場なのでは? と思ったのは、単純に収入、そして社会的に認められている場所から遠いからだった。しかし、伊藤はそれを大きく否定した。
「だって、稼いでやろうとか、有名になりたいと思っていたら、もっとメジャーなところに行こうとしますよ。漫画においては好きなことを描きたい。多くの人の薄い評価より、少数でも高い評価を得たかったんです」
では、そんな伊藤の土壇場を乗り越える術は、どのようなものだったのか。
「僕の辞書には、臨機応変という言葉がないんです(笑)。土壇場に巻き込まれると、どうしよう……とあたふたしちゃう。流されて流されて……だから、随分と間違ってきたなと思いますよ」
流されるままであれば、圧倒的な存在になり得ないと思うのだが……。もしかすると、伊藤には“鈍感力”も備わっているのではないだろうか。この本を読んでいると、伊藤の思い出から、他人に対する恨みや怒り、現状に対する不満などは出てこない。かと言って、そういった出来事がないというわけではなく、ただただ、事実としてそれらが列挙されている。
もしかすると、伊藤潤二という人間は、ただただ“いい人なのではないか”、と。すると、同席した担当編集が「本当にそうなんです」と同調したが、伊藤はそれを即座に否定する。
「騙されてますよ、皆さん(笑)。それは、劣等感や嫉妬を表に出していないだけだと思います。自分自身ではコントロールできない部分ですが……。ただ、そういった感情を作品にぶつけたり、作品で昇華させている、という面は大いにあると思います」
「渦巻いている」とも伊藤は表現した。彼の代表作のひとつである『うずまき』を思い出した。
「作品を発表するごとに、自分の中の渦巻いているものが吐露され、自分が浄化されていったんだなと、この本を出版して気づいたことのひとつです。若い頃はもっと作品と人物が近かったような気がします。徐々にそういう渦巻いたものを作品に押しつけていったということかもしれません」
■気持ち悪く描きすぎて読者にイヤがられた
自分の中の鬱屈した感情を作品にぶつけていたという伊藤。そんな彼が、漫画と向き合ううえで心がけていることについて聞いてみた。
「やっぱり、創り出す以上は毎回新しいアイデアや、新しい試みを作品に投入しなければいけない、ということは心掛けています。以前に描いたものを同じように繰り返してもしょうがないなと。なので、最近はネタが途切れるし、飽きちゃうこともある。だから短編が多いんです、長編をやる持久力がないんですね」
伊藤潤二作品に触れたのは、週刊連載をしていた『うずまき』だった。週刊連載というのは人気投票と隣合わせだ。そこを伊藤はどのように感じていたのか。
「あんまり考えないようにしてましたね。でも、不思議なことに、担当の方からそのことについて言われた記憶もないんですよね。そこまで長期の連載でもなかったし。あと、雑誌のどの辺に載ってるかにもよって、編集部の期待もわかるじゃないですか。僕はだいたい後ろのほうだったんで、あんまり期待もされていない(笑)」
そして、漫画を描くときに大事にしていることは“違和感”だと言う。
「違和感という事象をもっと細分化していくと、“もしも、こんなことが実際にあったらイヤだな”とか“なんか変だな、不思議だな”とか、いろいろあるんですよ。『グリセリド』は……あれは気持ち悪いですね(笑)。気持ち悪いものを描いて、読者に嫌がらせをしたい、みたいな気持ちが少しあったんですが、そしたら本当に嫌がられて、申し訳ないことをしました(笑)」
『グリセリド』は顔の油を思いっきり絞って、顔にかけるシーンがネットでバズったことがあり、彼の漫画を知らない人でもこのコマを知ってる人は多いだろう。本のカバーを外すと、そのコマを見ることができる。
「あれは思春期にニキビができて、自分で絞ったときの体験です(笑)。ああいう気持ち悪いのをわざと描いて、自分の中で克服したいと思っているんですね(笑)」
伊藤のこだわりとしては「トーンをなるべく使わない」という記述もあった。
「今はデジタルなんですけど、紙に書いているときは本当にトーンの作業がしんどいですね。時間もかかるし、削る作業がまた嫌いで。しかも、紙にセロファンみたいな異質なものを貼り付けるのも嫌いなんです。なんか……作品の純度が薄まる気がするんですよね。あと、糊でくっついてるから、剥がれてくるんじゃないか、という強迫観念もあって……作品を長く残したいという気持ちがあるんです」
たしかに、この本には過去の作品の原画はもちろん、漫画家になる前の作品の原画も収録されている。伊藤の物持ちの良さにも驚かされる。
「原画は言うなれば“我が子”でしょうか。絶対に捨てられないし、大事にしています」
デジタルに変わった今でも、デジタルに対する違和感はあるという。
「大変なことさえなかったら、今からでもアナログに戻りたいですね。昔は下書きが一番楽しかったのですが、今は下書きが一番しんどいです。そして、今は仕上げが一番楽しい気がします。絵が出来上がっていくのを感じられるので」

▲原画は“我が子”だと作品への愛情を語る伊藤潤二
伊藤潤二作品といえば、コマ割りや構図にもオリジナリティの強さを感じる。そういった構図の影響の源流を問うと、はっきりと一人の巨匠の名前を口にした。
「大友克洋先生が大きいと思います。構図でいうと、最近欲しいなというか、ちょっとした夢なんですけど、自分が使いやすいリアルなポーズ人形が欲しいんです。じつは自分で作ろうとしていて、頭の中で設計しているんですけど、現実的には柔らかい部分は素材的に難しいでしょうし、劣化もするだろうし……。ネットでポーズさせるやつもあるんですが、操作が難しい(笑)」
やはり、独特の感性を持っている……と感じた。最後に座右の銘があるかを聞くと、即答した。
「『毒を喰らわば皿まで』。これは“罪を犯したら後戻りできないので、どうせなら”という意味らしいんです。漫画を描くことは犯罪ではないですが、ホラー漫画をどうせ描くなら、徹底的に気持ち悪く描こう、ということはいつも考えています」
記事にコメントを書いてみませんか?