戦後最大の「国語」改革で「文学」が消滅する

大学入試の国語で情報処理を求めるような改革 この影響で高校国語から『文学』消滅も

記事まとめ

  • センター試験に代わる『大学入学共通テスト』の国語は情報処理能力が求められるらしい
  • この影響で、高校の国語の内容が完全に変わってしまうことを危惧する声が出ている
  • 夏目漱石『こころ』、森鴎外『舞姫』などの文学が国語から消える可能性があるという

戦後最大の「国語」改革で「文学」が消滅する

戦後最大の「国語」改革で「文学」が消滅する

『文藝春秋オピニオン2019年の論点100』掲載

 論より証拠。まずは次の問題を見てもらおう。

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 転勤の多い会社に勤めているサユリさんは、通勤用に自動車を所有しており、自宅近くに駐車場を借りている。以下は、その駐車場の管理会社である原パークとサユリさんが締結した契約書の一部である。これを読んで、あとの問い(問1〜3)に答えよ。

 駐車場使用契約書

 貸主 原パーク(以下、「甲」という。)と 借主 ○○サユリ(以下、「乙」という。)は、次のとおり駐車場の使用契約を締結する。

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 そして以下、「第1条 合意内容」から「第8条 返還義務」まで現物さながらの契約書が提示される。サユリさんはこの契約書をもとに、どうやって貸主からの料金値上げ要求に対抗すればいいか、あるいはどうやって損をしないように解約手続きをすればいいかを答えるのだ。

 これが、センター試験に代わり、2021年に導入される「大学入学共通テスト」の試作品の冒頭部である。

■これが大学のどの学問分野に繋がるのか

 他にも、交通事故に関するグラフ、自治体の広報資料や部活動に関する生徒会規約を読むものなど、これまでなかった「テクスト」が問題文となっている。どれもすぐに生活に役立つ内容だろうが、これが大学入試国語の問題になるのだ。

 はたしてこの内容が大学のどの学問分野に繋がるのだろうか。経済学や経営学というにはあまりにレベルが低すぎる。駐車場の契約でぼったくられないようにするのは大学に行かない人間にとっても重要だし、生徒会の規約はそもそも高校時代に読めていなければ意味がない。

■「深さ」ではなく、問われるのは「速さ」

 もちろん、大学入試で問われる内容はこれから大学で学ぶことそのものではなく、高校まで学んだことの総決算ではあるが、駐車場の契約書や交通事故に関するグラフの読み方は高校教科書ではほとんど扱われていない。それなのに出題できるということは、授業なしでも対応できるレベルの問題だということだ。実際、現役の高校の先生に尋ねてみたところ、新形式なので面食らうかもしれないが、ちょっとした対策をして慣れればすぐにでも満点がとれるだろうということだった。難しいとすれば制限時間だけだということだ。つまり求められているのは、手早い情報処理能力だということになる。

 そう、これはこれまでの「読解」とは明らかに異なる「情報処理」という新しい教科だとさえ言える。行間を読むような「深さ」ではなく、広い範囲から必要なポイントだけを拾い出してきて繋げる「速さ」が問われる教科だ。

 こうした能力が無駄だとは思わない。論理力というにはいささか憚られるが、事実を繋げて一定の結論を導くための基礎となる力である。しかし情報処理はほんとうに基礎的な力であり、大学受験、高校よりもっと以前に培っておくべきものではないだろうか。先述のとおり、新テストは授業でとりたてて扱われなくとも、ものが「読める」高校生なら解けてしまう問題でしかない。

 そもそも論理の基礎を鍛えるのに、無理に生活に密着した場を想定する必要はないのだ。現在教科書に掲載されているテクストを用いても、学習の手引きや教師の工夫次第で十分鍛えることのできるものである。

■「文学」を知らない子どもたち

 しかし、入試改革よりおそろしいのは、この新問題に向けて高校の「国語」の内容が完全に変わってしまうということだ。詳細は錯雑を極めるためここでは踏み込めないが、新指導要領によれば概要は以下のとおり。

 まず現行高1配当の「国語総合」が2分割され、「現代の国語」と「言語文化」とになる。現在の「国語総合」の内容は、現代文古文漢文含めてほぼ「言語文化」に押し込められ、新しい「現代の国語」が「共通テスト」の新問題に対応するような実用文を扱う授業となるのだ。

■「文学国語」を選ぶ高校は無し?

 高2高3に至っては、現在多くの高校が採用する「現代文B」という科目がこれまた「論理国語」と「文学国語」とに2分割されるのだが、こちらは単位数の関係で実質的にはどちらか一方しか選べなくなるのだ。そしておそらく多くの高校は、大学入試を睨んで実用的な「論理国語」を選ぶ。高校の先生方に尋ねてみたが、全員がそう答えた。

 つまり多くの高校生にとって、「国語」から文学が消えるのだ。少し前に騒がれた「教科書から鴎外漱石が消える」というレベルの問題ではない。定番教材の中で、芥川の『羅生門』はかろうじて残るかもしれない。しかし、中島敦『山月記』、漱石『こころ』、鴎外『舞姫』という定番四天王の3つは消える。

 いや、文学などより情報処理の方が実用的であり重要ではないか、という議論はありうるだろう。しかし、そういう議論をする時間はなかった。新指導要領がパブリックコメントに付されたのはたった一か月に過ぎない。さらに、「国語」の概念が変わるほどのこの大改革を一気に推し進めるべく、とられた巧みな方策は「上からの改革」だった。つまり、指導要領だけ変えても、現場では大学入試に合わせた授業展開をされてしまう。それならまず入試を、そして高校のカリキュラムを、という順序で変えてゆく。おそらく次は中学、そして小学校へと下りてゆくのだろう。完了した暁には日本人の誰一人として駐車場の契約でぼったくられないようになる……だろうか?

 しかし、契約書だけをいくら眺めていても、こたびのような文科省の巧みな戦術を見抜くことはできない。相手の意図を見抜くには、情報処理だけでなく、行間や背景を見通す力が必要だ。そして、そうした生きた場の全体を示すものがたとえば小説である。それでも文学は実用的ではないのだろうか。

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(伊藤 氏貴/文春ムック 文藝春秋オピニオン 2019年の論点100)

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