同じ相手と結婚・離婚を繰り返すセレブ5組! 4日で入籍、41日で破局も……

同じ相手と結婚・離婚を繰り返すセレブ5組! 4日で入籍、41日で破局も……

結局数年後に「やっぱり無理」ってなりそうだけど……。

 昨年9月、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットが離婚を発表した。「情熱的な略奪婚」「実子と養子合わせて6人の幸せな大家族」「乳がん切除手術を精神的に支えたおしどり夫婦」といった話題で知られていた2人だけに、世間は騒然。親権をめぐって泥沼の争いを繰り広げるだろうと注目が集まった。

 しかし、今年に入り複数のメディアが「子どもたちのために復縁する可能性がでてきた」と報道。5月に出版された男性誌「GQ」のインタビューでは、ブラッドが「もう酒は飲んでいない」と反省。復縁の線がますます濃厚になってきた。

 実は海外セレブには、彼らのように、離婚した相手と復縁する人が意外と多いのだ。今回はそんな「離婚した相手と再婚したセレブ」を5組、ご紹介しよう。

■ジャン=クロード・ヴァン・ダムとグラディス・ポルトギーズ

 アクション俳優として有名なジャン=クロード・ヴァン・ダムは、無名時代の1980年にマリア・ロドリゲスという女性と最初の結婚をしている。この結婚は3年間で終わり、アクション俳優になろうとチャック・ノリスに売り込みをかけていた85年には、シンシア・ダーダリアンという女性と再婚。これはたった3カ月で破局した。

 初の主演映画『ブラッド・スポーツ』(88)撮影中の87年、今度はミス・オリンピアでトップ10入りした女性ボディビルダーのグラディス・ポルトギーズと結婚し、同年に長男のクリストファーが、90年には長女ビアンカが誕生。しかしこの年破局し、92年に正式に離婚した。理由は、ジャンがセクシー女優のダーシー・ラピエールと浮気したからだと伝えられている。

 そして94年、今度はダーシーと結婚する。ダーシーは翌年、ジャンにとっては次男となるニコラスを出産するが、4度目の結婚も長続きせず、97年に離婚してしまった。その後2012年に、英タブロイド紙「ガーディアン」のインタビューで、『ストリートファイター』(94)で共演したカイリー・ミノーグと「撮影中に浮気していた」と告白したジャンに、ダーシーは「初耳だわ。裏切られた気分」と激怒。「『エクスペンダブルズ2』(12)が大ヒットすることを祈るわ。彼からはもう7年も養育費をもらってないし」と怒りをぶちまけていた。

 ダーシーと別れて1年後、ジャンは双極性障害と診断される。そんな彼を支えたのは3番目の妻グラディスで、2人は再び愛し合うようになり、99年に再婚。グラディスとの間にもうけた長男クリストファーはジャン同様、アクション俳優の道を進み、『ハード・ソルジャー 炎の奪還』(12)や『Kill ‘Em All』(17)などで親子共演を果たす。娘のビアンカ・ブリーもマーシャルアーツの道を極め、アクション女優として『アサシン』(11)などで親子で共演し、マッスル・ファミリーとして注目されるようになった。

 その後ジャンが拠点を香港に移したことで、ロサンゼルスに住むグラディスとの関係は冷えきり、15年には離婚を申請するものの、結局取り下げて修復を目指すことになる。ジャンは米ゴシップ芸能サイト「TMZ」の取材に対し、「ジャン=クロード・ヴァンダム・ファミリーの絆は強いんだ。子どもたちも妻も強い。この世は離婚だらけで、子どもたちにとってよくないことだ」と発言。世間からは「次男がかわいそうだ」と呆れられた。グラディスとは今もなお、夫婦として生活している。

■メラニー・グリフィスとドン・ジョンソン

 舌足らずで甘えるような話し方と、10代の頃から脱ぎっぷりの良さで人気を博したメラニー・グリフィス。母親ティッピ・ヘドレンが女優だったことから、幼い頃よりモデルや子役として活動し、14歳の時に母の主演映画『The Harrad Experiment』(73)にエキストラで参加。同作でメインキャラクターを演じていた、22歳のドン・ジョンソンと恋仲になる。メラニーが若すぎて交際は違法だったが、母は「自立しているから」と2人の関係を認めた。

