ほしのディスコ「アジカンさんのおかげで手術を乗り越えられた」

お笑いコンビ・パーパーで、相方のあいなぷぅと展開するカップルコントで知られるほしのディスコ。芸人としてのみならず、自身のYouTubeチャンネルで披露する歌声が大きな人気を博し、なかには300万回以上が再生される歌唱動画もあるなど音楽的な才能も注目を集めており、昨年には歌手デビューも果たした。

ジャンルをまたにかけた活躍をみせる、ほしのディスコの自叙伝『星屑物語』(文藝春秋)が4月24日に発売された。本人が「重苦しい内容の本」と語るとおり、“死”や“絶望”と隣り合わせだったという彼の半生について赤裸々に綴られている。

今回のインタビューでは、“命を削るような思い”で執筆したというこの一冊に込めた思い、自身を救ってくれたというかけがえのない存在について話してもらった。

▲ほしのディスコ

■『ロックマンX3』で気持ちが楽になった

――「いつか自分の本を出すことが夢だった」と綴られていらっしゃいましたね。

ほしのディスコ(以下、ほしの) はい。自叙伝出版を夢見るようになったキッカケは、子どもの頃に“生きることがイヤだ、死にたい”と思ったことでした。でも、死ぬのが怖くて結局は諦めて。「一度諦めた人生なんだから、これからは“人生の延長戦”をやっていると思えばいい」と考えるようになったんですね。

そういうスタンスで生きている僕の人生について書けば、この本を読んで「こんなヤツもいるんだから、自分もやっていける」とラクになってくれるような人も、もしかしたらいるんじゃないかと。

――“人生の延長戦”をやっているという考えは、第一章タイトル「人生のアディショナルタイム」にも表れていますよね。

ほしの 僕、人生で初めて買ってもらったゲームが『ロックマンX3』だったんです。大好きでよく遊んでいたのですが、本当に難しいゲームで。何回もミスして、死んでは生き返ってを繰り返していたんです。いまだにラスボスのシグマは倒せてなくて、エンディングを見れてないんですけど(笑)。

でも、途中で何度もゲームオーバーして諦めそうになったステージで、一度すごく軽い気持ちでプレイしてみたらクリアできてしまったことがあったんです。その体験から「自分もこんなふうに生きてみたら、前に進めるかも」って気持ちがすごくラクになったんですよ。

――幼少期の時点でそんな考えに至るほど、ツラい経験をされていたんですね。

ほしの この本で初めて公にしたのですが、生まれながらに「口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)」という病気と闘っていたので、手術や入院を繰り返す日々もかなりしんどかったです。また、それによって学校でいじめられて「これから自分がどれだけ頑張っても、誰かにバカにされる人生なんだ」「なんで生まれてきてしまったんだろう」と思い詰めたこともありました。

――最後の手術を終えての帰り道、お母様とカラオケに行ったというエピソードが印象的でした。

ほしの 上唇と口の中の天井部分が裂けた状態で生まれてくるという病気なので、見た目だけではなく、話すこと、そして大好きな歌うことに対してもずっと抵抗がありました。お笑い芸人にも、歌手にもなりたいと思っていたのですが、その夢も叶わないんじゃないかと悩んでいて。

でも、高校の頃に最後の手術入院で出会った言語聴覚士の方に「舌の使い方を練習して、習得すれば絶対に良くなる」と言っていただいたんです。自分の力ではどうにもならないと思い込んでいたから、そこで一気に希望が見えたんですよね。なので、退院したら歌ってみたくなって、帰り道に母とカラオケに行きました。

そのときは、まだ上手に発音できなかったので、話すことは苦手だったのですが、歌は会話よりもゆっくり発音できるのでうまくいっている気がして。19の『あの紙ヒコーキ くもり空わって』や、Whiteberryの『夏祭り』とか、自分の好きな曲をとにかくいっぱい、思いっきり歌って、歌うことの素晴らしさを改めて感じましたね。

■もう笑ってもらえなくなるかも…という不安

――そうしたエピソードをはじめ、テレビ番組では話す機会がなさそうなことも赤裸々に綴られていますね。

ほしの そうですね。自分の人生について書くためには、思い出したくない記憶とも向き合わなければいけなかったので……執筆中はとてもツラい思いもしたし、涙も流したし、命を削るような思いで原稿と向き合いました。

