コロナ禍で落ち込む梅沢富美男を奮い立たせた「女遊びしてこい!」

バラエティ番組『プレバト!!』の人気企画「俳句査定」で永世名人を獲得し、このたび『句集 一人十色』を発売した梅沢富美男。

今や、洒落のわかる大人、としてお茶の間でも知られる彼のブレイクポイントは、言わずとしれた『夢芝居』のヒットである。そこにいたる道筋とは。そして、彼にとっての“土壇場”は、じつはこの数年間のコロナ禍だった……。

▲俺のクランチ 第25回(後編)-梅沢富美男-

■恩師・石ノ森章太郎から受けたエール

「今はこうやって取材を受けてるけど、俺たちが小さい劇場で芝居やってた頃なんか、マスコミは誰も口聞いてくれなかったから」

1歳7ヶ月で初舞台を踏んだ梅沢だが、「役者の道へ進もう」と本格的に決意したのは14歳の頃だった。そして、そこから雌伏の時期が続く。なかなか世に出ることができなかったのだ。

「映画見たら俺よりヘタクソな奴がスターになってるわ、テレビ見たら『なんだ、この台詞回し!?』って役者がスターになってるわけじゃん」

そんな憤りが沸点に達し、ついには「大衆演劇を捨てて、映画俳優になろう」と思い立った梅沢。18歳になった頃、彼は映画の世界に飛び込むべく大蔵映画撮影所へオーディションを受けに行っているのだ。

「でも『目がちっちゃいからいらねえ』って言われて終わり(笑)。俺の芝居ならオーディションに受かると思って行ったのに、芝居もやらせてくれねえんだよ。『へぇ~、目がでかけりゃ映画俳優になれるんだ』って言ったら、『いいからもう、帰れ』って。それで、俺は映像の世界は無理だなって思ったの」

土壇場だった若き梅沢にも理解者はいた。漫画家の石ノ森章太郎だ。梅沢の母と石ノ森の妻が友人だった縁で、石ノ森は若き日の梅沢に目をかけてくれたという。

「先生は俺のことを可愛がってくれたんだけど、24歳になってもまだ売れなかったから、その頃には“もう、役者はやめよう”と俺は思っていたの。それで『先生、やめたいんだけど』って言ったら、『どうしてだ?』って。いろいろ説明するのは面倒くさいじゃん。売れないで、こうでこうで~って話すのもなんだから『壁ですね』って言ったら、『生意気言ってんじゃねえ、バカ!』って言われたよ」

ムッとした梅沢が「どうしてですか?」と聞き返すと、石ノ森からはこんな言葉が返ってきた。

「おめえに壁があるわけねえだろ。壁ってのは売れた人が言うんだよ。俺がなに描いても『仮面ライダーっぽい』『サイボーグ009に似てる』って言われるんなら壁だよ。売れたお前が『なにやったって同じ芝居をしてる』って言われるんなら壁だよ。でも、お前は売れてねえから、誰もお前の壁なんて知らねえだろ。お前は必ず売れるから、頑張ってやれ!」

1982年、梅沢はドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(TBS)に、旅役者の役で出演して注目を浴びた。さらに、同年11月にリリースした『夢芝居』が大ヒット。年末には『NHK紅白歌合戦』に初出場し、見事にブレイクを果たしている。

石ノ森が言うように、梅沢は売れたのだ。ようやく彼は“険阻な坂”を登りきった。

「自分の中で“チャンスは絶対に逃さない”っていうのは、いつもあったからね」

▲チャンスを捕まえた梅沢富美男だからこその含蓄のある言葉だ

■芸能界に語り継がれる“梅沢伝説”は本当か?

テレビを足がかりに、大ブレイクを果たしたように見える梅沢。しかし、当の本人は「俺はテレビで食ったことはない」と公言する。

「ドラマって1クール、3~4ヶ月もかかってギャラは1本いくらだからね。やってられないよ、そんなものは(笑)」

梅沢の強気には理由がある。『夢芝居』をリリースした頃の梅沢は、1回の舞台で数百万円ものギャラが稼げるようになっていたのだ。一方で『紅白』の出演料は3日間拘束にもかわらず桁が1つ違った。

「そんなの、スタッフたちにうなぎ食わせたら終わりだよ(笑)」

芸能界に語り継がれる“梅沢伝説”をご存知だろうか? どんな状況でも決してへりくだらず、数々の現場で出入り禁止を食らったという彼の逸話たちである。やはり、梅沢富美男は強気ということ。でも、彼は本当にそんなに各所で揉めていたのだろうか?

「揉めたっていうか、普通に意見を言っただけだよ(笑)。まあ、たしかに『何回、リハさせるんだ!』とNHKでは言ったけどな」

『夢芝居』がヒットした頃、梅沢はまだ32~33歳の若さだった。今の時代感覚で言うと、若手も若手である。

「だって、俺はひねた新人だったから(笑)。あと、もう十分に世の中の酸いも甘いもわかって出てきているわけだからね。それに、俺には舞台があったし。なんだったら、『イヤなら使わなきゃいいだろ』と思ってるから。

俺、今でもずっとそう思ってるんだよ。『ミヤネ屋』だってそう。だから『ミヤネ屋』とは、いまだにレギュラー契約を結んでないもん」

歯に衣着せぬ自分の発言で、番組に迷惑がかかってはいけない。そんな思いから、梅沢は常に1回限りのつもりで『ミヤネ屋』に出演しているそうだ。

「『ミヤネ屋に迷惑がかかるんだったら、いつでもやめますよ』とスタッフには伝えてあるよ。『その代わり、“これを言ってくれ”と俺に言うのはやめてくれよ』っていう約束をしてね」

■うるせえな、ジジイ。女遊びでもしてこいや!

そんな梅沢にとって、この数年間は土壇場だったらしい。大衆演劇はコロナ禍の影響をダイレクトに受ける文化だ。当然、梅沢劇団もコロナ禍による大打撃を受けていた。

「2年間、ことごとく舞台がなくなっちゃったからね。もう、ダメだと思ったよ。だって、俺は大勢の劇団員を抱えてるんだよ?」

さすがの梅沢も公演の相次ぐ中止はこたえた。ついには、家族の前では決して見せなかった弱気な姿を見せてしまった。そんな彼を奮い立たせたのは、次女・名津美さんからの意外な言葉だ。

「年齢も年齢だし『このままいったら、もう舞台人の梅沢富美男はなくなるんだなあ』ってこぼしてたら、『グチグチうるせえな、このジジイ。女遊びでもしてこいや!』って娘が言うんだよ。子どもの頃からずっと見てきた、いつものパパと違ったからだろうな……いやあ、カッコよかったねえ(笑)。ただ、女房は『バカなこと言ってんじゃないわよ!』って止めに入ってたけどな(苦笑)」

▲老害という言葉とは真逆の魅力的で粋な大人であった

常々「下半身は30代」と息巻いている梅沢である。コロナ禍を乗り越え、72歳にしてなお盛んだ。そして、梅沢富美男にとってのホームは、「舞台」と「家族」だということもわかった。

(取材:寺西 ジャジューカ)

クイズ番組・ドッキリNGの梅沢富美男が『プレバト!!』に出た理由 | 俺のクランチ | WANI BOOKS NewsCrunch(ニュースクランチ)( https://wanibooks-newscrunch.com/articles/-/4234 )

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