 燃え上がった2人は、メラニーが15歳の時に同棲を開始。おませでヌードシーンもOKだったメラニーは、『ナイトムーブス』(75)、『新・動く標的』(75)、『輝け!ミス・ヤング・アメリカ』(75)で脱ぎまくり、注目されるようになった。夫のドンはB級映画俳優から抜け出せないままだったが、メラニーが18歳になった76年、ラスベガスの小さな教会で挙式。正式に夫婦になる。

 しかし2人は家庭を築くどころか「セックス、ドラッグ、ロックンロール」な「今が楽しければいい」と言わんばかりの日々を送り、メラニーはアルコール依存症に。関係は悪化し、たった6カ月で離婚を申請して別々の道を歩むようになった。

 離婚後、メラニーの女優としてのキャリアは低迷し、スランプに陥る。母とその再婚相手ノエル・マーシャルと共演した『ロアーズ』(81)の撮影中、ライオンに襲われて顔を50針縫う大ケガを負う悲運にも見舞われた。そんな中、テレビ映画『She’ s in the Army Now』(81)で共演したスティーヴン・バウアーと恋に落ち、この幸せを逃すものかと81年9月にスピード婚。85年には長男を出産した。

 一方の元夫・ドンは、テレビドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』(84〜89)が大ヒットし、世界的に大ブレーク。81年にはモデルで女優のパティ・ダーバンヴィルと付き合い始め、翌年長男が誕生。しかしドンが落ち着くことはなく、私生活は荒れる一方だった。女癖の悪さと薬物乱用が原因で、パティとは86年に破局してしまう。その後は、「Till I Loved You」(88)でデュエットしたバーブラ・ストライサンドと、浮名を流した。

 ドンがパティと別れた頃、メラニーはスティーヴンとの関係がうまくいかなくなり、コカインに手を出していた。薬物依存という共通の悩みを持つ2人は、傷を舐め合うように復縁。メラニーはドンの子どもを身ごもり、慌ててスティーヴンに連絡する。夫婦関係はとっくに破綻して別々に暮らしていたが、離婚はしていなかったのだ。正式に離婚したメラニーは、89年にドンと結婚し、長女ダコタを出産した。

 ドンとの2度目の結婚に際して、「どうかうまくいきますように」と祈るような気持ちでのぞんだメラニーだが、結局月日がたつにつれ関係は悪化。決定的にダメになったことを確信した頃、映画『あなたに逢いたくて』(95)で、スペイン人俳優のアントニオ・バンデラスと共演することとなる

 マドンナからの猛烈アピールを受けた男として全米に名前と顔が知られていたアントニオは、この映画を撮影する数年前にハリウッドに進出。スペインに残った妻とうまくいかなくなり、離婚を申請したばかりだった。同じ境遇の2人は、撮影を通して互いの悩みを打ち明けるうちに恋に落ち、メラニーはドンとの離婚に踏み切る。

 パパラッチがそばにいても、ところかまわず情熱的なキスをするアントニオとメラニーは「W不倫のバカップル」と叩かれた。また、今回もメラニーは離婚成立前に妊娠したため「節操がない」と激しくバッシングされたが、出産前に無事離婚。結婚、出産とトントン拍子に新家庭を築いていった。

 アントニオはメラニーを深く愛していたが、彼の愛では薬物依存から抜け出すことはできず、00年、09年と彼女はリハビリ施設に入所。09年末には皮膚がん手術を受けたことを発表するなど、メラニーは健康面での問題に悩まされるようになった。アントニオは闘病する妻を支えていたが、14年、突然離婚を発表。申請したのはメラニーで、アントニオの浮気が原因だとも報じられた。

 メラニーは、これまでの夫たちを「すべて素晴らしい男だった」「感謝してる」と断言。子どもたちがいるため、彼らとは今も笑顔で交流している。しかし、昨年『How To Be Single』の上映プレミアで、世の女性に向けて「結婚なんてするもんじゃない」「必要ないし」と発言。これがメラニーの本音だと大きな話題になった。