あと、僕は芸人なので、こうした重苦しい過去について書くことによって、もしも世間の見え方が変わってしまったら、もう笑ってもらえなくなってしまうんじゃないかという葛藤もあったんです。これまで公表していない事柄も多かったので、周りの誰にも相談できず……。「本当にここまで書いてしまって大丈夫かな」って不安も大きかったですね。

――芸人人生に響くかもしれないと。それでも書き上げたのは、冒頭でも話されていたとおり、読んでラクになってくれる人がいるんじゃないかと考えたからなのでしょうか。

ほしの はい。もちろん「自分を知ってもらいたい」という気持ちもあるのですが、この本と出会ったことで前向きになってくれる方が一人でもいたらいいなと。それって、お笑いをやっているモチベーションにも近いのかもしれません。お笑いも、自分のことをさらけ出すことで、人に楽しみや喜びを与えたり、何かしらの感情を引き起こすものだと思っているので。

――ほしのさんも、お笑い、そして音楽と出会ったことで救われた経験をお持ちですよね。

ほしの そうですね。いつも音楽をいっぱい聴いて、自分を勇気づけていました。なので、昔聴いていた曲を今聴くと、蘇るものがありますね。最後の手術の前に聴いていたASIAN KUNG-FU GENERATIONさんのアルバム『ファンクラブ』は特に思い入れがありますし、あれがあったおかげで乗り越えられたなと。そういう経験もあり、音楽は欠かせない存在になっています。

■「自分の声って!?」YouTubeで初めて気づいた

――先ほど「歌うことは大好きだったけれど、同時に抵抗も感じていた」とお話されていました。それが今では考えられないくらい、多くの人に歌声を愛されています。

ほしの 歌声を発信するようになったキッカケは、コロナ禍に開設したYouTubeチャンネルでした。当時はお笑いの仕事がゼロ近くまで減ってしまって、“芸人の仕事も諦めなければいけないのかも”と考えていて。そんなとき、元相方(前コンビ「カーディガン」たつがえりょうた)が「YouTubeをやってみないか」と声をかけてくれたんです。

元相方は、コンビ時代から「ほしのくんの歌声、いいよね」って言ってくれていて、歌ネタもやっていたりしたんです。なので、自然と「歌ってみた動画も公開してみようか」という話になりました。実際に公開してみると、全く想像していなかったほど大きな反響があって。

それまで、この声のせいでからかわれたりしたこともあり、とにかく嫌いだったんですよ。なので、YouTubeのコメント欄で「歌声が好きです」という声もいただいて、「僕の声っていいんだ…!?」ってビックリして。

――そのタイミングで初めて気づいたんですか!

ほしの すごく意外でした。それまでずっと一人で練習していたので、音程を合わせるということはできると思っていたのですが、「声がいい」と言われるとは考えもしなかったですね。

もともとの声質も、今ほど高くなくて。僕はクリープハイプさんの大ファンなのですが、尾崎世界観さんの歌声と出会って、クリープハイプさんの楽曲をカラオケで練習し続けたことで、ハイトーンになっていったんじゃないかと思います。今回、この本を出すときも尾崎さんに帯コメントを書いていただいて。本当にうれしかったです。

――昨年は歌手としてメジャーデビューを果たしましたね。

ほしの 音楽が大好きなだけにアーティストに対するリスペクトも大きいので、正直に言うと自分がプロのレベルに達しているとは、いまだに思えていないんです。

病気という、多くの人にないものを背負いながら生きてきたので「これを自分なんかがやってしまってもいいんだろうか」という意識が人一倍強いと思うんです。でも逆に、だからこそ自分にしかない表現もあるんじゃないかな、と考えるようになりました。それはお笑いでも、音楽活動でも。なので、自分は自分のやり方を追求すればいいんじゃないかなと。

――ほしのさんが作った曲が聴けるような日も来るのでは……と、勝手に期待しています!

ほしの 作詞作曲はとても興味があるのですが、音楽の知識や経験が少ないので……今、ギターの弾き語りを練習しているところなんです。ギターの練習配信も、毎週やっていたりするんですけど、なかなかうまくならなくて(笑)。

僕が作った音楽は、絶対に明るい曲調にはならないと思います(笑)。「ほしのディスコ」という芸名でお笑いをやってますけど、ダンスチューンではない気がするんです。ただ、この本に込めた僕の気持ちと同じように、聴いてくださった方が少しでも前向きになるような応援歌がいつか届けられれば、うれしいですね。

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