■パメラ・アンダーソンとリック・ソロモン

パメラ・アンダーソンの本格的なキャリアは、地元カナダのスタジアムで開催されたアメフトの試合を見ていたときに始まった。ピチピチのラバット・ビールのTシャツ姿がスタジアムの巨大スクリーンに映された彼女の姿は、「なんて美しいんだ!」と観客を大フィーバーさせ、ラバット・ビールも注目。CM出演オファーが届く。そのブロンド・ボムシェルぶりは隣国アメリカでも話題になり、「プレイボーイ」が熱烈アプローチ。プレイメイトとなったパメラは、90年代のセックスシンボルとして世界中の男たちから愛されるようになった。

 華奢な体に、豊乳手術による巨乳を備えた彼女は、シルベスター・スタローンなど数多くの男性と浮名を流した後、95年2月、モトリー・クルーのドラマー、トミー・リーと出会って4日で結婚。新婚旅行中に撮影したセックステープが流出したり、トミーがパパラッチに暴行を加えるなど、結婚生活は当初から波瀾万丈だった。生まれた2人の息子たちを守るため、96年12月には離婚を申請したが、直後、トミーがアルコール依存症の治療を受ける決意を固める。「彼を支えたい」と申請を破棄して復縁を試みたが、息子たちの目の前でDVを受け、パメラは警察に通報。結局、98年2月に再び離婚を申請した。

 その後パメラは再び「トミーの更生に懸ける」と復縁を目指すが、その試みは挫折に終わり、トミーとまともな夫婦になることは無理だと思い知らされる。親権裁判を起こして、2人の関係は最悪な形で終わった。

 パメラはカルバン・クラインなどのモデルとして有名なマーカス・シェンケンバーグと交際し、婚約するも破局。01年春頃からミュージシャンのキッド・ロックと交際を始め、02年4月に婚約するが、翌年破局。06年7月に復縁して結婚するが、4カ月後に離婚を申請。この離婚は流産が原因だと噂されたが、同じ男とずるずる付き合う女というイメージが定着してしまった。

 07年10月、パメラは長年の友人だったプロのポーカープレイヤー、リック・ソロモンと結婚。彼はエリザベス・デイリーやシャナン・ドハーティーとの結婚歴があるプレイボーイで、かつて交際していたパリス・ヒルトンとのセックステープを流出させた男である。危ない男だとわかっていても、キッドと離婚したばかりで心に穴が開いていた彼女はリックに体と心を許し、またもやスピード婚してしまった。

 女性らしい外見に対して、性格は男勝りで超強気なパメラは、リックとも喧嘩が絶えなくなり、結婚式からたった2カ月後に離婚を申請。08年3月に婚姻取り消しが認められ、ピリオドを打った。

 リックと別れた後は、くされ縁状態の最初の夫トミーと復縁。子どもたちを連れて同棲までしたが、再婚はせず、結局別れる道を選ぶ。トミーとの再婚には慎重だったが、次に再び付き合い出したリックとは14年1月に2度目の結婚をしてしまう。一度ダメになった男とうまくいくはずはなく、今度も半年で破局、離婚した。

 関係を持った男の元に戻るクセがあるパメラが、次に復縁するのは誰なのか、大きな注目が集まった。しかし、トミー、キッド、ロックとも復縁せず2年が経過。昨年10月頃から、ウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジが滞在するロンドンのエクアドル大使館に足繁く通う姿が目撃されるようになり、関係があるのではないかと大騒ぎされた。

エミネムとキム・スコット

 全米有数の犯罪多発都市デトロイトのホワイト・トラッシュとして、壮絶な子ども時代を送ってきたエミネム。彼の母親は15歳で学校を中退し、17歳でエミネムを出産した。エミネムの父親とは1年で離婚しシングルマザーになったが、学歴がないためろくな仕事につけず、アルコール依存症で薬物中毒のまま男を取っ替え引っ替えし、住まいも転々としながらエミネムを育てた。暗い性格のいじめられっ子で孤独だったエミネムは、母親の弟が聞かせてくれたヒップホップに夢中になり、ラップにのめり込む。リリックを書きまくり、ラップ・バトルでのし上がり、黒人主流のヒップホップ界において白人ラッパーとして圧倒的な地位を確立。ラップの神様と呼ばれるまでになった。

 そんな母親に育てられたエミネムは、女を冷めた目で見ており、冷酷な性格だともいわれている。そんな彼にも運命の女性がいた。キムことキンバリー・アン・スコットである。

 87年、エミネムが15歳、キムが13歳の時に2人は出会い、恋に落ちた。キムもまた複雑な家庭環境で育ち、家から追い出されることが多い不幸な少女だった。付き合い出して間もなく、キムは双子の姉を連れてエミネムの家に転がり込み、居候生活を開始。母親と険悪な関係になっていくエミネムを精神的に支え、ラッパーとして成功を目指す彼を応援してくれる、大事な存在となっていった。

 95年にはキムが妊娠し、クリスマスに娘ヘイリーを出産。エミネムは大喜びし「娘には自分のような不安定で貧しい暮らしはさせたくない」と、金のために週60時間働くようになった。だが、キムは初めての子育てで精神的に不安定になり、エミネムと顔を合わせれば衝突するようになる。関係は着々と悪化し、96年には別れてしまった。娘と引き裂かれたと感じたエミネムは激怒し、スリム・シェイディという暴力的な人格を形成。この頃、キムを殺して死体を池に沈めるという過激なリリックの「‘97 Bonnie and Clyde」をレコーディングした。

 その後、「ヘイリーのためにも両親が揃っていたほうがよい」と、エミネムはキムと復縁。名プロデューサー、ドクター・ドレーのレーベルと契約し安定した収入を得たことから、99年に結婚した。同年、デビューアルバム『ザ・スリム・シェイディ』をリリース。結婚してすぐツアーをスタートさせたエミネムは、大勢のファンに崇められ、グルーピーから後腐れのないセックスを求められる状況に有頂天になり、自分に意見するキムを罵倒するようになる。同時にキムへの執着を強め、00年6月、クラブでキムが頬にキスをした男を浮気相手だと思い込んで暴力をふるい、警察沙汰に。2年間の保護観察に処された。7月にはキムが見に来たデトロイト・コンサートでキムを殺す曲「Kim」を披露し、キムに見立てたダッチワイフを暴行。ショックを受けたキムは帰宅後、自殺未遂騒ぎを起こしたが、エミネムは彼女を気使うでもなく「浮気女のくせに」と離婚を申請。その後いったんは復縁したが、うまくいくわけもなく、翌年正式に離婚した。

 2人は愛娘ヘイリーの親権を共同で持つことで合意。娘を通して頻繁に顔を合わせていたため、ほどなくしてくっついたり離れたりを繰り返すように。エミネムは02年に音楽誌「ローリング・ストーン」のインタビューで「また結婚するくらいなら、チンコから出産するほうがマシ」と言っていたが、06年にキムと再婚する。結局のところ、エミネムはキムのことを「運命の女性」「自分のルーツを知る女性」だと大事にしているのだ。

 06年1月、エミネムはキムに「15年前に付き合い出した記念日に再婚しよう」とプロポーズする。キムは喜んだが、うまくはいかないだろうと考え、「式は挙げたいけど、書類にはサインしないほうがいいんじゃない?」と提案。エミネムは「今度こそはうまくいく」と断言し、法的に夫婦になる手続きをした。だが不幸にもキムの読みは当たってしまい、結婚41日目にエミネムは彼女の元を去り、4月に離婚を申請。2度目の結婚生活は、あっけなく終わってしまった。

キムいわく「エミネムは母親に愛されなかったから、女性にどう愛情表現すればいいかわからない」が、「父親としては最高」という。実際、エミネムは責任感の強い父親として知られており、キムの双子の姉が薬物過剰摂取で亡くなった後、その娘を正式に養子として迎え、ヘイリーと姉妹のように育てた。ほかにも、キムが最初の離婚後に交際した男性との間にもうけた娘も、我が子同然に面倒を見てきた。エミネムとキムは、今もくっついたり離れたりしているとうわさされているが、2人とも3度目の結婚はないと断言している。

■エリザベス・テイラーとリチャード・バートン

 11年に79年の生涯を閉じるまで、8回の結婚・離婚を繰り返したエリザベス・テイラー。“20世紀のクレオパトラ”と呼ばれた、最高級のハリウッド女優だった彼女は「愛した男とは必ず結婚する」をモットーにしていたが、中でもリチャード・バートンとの愛はハリウッド史上最も激しいものだったと語り継がれている。

 エリザベスは、1950年5月にヒルトンホテル創設者の御曹司コンラッド・ヒルトン・ジュニアと結婚。子役としてハリウッドでチヤホヤされていた彼女は18歳で玉の輿にのり、3カ月にわたる新婚旅行などで話題を振りまいた。ただコンラッドは、うなるほど金を持っているが、アルコール、ギャンブル、ヘロイン依存にDV気質を持つ最悪な男で、耐えられなくなって翌年2月に離婚。1年後、離婚の傷を癒やしてくれた20歳年上のイギリス人俳優マイケル・ワイルディングと結婚する。穏やかな結婚生活を送り、2人の息子をもうけたが、映画プロデューサーのマイク・トッドを好きになってしまい、「善は急げ」と離婚を申請。マイケルには事後報告だったが、彼は「君はそういう人だから」「仕方ないね」と了承した。

 離婚が成立した翌月の1957年2月、エリザベスはマイクと結婚。婚約指輪は29.4カラットのダイヤモンド・リングで、彼女は幸せいっぱいの結婚生活を満喫し、娘も誕生した。しかしわずか1年後、飛行機事故でマイクは死去。悲しみのどん底に堕ちた彼女を、親友デビー・レイノルズの夫で歌手のエディ・フィッシャーが慰めてくれるようになり、ほどなくして2人は不倫関係に陥る。エディはデビーと離婚し、息子と娘(キャリー・フィッシャー)を捨てて59年5月にエリザベスと結婚。世間から大バッシングされた。

 そしてこの結婚生活のさなか、エリザベスはリチャード・バートンと出会ってしまう。

 2人は、エリザベスの代表作となる名作『クレオパトラ』で共演。女慣れして堂々とした彼に、エリザベスはぞっこんになってしまう。リチャードも彼女の美しさの虜になり、2人はW不倫の道をひた走る。「愛する=結婚」の方程式を持つエリザベスは、エディとの離婚をさっさと申請。リチャードも妻と無事離婚し、エリザベスの離婚が成立した64年3月、2人は結婚した。

 リチャードは、100万ドル(約1億円)のダイヤモンド・ネックレスや、33.19カラットのダイヤモンド・リングをプレゼントするなど、エリザベスを甘やかした。『予期せぬ出来事』『じゃじゃ馬ならし』など映画でも共演し、女優としても成長させてくれた。しかし、穏やかな日々は長くは続かない。2人は揃ってアルコール依存の問題を抱えており、四六時中口喧嘩するようになる。喧嘩してはセックスで仲直りする生活を続けていたが、10年目にリチャードが共演女優と浮気したことでエリザベスは離婚を決意した。

 74年6月に離婚は成立するが、翌年夏、資産の話し合いをするために会った2人は、激しく求め合い、離れられなくなってしまう。互いにこの愛は本物だと確信し、8月に復縁宣言。10月には再び婚姻関係を結んだ。だが結局のところ、2度目の結婚から数週間後には再び、喧嘩とセックスの繰り返しに陥ってしまう。嫌気がさした2人は別々の寝室で寝るようになり、リチャードの浮気が本気になった76年8月、離婚した。

 4カ月後、エリザベスは政治家のジョン・ワーナーと結婚し、今度は議員の夫を支える妻となった。しかしこの生活は彼女には不向きだったようで、ストレスから過食に走り激太り。うつ状態になってリハビリ施設に入所するなど、心身共に最悪な状態になってしまった。結局、この結婚生活も6年で終わりを迎える。

 ジョンとの離婚が成立する前年、50歳の誕生日パーティーに、エリザベスはなんとリチャードを招待した。いちゃつく様子を披露し、「またもや復縁か!?」とうわさされるようになる。2人は83年に演劇『Private Lives』で舞台共演を果たすが、エリザベスは再び酒浸りになって、公演に穴を開けてしまった。仕事をきちんとこなせない女は嫌いだといわんばかりに、彼は若いアシスタントの女性と結婚。そして翌年、58歳で病死してしまった。

 運命の相手の急死に打ちひしがれたエリザベスだったが、91年10月、アルコール依存症のリハビリ施設で出会った20歳年下の土木作業員ラリー・フォーテンスキーと突然結婚。どことなく若い頃のリチャードに似ていると囁かれたが、結局5年で離婚してしまった。

 恋多き往年の大女優として名高かったエリザベスの晩年は、心臓病で入退院を繰り返す生活となる。11年、4人の子どもたちに看取られ、息を引き取った。

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